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姫の国

作者: 村瀬倖次郎

【旅の支度】




どんな国にもお姫様がいて、あなたが訪ねてくるのを待っている。


どこへ行く? なにを見る?


お姫様たちは待っている。あなたが来るのを待っている。


きれいなドレス。宝石がついた王冠。

それがあってもなかったとしても、彼女たちは姫であることに変わりない。どうしてって? 答えはひとつ。



――お姫様は〈絶対〉だから! さあ、だから早く旅の支度をして。

お姫様が待ちくたびれて気が変わらないうちに。


つぎの扉を開ければ、あっという間に着いちゃうんだから驚かないでよ。






ようこそ、旅人さん。















【お菓子の国】


甘ったるい風、こんぺいとうにアラザンの雪。ここはお菓子の国。

すべてが綿菓子やカップケーキのお菓子でできている国。


家の壁がひび割れたらバタークリームで塗りこめて直すし、蛇口をひねるとぱちぱち弾けるサイダーが出てくる。


この国には大きな大きなお菓子工場があって、次々においしくてとろけちゃうお菓子が出来あがる。ストライプ模様の煙突はパウダーシュガーの煙がぽふぽふ吐き出している。

工場でなんのお菓子を作るかは、この国のお姫様が決めている。 ケーキのヘッドドレスと、ステンドグラスクッキーで出来たボタンのついたワンピースがお気に入りの、赤毛のお姫様。


お菓子作りも得意で、作るお菓子はとっても甘いのに、お姫様はちょっと辛口。可愛くないお菓子を作ると工場長を呼び出してお説教。


僕が「少し胸焼けがしそう」だなんて言ったから、こっちに来てお説教を始めた。「甘くないお菓子なんてお菓子じゃないわ。子供はみんな甘いものが好きでしょう? お菓子はもともと子供のためにあるんだから、大人が食べたらそりゃ胸焼けするわよ」


姫は新作のビターチョコレートを竈から出して僕に差し出す。


「大人はこれくらいがちょうどいいわね。私が作るんだもの、おいしくないとは言わせないわ」


なるほど、チョコレートを頬張ると、ふうわりと口の中で溶けて、こっそり甘みを残して消えていった。


思わず僕がおいしいと呟くと、姫は得意げに微笑む。


「当然でしょ。私を誰だと思ってるの? お菓子の国の姫よ」











【鳥籠の国】


檻は猛獣を閉じ込めておくものだと、あなたは思っているのかしら。

頑丈な鉄の杭で囲って、こちらは高みの見物と、そう思っているのかしら。


鳥籠は美しい小鳥を逃がさないためのものだと、あなたは思っているのかしら。

華奢な針金と止まり木で、小さな世界を作ったつもりでいるのかしら。




あなたがどんなに閉じ込めても、小鳥の歌を閉じ込めておくことはできない。


柵の隙間を縫って、籠の間から染み出していく。

あなたが捕まえていられるのは、形のあるものだけ。かわいそうね。





檻も籠も同じこと。

籠に蓋をして鍵をかけた瞬間に、あなたは籠の外の世界に閉じ込められる。



――ここは鳥籠の国。

眺められているのは自分の方だって、いい加減気付いたら?














