篤人くんとわたし
時計の針が、あと10秒で6時をさす。
わたしは開いていた数学の問題集とノートを閉じて、かばんにしまった。飲み終わった「いちごみるく」の紙パックをごみ箱に捨てて、かばんを机の上に置いた後。いつものように、窓からグラウンドを見る。
――いた、篤人くん。
練習を終えて、友達と談笑してる篤人くんを見て、自然と頬が緩んでた。わたし、相当篤人くんのことが好きなんだなぁ、なんて思いながら。
1ヶ月半くらい前に、わたし、徳良 千紗は、サッカー部の渡辺 篤人くんと付き合うことになった。
その日から、部活に入っていないわたしは、毎日こうして食堂の前の自動販売機で「いちごみるく」のジュースを買ってきて、放課後教室に残って勉強をしながら、篤人くんを待ってるの。
6時に窓から篤人くんを見たら、かばんを持って教室を出る。靴を履きかえて、待ち合わせ場所の正門へ。
しばらくすると、後ろから話し声と足音が聞こえてくる。
「千紗ちゃんっ」
聞こえてきたのは、わたしを笑顔にしてくれる、大好きな篤人くんの声。名前を呼ばれるだけでも、胸がきゅんってなる。すごくすごく、篤人くんが愛おしい。
「篤人くん、お疲れ様。」
「ありがと。」
そう言ってはにかむ篤人くん。好きだなぁって、実感する。わたし、この瞬間がすごく好き。
「じゃあ、帰ろっか。」
「うん。」
篤人くんが手をぎゅって握ってくれる。
篤人くんの隣に居られる。
それが、すごく嬉しくて。
わたしは今日もまた、こうして幸せをかみしめながら、篤人くんと2人、帰路につくのです。
* * *
4月。
期待と不安で胸をいっぱいにして、わたしは高校に入学した。
わたしは新しいクラスに馴染むまで時間がかかるから、知らない人がいっぱいで不安だったけど、思いの外友達はたくさんできた。ちなみに、この時前の席だった塚田 温子ちゃんとよく話すようになって、今では何でも話せる仲に。
そうやって、みんながクラスに馴染もうとしていた頃、自己紹介をすることになった。
わたしが篤人くんに惹かれはじめたのは、この自己紹介がきっかけだったの。
背はあんまり高くないんだけど、それが気にならないくらい端正な顔をしていて、性格が可愛い男の子として、もともと篤人くんは人気だった。
「渡辺 篤人です。中学の時はサッカー部でした。高校でも続けるつもりです。好きな教科は英語と体育で、国語は苦手です。」
わたしの頭の中は、ちゃんと喋れるだろうか、っていう心配ばっかりで、男の子の中では少し高めの篤人くんの声を、半分聞き流していた。かっこいい人だって噂されてるのは知ってたけど、あんまり噂に興味がなくて、篤人くんの顔もちゃんと見たことがなかった。……だけど。
「えっと、好きな食べ物は苺です。」
篤人くんのこの一言がとても意外で、思わず顔を上げて篤人くんのほうを見た。
――可愛い…
胸がきゅんとして、体が熱をもったみたいだった。
……今思うと、この時にはもう、篤人くんに惚れてたのかもしれない。
「自動販売機にいちごみるくがあったので嬉しかったです。」
いちごみるくって、あの紙パックのジュースのことかって分かってから、あんまり甘いものは得意じゃなかったけど、わたしは少しずつ、いちごみるくを飲むようになった。
わたしが篤人くんと話せるようになったのは、夏休みの補習で、席が隣になってからだった。わたしは、その頃もう篤人くんのことが好きだったから、すごく緊張してたのを覚えてる。
「あ、すごい。」
チャイムが鳴る数分前に席に戻ってきた篤人くんが、わたしのノートを見て言った。
「前から気になってたんだけど、『とくら』って、そういう字なんだ。良い漢字が2つ並んでる。なんか、徳良さんらしいね。」
そう言って、ふふって笑う篤人くんを、ますます好きになったのは言うまでもありません。
それから、わたしは毎日篤人くんにおはようって挨拶をするようになった。時々、お話もしたり。
わたしはそれだけですごく嬉しかったし、満足してた。
かっこよさと可愛らしさが学校中に広まって、篤人くんの人気は入学当初よりすごいものになってた。だから、わたしみたいな平凡な女の子が、高望みしちゃ駄目だって、自分に言い聞かせてた。おはようって言えるだけでも、すごく幸せなことだから。
そうやって毎日が過ぎていく中で、突然変化が訪れた。
「僕、徳良さんが好きです。いつもにこにこしてて、優しくて、可愛くて、徳良さんのことが、どんどん好きになりました。……えっと、その、もしよかったら、付き合って下さい。」
篤人くんが、わたしを好きだって、言ってくれた。付き合ってほしいって。
心臓がとまるかと思うくらい驚いたけど、それより嬉しさのほうが大きくて。
「――ほ、ホントに…?」
「ほんとに!」
「本当に?」
「もう、本当だってば。僕、こんなに緊張してるのに。冗談で告白なんてしないよ。」
そう言いながらも、篤人くんがふわって笑うから。わたしもつられて、笑顔になる。
「あ……あの、うん、そうだよね、はい、えっと。……こちらこそ、よろしくお願いします。」
びっくりして、ふわふわして、ドキドキして、よく分からない気持ちのまま、よく分からないことを言った後、わたしはぺこりとお辞儀をした。
「うん、よろしくお願いします。」
顔を上げると篤人くんと目が合って、わたしたちは自然と笑い合った。