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ふたつ、ください  作者: 笹木道耶
3/5

Scene 3 はたけ

Scene 1~5まで、五人の視点で物語を紡ぎます。

Scene 3、三人目は和菓子店の店員(店主の娘)です。



 目が覚めたとき、両足をぎゅっと両腕で抱え込んでいた──。

 

 素敵な家族──。


 羨ましいけど、妬んだりしたらダメだよ──。


 素敵なものは素敵──。

 そうはっきり言える人間に、あたしはなるんだ──。


 そうじゃないと、あたしは──。


 あたしは──、

 叶わぬ夢を、見ちゃうから──。



Scene 3 はたけ



「ただいま~」

「あ、おかえり」

「……あ、またなんか機嫌がいいですね」

「なによう、そのカオは」

 爽やかに微笑む様が、女のアタシから見ても気持ちがいい。「ねえねえ、悠日ちゃん、今日も来たのよ、カレが」と、アタシは自分が浮かれている理由を自ら率直に表明した。

「でも、また二つ買っていったんじゃないんですか?」

「それは……」

 アタシがちょっと膨れてみせると、彼女はよしよし、とアタシの頭を撫でてくる。九つも年上なのに、アタシの方が子どもっぽい。

 一応これでも、結婚歴もあるというのに。

「でもいいの。かっこいいんだから」

 今年に入ってから、よくうちの店に来てくれる、二〇歳くらいのルックスのいい男の子がいる。彼は背も高く、また体つきもがっしりしていて、いかにもスポーツマンというタイプである。三〇を目の前にした一応独身の女性には、多少目の毒とも言える常連さんだ。

 ネックは、先ほど彼女が言ったように、いつも二つ同じモノを、買っていってしまう、ということだ。

 まったく、メンクイなんだから──。

 彼女は少し呆れたような笑顔でそう言うと、自宅アパートに戻るため、再び店を出ていった。

 彼女は大学から戻ってきたときに一度、必ず店に顔を出してくれる。自分の時間をもっと大切にしていいのよ、といつも言っているのに。

 彼女の住むアパートは店のすぐ裏にある。店とアパートはオーナーが同じで、もっと言うと、オーナーはアタシの母親である。そして彼女は、外形的には、この和菓子屋『はたけ』に「住み込み」という言葉にかなり近い形態で働いてくれている従業員、ということになる。

 元々畑中和菓子店、通称『はたけ』は、母と祖母、それに祖父の三人で切り盛りしていた。『はたけ』は赤字でこそなかったもののほぼトントンで、こと収益率に関しては、不動産の家賃収入の方が大分よかった。そんな感じで生活は裕福ではなかったが、決して貧しくもなく、祖父が五年前に急死し祖母も三年前に亡くなってしまったことで、いったんは閉店も考えた、そんな店だ。

 ずっと今の場所で変わらずに営業してきたことで、贔屓にしてくれるお客さんたちが少なからずいたこと、そして菓子の製法も技術も確かなものがあり、それをきちんと受け継いでいる母がいたことが、不幸中の幸いだった。だからなんとか、今日まで営業を続けることができている。

 もちろん、店の担い手が短い期間で3分の2もいなくなってしまったのは大きなダメージだった。しかも体力はともかくとしても、技術が上の二人がいなくなったのは、致命的な障害になり得ることだった。

 そんなこの店の危機を救った第一番手は、実はこのアタシである。この店が事実上母の手一つになってしまったとき、ある程度この店のノウハウを知っている、まだ二〇代の一人の女性がこの店に戻ってきた。