【標の国】


道に迷って途方に暮れたとき、往くべき道を指し示すのは「標」だ。

矢印、時計、看板、この先何メートル、次の角を左に。

正しく作られた標は常に正しい方角を指し、導く。


それを信じるか信じないかは、見るものによって容易く変わってしまう。たとえその先に求めるものがあったとしても、向かわなければ真実ではない。

シュレディンガーの猫のように、誰も辿り着いたことのない標の果てなど、幻と大差ないのだ。



それでも姫は、標を作るのをやめない。


この国から、あらゆるものを「指し示す」。 いつか、標の前を通り過ぎたひねくれ者が戻ってきたとき、望む場所に辿り着けるように。


彷徨って疲れた者の目印になるように。


強く望むなら往けない場所などない。

姫の標は、旅人の背中をそっと押した。



















【見世物小屋の国】


それは国と呼ぶにはあまりに狭く、こぢんまりとしていた。

そして、その国は移動することができた。


カラフルな縞模様のテントを張れば、すぐに国が出来上がる。

住人は、ピエロに猛獣使い、火吹き人間。


愉快な見世物小屋の国の姫には、ドレスなんて要らない。

身軽な金と銀のレオタード。テントの天井から下がった縄に掴まって、くるくると、重力がそこだけ無いみたいに飛び回る。


姫が宙を軽やかに舞うたび、入国者たちは喝采を送る。

賛辞として投げかけられた色とりどりの旗は、彼女の首元や腰周りを飾り付けた。


観客席に腰掛けた僕の方を見て、姫は微笑む。

視界がぐっと狭まって、彼女しか見えないようになる。「きちんと、最後までわたしを見ていてね」



そう唇が動いた気がした。





















【刃の国】


――いくつもいくつも、刃がぶら下がっている。


刃の国はしんと静かで、空気ですら身を切りそうに澄んでいる。


姫は城の中にある、一番お気に入りの部屋で一日のほとんどを過ごすという。


刀、剣、カッター、はさみ、包丁、ナイフ、この世にあるすべての刃物が姫のもとに集められる。



「刃の中にいると、切っ先のように心が研ぎ澄まされる。気高く強い、鋼の心だ」


姫は小さく息を吸い込むと、両手に構えたナイフをガラス板に向かって振った。

ガラスの板は細かい破片を出したり割れたりすることなく、飴細工みたいにすうと切れた。 ぱらぱらと落ちたガラスは、部屋の中のわずかな明かりで虹色に輝いた。

その光は吊り下げられた刃から刃へ反射して、部屋を虹色の糸で繋ぐ。


けれど、ここに集められたこの世のどんな刃物よりも、鋭いものがある。



それは、姫の冷たく静かな心。















【眼鏡の国】


目で見える範囲でしか、人はものを視ることができない。

当然のことだけれど、それはとても不便なことだ。


人の思いを覗くことができたら。

遠くにいる友人の様子を知ることができたら。

宇宙の果てを見ることができたら。


多くの人は、不可能なことと思うだろうか。

でも、この国なら、「眼鏡の国」ならどうだろう。



「ここでは見えないものなんてないの。全部眼鏡がお見通し! なんでかって言うとね、眼鏡って見えない人が見えるためにかけるも

のでしょ?」


姫はそこで言葉を切って、にこにこと笑いかけた。言葉に続きはない。それが答えなのだ。

難しいことなんてない。見えるようになるのが眼鏡だと、姫は明るく言ってのける。 「でもね、見えないようにすることもできるよ。『見える』のも『見えない』のも自由自在の、わたしの国の眼鏡が一番すごいんだから!」


夜に沈んでいく街角に佇む黒い影を見ないでいられたら。

醜い自分の姿を見ないでいられたら。

壊れていく明日を見つめないでいられたら。


姫は、脚に巻いたバンドにいくつも挿した眼鏡のひとつを取り上げて、僕の顔にそっとかけた。


「さあ、きみは今何が見える? それとも、見えない?」


僕はレンズ越しに世界を覗いた。









【死の国】


冷たくて暗い、土のにおいのする国だった。


動くものはない。みんな死んでいるのだ。

ここは、「死の国」だから。


役目を終えて、永遠に眠るだけのものがここにある。

電池が切れて忘れ去られたおもちゃ。枯れた花。扉のない冷蔵庫。 一様に押し黙って、静かに身体を横たえている。その上に茨が幾重にも重なっている。


死の国の姫は、透けるような冷えた肌の上に、鴉の濡れ羽色のドレスを纏っている。彼女には、恐れるものなどない。

生き物にとって一番恐ろしい、死そのものだからだ。


「あんたはどうしてこの国に来たのかしら。ここは死んでるやつがくるところよ」


愉快そうに笑いながら、持っていた鎌の先で僕をつつく。「生きてるものは嫌い。煩いじゃない。死んでるものは好き。おとなしいでしょ」


姫は歌うように言った。

優雅にターンしながら、茨に咲いた薔薇の花を鎌で刈り取った。

刈り取られた薔薇は地面に落ちてあっという間にしわくちゃになり、朽ちた。


「長居は無用よ。もちろん、あんたがここで骨をうずめたいってんなら話は別だけど」


凍えるほど冷たい手が僕の頬を撫でる。自分の体力が吸われているのを感じて、僕は慌てて逃げ出した。


茨の中心で笑っている姫の楽しそうな声が後ろに聞こえた。










【宙の国】


届きそうで届きにくい、見えているのに見えない。

不思議なところにあるその国は、姫の引力に引き寄せられて辿り着くという。


赤や青に燃える星の明かりが瞬いている間に「宙の国」はある。 天体が肩を並べたその中で、姫はゆったりと無重力にたゆたっている。


磁力で編んだオーロラのドレス。透けたライトグリーンの髪に、土星から写し取った金環がかかっている。

彼女の頭の周りを、ミニチュアの衛星が絶えずゆっくりと回りながら漂っている。


「宇宙では、今この一瞬にも星が消えて、また生まれるの」


でこぼこした衛星を指でなぞって、姫は愛おしそうに呟いた。彼女が動くたび、星の輝きを吸ったドレスの裾がきらきらと光を振りまく。「あまりに大きいとその存在を忘れがちだけれど、確かに宇宙はあるわ。生まれては消える、ニンゲンと一緒」


