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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夏の最期に

作者: きりん

 9月。夜の空気がほんの少しだけ肌寒く感じる、夏の終わり。

「9月って嫌いなのよね」

「どうして?」

「だって、夏が終わっていく月じゃない。蝉の死骸、項垂れた向日葵、夕方五時の灰色の空、高く薄くなる雲。全部が最低だわ」

 間違いなく、この会話をしたのも塾の帰りだった。昼間より大人が多くなって、香水とアルコールの臭いに塗れた繁華街を私達はいつも通り歩いていた。歩行者天国になっているアーケード街を、千鳥足の大人達を避けながら駅へと進む。

「ミキは詩人だね」

「国語は早智の方が得意なのにね」

「もー、根に持ってるなあ」

 人生で1番楽しくなかった夏休みの、その最後に受けた月例テストだった。帳票が、この日に返されていた。ずっと国語で1番だったミキを、私が抜いてしまった日だ。先生に褒められ、クラスの仲間が珍しく次々に声をかけてくれて、ミキが悔しそうにしながらも祝福してくれて、私は少し気持ちが浮き立っていた。

「たまたま記述が合ってただけだよ。語彙も幼いし、あれが減点なしでミキのが減点だなんて、今日で私は国語が余計にわからなくなったよ」

「ああいうのは使っている言葉がどうこうより、論理や意味が通っているかが大事なのよ。それが分かっていながら減点されるなんて……悔しいなあ」

 だから、ミキの瞳の奥に燻っていた仄暗い感情に気づかなかった。私の伸び幅よりもミキの落ち幅の方が大きいことに、気づいていなかった。

 同学年だったけれど、ミキは私にとって姉か先輩のような存在だったように思う。ミキに出来ないことなんて何もなくて――そりゃ解けない問題くらいたまにはあるだろうけど――今後体験しうるどんなことも上手くやっていく子なんだと思っていた。金魚のフンみたいに私がミキの後をついていっていたのも、この子についていけば全て上手くいくと、きっとそんな風に感じていたからなんだろう。

 ただ、そんな私でも自分達が疲れているということくらいは感じ取れていた。会う大人会う大人みんなが勉強のことを口にし、勉強の正体なんて掴めないまま数字に一喜一憂する毎日。長く辛かった夏期講習を終えたと思ったら、また学校と塾の二重生活。ミキじゃないけれど、9月が嫌いになりそうだった。

「あ、ほら蝉の死骸」

「えー! やだやだ、離れよ離れよ! 生きてるかもしれないじゃん!」

 シャッターの閉まった店先に1匹の蝉が転がっていた。悲鳴を上げる私とは対照的に、ミキは笑い声を上げる。

「生きてる方がいいじゃない」

「何言ってるの! 正気!? どーせ生きてたってすぐ死ぬんだから、大人しく死ねばいいのに!」

「そうかな」

「そうだよ!」

「そうかも」

「でしょ!?」

 ミキはまた、けらけらと笑った。


 その数日後、後にも先にも1回だけのサボりをした。いい加減疲れていたのもあるけれど、何よりその日はミキの誕生日だったのだ。嫌いだという9月に誕生日があるというのも何だか皮肉な感じがしたが、それを2人でお祝いするのは楽しいことのように思えた。

 私達は塾に行くと言って家を出た後に駅で合流し、塾があるのと反対側の隣町にある河原に行った。昼間の太陽に温められ、まだほんのりと温かい石にお尻をつけて座った。少しずつ失われていく熱に少しだけ鳥肌が立ったことを覚えている。

「今頃みんなどうしてるかな」

「多分、早智の得意な国語の授業を受けてるんじゃないかな」

「……まーた言ってる」

 ため息をつきつつ、私はリュックから包みを取り出した。近所の書店で買った、シャープペンシルだった。センスのない私は、オレンジ色の細いものを選んでいた。けれど、柄だけはその時流行っていた可愛いキャラクターのものを選んだ。