 大学時代に下宿し、そのまま就職し、結婚し、そして離婚したこの家の長女──。

 祖母はアタシが家に戻ると、安心したのかすぐに息を引き取った。

 アタシは落ち込む間もなく、母と一緒にこの『はたけ』の存続のためがむしゃらに働いた。

 自分の離婚、愛する祖母の死──精神的にいろいろと辛い時期を割とあっさりと過ごすことができたのは、この店があったからだろう。

 そしてこの店の危機を救った二番手が──。

「臼木悠日、入ります」

 体力はあっても所詮半人前。アタシでは、とてもすぐには祖母の代役は務まらなかった。手際の良さや確かな匙加減等々。

 それにもともと発生していた祖父の分の欠員。

 それを埋めるためにも、そして自らの研究・訓練のためにも、是非とももう一人スタッフが欲しい──そんなとき、ひょんなことから現れてくれたのが、彼女だった。


 彼女がここに来るきっかけも、実はアタシが作った、と言えるのかもしれない。

 直接のきっかけは、大学時代の友人からの電話だった。

 離婚して実家に戻ったばかりだったアタシに、友人はこう言った。

「来年から大学生になる女の子を一人、そっちで引き受けて欲しいの。私、何とか力になってあげたいのよ。ね、お願い」

 彼女は大学卒業後、教員採用のクチがほとんどなかった時代に、見事ストレートで公立高校の教職に就くことができた才媛である。中学生の時にとてもステキな女性教師に出会ったことがあるらしく、教職というものに対し、少なくとも学生時代は、多少なりとも幻想を抱いていたようだった。

 しかし、就職したあとも何度か飲みに行ったりしたことのある間柄であるアタシは、彼女が今時の高校生たちやその親たちに、つまり自分の思い描いていた教員生活とのギャップに、日々、苦しめられている様子を何度となく恨み事のように言うのを聞かされていた。

 だから、彼女がそんな申し出をしてくること自体、正直意外だった。

 そんなアタシの心の内を察したのか、彼女はこう続けた。

「今時信じられないくらいいい子よ。たいていなんでも一人で出来るらしいし、頭もいいし、何より誠実だし。

 …………それにちょっと、ワケありで──」

 彼女が言うには、その子が合格した大学は『はたけ』から自転車で一〇分ぐらいのところにある名門国立大学で、滑り止めなしの一校受験ということだった。その大学しか受験していない受験生が何人いるか──とふつうの人なら思うような大学だ。

 そしてその理由は、アタシにはちょっと、信じられないような理由だった。

 だからきっと、そのときはそれが、絵空事のように感じていたに違いない。

「ねえ、本当に申し訳ないんだけどお願い。何とか力になってあげたいのよ。あなたの家、アパート持ってるんでしょう? 本人は住み込みみたいな形でも構わないって言ってる。その子自身、高校でもかなりバイトで働いた経験があるから、きっと戦力になるから。ね、お願い──」

 離婚したばかりで精神的にやや不安定だったアタシ。

 しかも祖母が倒れ、厳しい状況にあった『はたけ』をまがいなりにも背負おうとしている人間に対し、その足下を見るかのように降って湧いたその申し出に、アタシはカチンと来てしまった。

 『突然何を言い出すのよ。勝手に話を進めないで!』という意識が強くあった。

 アタシが離婚したから、アタシはこの実家に戻っているのだ。

 彼女に祖母のことを伝えたかどうかは覚えていなかったが、祖父のことは知っているはずだった。

 だから、こちらの状況をある程度知っているから、こんな電話をよこしたのだ──そう思った。

 そうとしか思えなかった。

 だから初めは、彼女のこの少々強引な申し出を、アタシははねつけた。

 祖母が亡くなり、別の悲しみも心に生まれ、忙しい日常をこなすことで精一杯になり、かえって少しは冷静に物事を見つめられるようになった頃、再び彼女から電話があった。

 初めの電話から、二週間ぐらいたった日のことだった。

「ねえ、頼むよ。やっぱりあなたに頼むしかない。お願い」

 その口調から、彼女がかなり焦っていることが容易に窺われた。三月も後半に入り、引っ越しのシーズンも大詰めということから考えれば当然のことだったのかもしれない。

 しかし、彼女の気迫というか切迫感は、ただごとではなかった。

「このままだと彼女マズイわ。厳しいとは聞いてたけど、本当に寮に入れないとは……。

 あの子、水商売とかも本気で視野に入れているみたいなの。見てくれはすごくいいから、そんな世界に入ったら……。それに、やっぱりかなり、無理してきてるから。一見優しげなあっちの世界に入ったら──たぶん、抜け出すのは難しいと思う。だからね、頼むよ」