姫はぴったりとした素材の手袋をはめた指で僕の胸をとんと指した。


「あなたは宇宙で、宇宙はあなた。その身体の中に真っ赤な星があるのを、忘れないでいてね」


僕の身体の中心で、とくとくと脈打つ惑星が、確かにあった。
















【星の国】


乳色の川が、星の国と下界を分かつ。

煌びやかでいて、角が鋭く尖った星屑が、姫が下りることを拒むのだ。


星座は幾度も空を巡り、時が経っていく。

そして夏のある日だけ、川はぴたりと流れを止める。

その日だけは、姫は星屑の上を渡っていける。



ただの伝説だと思っていたのに、姫はこうして僕の前に立っている。星の色の瞳がひたひたと濡れていた。



「星の国には、毎日たくさんの願いが届きます。けれど、それを叶えてあげるにはわたくしが下りてゆかなくてはいけません」


彼女は、光の粒子で描いた願いのリストを次々と叶えていく。 ようやく人々の願いを聞き届けられる喜びで、彼女の瞳からは涙でできた星の粒が空に散らばった。「あなたの願いは――そうですか、自分で叶えるのですね。それも素敵なことです」


来年まで、多くの人が健やかでありますように――姫は目を閉じて祈った。


星の国には、人々のことを想う心優しい姫が住んでいた。 彼女の代わりに僕が姫の幸せを願うと、その願いが届いた姫がこちらを振り返って、嬉しそうにはにかんだ。







【月の国】


はた、と雫が頬に落ちた気がして、空を見上げた。

こっくりと濃い紺の夜空に、満ちた月が明るく照っている。


眼の中いっぱいに光があふれて、月しか見えなくなる。

雲ひとつない空なのに、頬を濡らした雫はどこから落ちてきたのか。



私は貴方をいつも見つめている。

雲に隠れている日も、明け方の空に薄まっていく時も。


どんなに見つめても、この腕が貴方に届くことはないけれど、この国から降りていく光に、貴方への言葉を溶かした。



――私はここにいます。

どうかその瞳で、どんな夜も私を探して。 頬を転がった雫が、遠い遠い国にむかって落ちていった。



燦々と降りてくる月の光は、なぜだか温かい。

そっと頬に触れる。もう乾いてしまったらしい。胸が締め付けられるような気がした。


また月を見上げる。美しくて、遠い場所。きっと、あそこにも国があるのだろう。




いつかは僕も月の国へ行ってみたい。

子供の頃、そう望んだように。

























【旅の終わり】


パステルカラー、ビビッドカラー。

髑髏の指輪、ファーのついたイヤリング。

わたしたちの部屋は、かわいくてこわくてすてきなもので溢れてる。


こわくてかっこよくてつよい、ブルーベリー色の髪がライラ。 あまくてふわふわでとろけちゃいそうなミント色の髪がリリィ。

二人で一つのお姫様。


わたしは泣き虫だけどあたしはケンカが強くて、あたしはコーラが好きだけどわたしはミルクティーが好き。

生きているなら死ぬし、朝になれば夜が来る。ぜんぶぜんぶ、対になっている。


好きなものは正反対。性格も真逆。でも対があるからバランスがとれるの。双子の姫は、とても遠くてとても近い。自分に足りないものを知っているから、完璧に満たされている。

だって、足りないところは「対」が持っているんだもの。相手にあるものを自分が持っていたってしょうがないじゃない。 あなたは旅をして、自分の「対」を見つけられた?

いろんな国のお姫様に会ってみて、何を知ったのかしら?


この世界にはまだまだたくさんのお姫様があなたを待っているわ。 探し物がまだここにも見つからないのなら、さっさと次の旅の支度をしなくちゃ。


そうそう、この国がどこかまだ言ってなかったよね。

ここにあるものは、必ずペアになっているのよ。

靴のかたっぽをどこかで失くしても、この国にきちんと届いているから迎えに来て頂戴ね。


もし、あなたが自分を見失ったときだって、あなたの片割れはちゃんとここにいるから――


鏡の要らない対の国のはなし。


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