「あげるよ。誕生日プレゼント」

「え、いいの?」

「使ってくれなかったら泣くよ」

「……ありがとう」

 いつもなら軽口の1つや2つ叩くはずのミキが、この時ばかりは素直だった。そのことに、何となく満足感を覚える。あげて良かった。この時はまだ、そう思っていた。

「ねえ、国語の得意な早智さん」

「と思ったらこれだ」

「んん? 何の話?」

「いいえ、こちらの話。で、何なの」

「芥川龍之介の有名な言葉を知ってる?」

「え、広いよ。だいたいネガティブなイメージだけど」

「曰く『人生は地獄よりも地獄的である』」

「はあ……?」

「国語の得意な早智さんは、太宰治の最期は知ってる?」

「だから、くどいってばー。知らないよ。自殺したのは知ってるけど」

「愛人の1人と一緒に入水自殺をしたんだよ。心中だね」

 ミキの瞳に、暗い川の水が映っていた。どうしてだろう。その時の私には、それがすごく綺麗なもののように思えた。

「私達も、ここで心中する?」

「え……」

 ざあっと、風が吹いた。水面がさざ波立ち、夜がやってこようとしていた。

「なーんてね」

 そう言ってミキは舌を出すと、お尻についた砂をはたいて立ち上がった。私は何となくほっとして、後に続いた。

「さーて、どうしようかしらね。サボったはいいけど塾の終わる時間までいられるような場所、私知らないわ」

「確かに……そんなこと全然考えてなかった」

「ま、どうせ塾から連絡がいくからバレるんだしね。体調悪くて途中で引き返したことにして、帰りましょうか」

「えー、もうおしまい?」

 いつものミキにすっかり気が抜けて、私の中にはまたサボりの高揚感が戻ってきていた。もう少し、それを味わっていたかった。けれど、現実問題時間を潰す場所も方法も、私達は知らなかったのだ。ミキは言った。

「いいじゃない。またいつでもサボれば。ね?」

 そうして、子どもを諭すようなミキの嘘に騙されて私は家に帰り、両親に叱られた。


 ミキが自殺したのは、その日の深夜だった。

 翌朝、ミキを起こしに行った母親が見つけたらしい。ミキはベッドの上で失血死していた。首には、私があげたシャープペンシルが刺さっていたらしい。そんなものが、1回で綺麗に致命傷になるほどの傷をつくるわけがなく、ミキの首には何度も刺した痕があり、シャープペンシルの先はその衝撃で少しねじ曲がってしまっていた。

 机の上には、同じくそのシャープペンシルで書いたらしい遺書があった。それは、両親でも誰でもなく、私に宛てられたものだった。

『早智へ

 9月が嫌いな理由をまだ話し切っていなかったように思うので、死ぬ前にここへ記したいと思います。

 9月は私が生まれた月だから。こんな地獄に、生まれてしまった月だから。だから、嫌いなのです。といって、決して受験勉強が辛かったから死んだだなんて、そんな早とちりはよしてくださいね。地獄とは、別に受験勉強のことを指しているのではないのです。

 ただ、生きるために生きる。自分で決めたことではなく、生まれたその時から生きることを善とされ、より良く生きるために苦難を強いられる。何だか、それが馬鹿らしくなってしまったのです。だって、どうせいつかは死ぬのですから。

 蝉が死に、向日葵が死に、空が死んでいく。9月は死へと向かう季節です。なのに、どうして私は、私達は死なないのか。いつもそれが不思議でした。何故だか、1人だけ取り残されたような気持ちになりました。

 いえ、やはり、きっかけは受験だったのかもしれません。受験は、私から、私達から確実に何かを奪っていきました。それは家庭の安寧だったかもしれないし、無知である幸せだったかもしれません。とにかく、奪われたのです。そしてそれは、永遠に失われてしまいました。

 ひどく抽象的な話でごめんなさいね。でも、死のうと思った今になって、死ぬ人間の心理とはこういうものなのだな、と思います。芥川龍之介も言っていました。新聞の三面記事に、生活難とか、病苦とか、精神的苦痛とか、自殺の動機を発見できるだろうが、しかし、それは動機の全部ではなく、大抵は動機に至る道程を示しているだけなのだ、と。また、少なくとも自分の場合は将来に対するただぼんやりとした不安が動機なのだと。

 私は、志望校に受かりたかったのでしょうか。受かりたかったのかもしれません。でも、受かった後は。また新たに目標を設定するのでしょうか。そうして進んでいった先に、何があるというのでしょうか。私には、よくわからなくなってしまったのです。どうでしょう。でも、私に解けなかったこの問題も、国語の得意な早智さんなら解けるかもしれませんね。そう考えると、少しだけ嬉しい気持ちになります。今になってこんな感情に気づくなんて。

 あなたと心中しなくて良かった。

 シャープペンシル、ありがとうね。使わせていただきます。

 60年ほど、お先に。

 大人しい蝉 未來』

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