 アタシはこのときになって初めて、以前彼女が話してくれた内容について考える気になった。感情的な思考ばかりに支配されていた時のものとは異なる、久しぶりの論理的思考。

 アタシがもし、このとき冷静さを取り戻すことなく、もっと時がたってから彼女の話の内容を思い出していたら、酷く後悔することになったに違いない。そしてその思いは、彼女、悠日ちゃんと実際に会ってみて、より強くなった。一時の感情に流されることが一生の後悔を生み出しかねないという恐ろしさを、当時の時点でアタシは十分知っていたはずなのに、改めて今、それを痛切に感じている。

「できる限りのことはしてあげたいの。私にはこのぐらいのことしかできないから──」

 友人の切なる言葉。

 そしてこの言葉は、今ではアタシの気持ちにそのまま当てはめることが出来る。

 だってアタシには、

 アタシには失敗しても、

 帰るところがあったのだから。

 帰れるところがあったのだから。

 温かく迎えてくれる人が、いたのだから──。

 それに引き替え、このコは──。


「なんですか? 雪恵さん。なんかさっきからずっと、こっち見てません?」

「え? あ、ごめんごめん。ちょっと考えごとしてた」

「……よかった。なんかマズイことやっちゃったかな、って思っちゃった」

「そうじゃないそうじゃない。ごめんごめん」

 アタシは自分の頭をげんこつで一つ殴り、自分の仕事に戻った。

 彼女がこの『はたけ』に来てもう三年目。正直言うとアタシの方が、実際何か拙いことをする可能性は高かったりする。

 ときどき、辛いでしょうに──と思うことがある。

 でもアタシは何も言わない。

 もう彼女も立派な一人の大人だから、口に出すことは元より、態度で気を遣って見せることも可能な限りしない。それが彼女に対する最大のマナーであると思うし、独りよがりかもしれないけれど、もう彼女はこの畑中家の一員なのだ。

 一度だけ、彼女が話してくれたことがある。

 アパートの住人が、次々と里帰りで家を空けていった、一年目の年始のことだった。

 アタシと母、そして彼女の三人でのほほんとコタツを囲んでいたときのこと──。

 アタシと母、貴子は、彼女の境遇について一応は知っていた。一方彼女の方は、ウチの家の事情についてはほとんど知らなかった。だから、例えば祖父と祖母の遺影があるのに、どうして父の写真がまったくないのか──。すごく聞き難そうにしていた彼女の態度に好感を覚えつつ、アタシと母は、彼女の疑問に自ら答えていった。

 母が未婚の母であること。

 父親は、祖父に言わせれば『ろくでなし』と言えるような人間であったこと。

 母は、そんな父のことを憎みながらも、今なお愛し続けていること。

 そんな母や祖父母に反発し、大学から一人暮らしをし、アパートや『はたけ』を捨てて就職し、『本来あるべきだ』と勝手に決めつけていた幸せを求め結婚し、そして夢やぶれたアタシのこと。

 彼女は、そんな話を明るく話すアタシたちに対し、時々涙を浮かべ応えてくれた。アタシたちへの同情の涙では決してないことを知っていたアタシたちは、顔を見合わせて思わずもらい泣きしてしまったり。

 同情というのは、その人より幸せな人が抱くことができる感情だから。

「話して、いいんだよ、悠日ちゃん。わたしたち、家族じゃないか」

 母がそう言うと、彼女はボロボロと溜まっていた涙をこぼした。そして母が、そんな彼女を、黙ってしっかりと抱きしめた。

「……貴子さん、雪恵さん」

 彼女は言葉を詰まらせながらほんの数分間だけ泣いて、それでまた、いつもの笑顔に戻った。もっと甘えてもいいのに──アタシはそう思いながら、彼女の笑顔を見つめていた。

「義父には、幸せになる権利が、あるんです。あたしがいることで、義父にこれ以上迷惑をかけることなんて、あたしにはできない。だからあたしは、高校卒業と同時に、家を出ると、もうずっと前から決めていたんです。

 ……本当は、中学卒業と同時に家を出ようと思ってたんですけど、義父が『誰が何と言おうと、せめて高校、いや、お前なら大学まで行かせないと、俺は絶対一生後悔する。お前は俺を、一生後悔させる気か』って──。今でもはっきり覚えてます。一言一句。びっくりしました。

 義父は、それまであたしには、良くも悪くも全然構おうとしなかったし……それに相思相愛の、とても素敵な女性がいて、その恋人さんとの結婚に関して、あたしがすごく大きな障害であることも知っていたから」

 彼女はいわゆる母方の連れ子。だが、結婚してすぐに、彼女の実母は亡くなってしまった。

 それからは彼女と義父の二人暮らし。

 彼はまだ若く、稼ぎも多くなかった。浪費癖などはなかったようだが、生活は裕福ではなかったという。

 そんな状況であったにもかかわらず、実母方も含めて彼には頼れる親類もおらず、加えてそもそも子育ての経験などもなく、そうかと言って彼女を放り出すわけにもいかず、かなり困っていた様子が窺えた。

 いきなり、ある程度成長した他人の子どもを、しかもまだ愛情を抱くようになる前の段階で、自分一人で育てなければならなくなったら──それは、ある程度仕方のないことなのだろうと思う。

 さらに言うと、彼は容姿が良く、女性が放っておかないタイプの人物だったのだそうで、彼にとっては自分は感情的にも金銭的にも足手まといでしかない──聡明な彼女は、幼くしてそういう認識を持っていたのだという。

 だから彼女は、自分に出来ることは何でも自分でやった。少しでも迷惑をかけないように。

 元々母子家庭だったから、家事全般手伝えることは何でもしていたそうだ。少し年齢が上がってくると、もう大人並みに、たいていのことは自分で出来るようになったという。

 一緒に働いていて思うが、確かに彼女はかなり器用である。

 記憶力や集中力も高くて、とても要領がいい。

 これで人格も申し分ないのだから、友人がなんとかしようと必死になったのも解る──そんな彼女は、食事もコスト的には最小限(でも、栄養はきちん計算し、不足なく採れるように)、衣類も可能な限り質素に──そういう生活を自ら心がけ、それを徹底的に実践した。

 基本的に仕事とその延長に明け暮れていた彼女の義父は、帰宅は深夜、朝も登校と時間が合わないのが通常で、自宅でも彼女と関わることはまったくと言っていいほどなかった。しかし生活費はきちんと、それ相当の額を彼女に渡して──いつも、特定の棚に入れておいてくれたらしい。

 しかし彼女は、それさえも切りつめ、彼の足手まといには決してならないように──ただその一心で、そればかり考えて生活していたという。

 だからこそ、中学を出て働く、と言ったときの彼の言葉は、彼女にとっては嬉しくて仕方がなかったらしい。

 一生で一番、心から嬉しかった一瞬でした──彼女は少し涙ぐみながら、そう言った。

 そして彼女は言った。

「だからこそ、あたしは大学には絶対行く。家を出て、かつ自活をしつつ絶対行ってやるんだ、って思ったんです。そうすることがあたしのできる、精一杯の恩返しだと、そう思ったから。

 義父は義父の幸せを、ちゃんと手に入れなければいけないんです。

 自分のために、もっとお金を遣うべきだって、そう思ったんです。

 だからこうして、ここにご厄介になっているわけで……。

 だってあたしがいる──そのことで、誰かが幸せを掴み損ねるなんて、絶対に許せないじゃないですか」

 このときの彼女の微笑みを、アタシは一生、忘れないだろう。

 そのくらい、ショックだった──。


Scene 4、四人目は大学時代の同級生(女性)です。

※雪の影響で少し早回し。

次回は来週末(金夜・土・日)に更新予定。

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