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「…………!はうぁ!」
「どうした?」
ようやく息も落ち着いたので床から顔を上げた瞬間、俺の前にいてこちらを見ていたらしいルチェが奇声を発した。さっきまで何かオランと話していたみたいだが……?
その隣で情けない叫び声をあげた、俺と同じくへたり込んでいるオランはルチェがおかしくなるのと同時にずざざざっと俺の方へ避難してきた。…………正直、何故か俺狂いになったルチェから逃げるには俺以外の人間に近づくのが一番だから、原因の俺に近づけば逆効果としか言い様がないのだがな…………。
「りゅうとくんが頭につけてるのは赤いバンダナだね、ふふふ、僕とおそろいだね、とおっても嬉しいよ!」
「…………鉢巻きのほうが正しいがな」
もさもさになっていた髪の毛を、今世前世含めて一番短くバッサリ切られ、邪魔なので鉢巻きのようなもので髪の毛を止めていたが、銀髪に目立つ赤い何かを巻いていたルチェからみるとそれはバンダナらしく、またそれは揃いだと言い張った。
そのバンダナ?はルチェの場合は恐らく、髪の毛を留めるわけでもない、ただのおしゃれなんだろうがな。しょっちゅう顔の前で何かを払う動作をしていたから前髪は邪魔だったんじゃないか?何故バンダナで留めない。
ちなみに髪の毛を切られたのは地味にショックだった。まぁ、お得意の「一番相応しい態度」になることで表面には出していないが。……そうだな、髪は女の命っていうだろ、今世の方がもう四、五年長く生きているが、心の中には確かに前世の「私」が今世の「俺」に生きている。
性格には、最初は意識全てを「私」が乗っ取っていたが、徐々に体の持ち主の「俺」の自我も出てきてゆっくりと結びついていったと言うべきか。最初から結びついて生まれた自我だと言うべきか。どうせなら新しい体という意味では視力を、「俺」にとっては初めての生なのだから母国語ぐらいは知識的な意味で、言葉をなんとかして欲しかったがな…………変わったのは人格だけだ。まぁ、正直に言うと価値観が少し変わった気がしないでもないが。そうだな……、ぬいぐるみと寝たくない、とか。それは主にビジュアル的に。成人男性がぬいぐるみと寝るとか、十歳の時と違って視界の暴力でしかないからな……。想像をルチェでしてみたが、大分気持ち悪い。オランですると作っている姿しか思い浮かばないが。裁縫が上手いのは実に羨ましい。
ってなんでルチェは昔みたいに「リュートくん」に呼び方が戻ってるんだ。しかも俺でも分かるぐらい言えてないし。「リュート」が言えてないし。他にも俺並みに言葉が子供っぽくないか?大丈夫か?
「最高に格好いいリュートがつけるのに、『鉢巻き』だなんて言わないで!
……いや、リュートが言うなら、『鉢巻き』も格好いいアイテムになるんだけどさ!聞こえる、じゃなくてなるんだけどさ!」
「…………」
「つくづく思うよ。リュートって災難だよな、ルチェといえば普段はイケメンのくせにこんなに残念な変態だし……ここまで懐かれた上に従兄弟なんだからな…………」
同情するならこいつを止めてくれ…………。昔よりも別人のように性格がよくなったオランだが、人以上に心の弱さ…………というか、ビビリ、か?臆病さは前よりも確実に酷くなったオランが勇敢にもルチェから俺を助けてくれるわけが……ないよな。ちょっとだけお前に助けを期待した俺が馬鹿だった。本当、大間抜けだった、畜生め……。
「とてもお似合いですわ、リュディトゥ様っ!短髪もお似合いですのね!」
「ルーウェンス様も、以前のような短いカットがよく似合っておりますわ!」
メイドたちの賛辞に今は返す余裕もなく、せっかく顔をあげたがまた、がくりとうなだれた。ルチェからの視線って以外と精神的にダメージがあるんだな……疲れる。
オランから同情したような視線を感じたが、お前も疲れきった雰囲気が表情の見えない俺にも分かるな……。ひしひしと伝わってくる。
「オラニウス様は横の髪の毛を一部伸ばしたままにしましたわ。少し癖があるのがとても似合っておいでですわ。後ろはリュディトゥ様より短くしましたの」「あはは……オラン如きがリュートと同じように髪に巻き癖があるなんて生意気だよ……なんで僕はリュートと全く正反対なツンツンした頭なんだい……?」
そして、うっかりルチェの言葉に耳を傾けたせいで顔が引きつったのが分かる。ルチェ……目を覚ませ。室内の俺の酷い顔……というか恐ろしく鋭い目つきを良く見ろ……一瞬で幻滅出来るのにな。
そこからは無駄にダメージを受けないようにルチェの言葉はなるべく聞かないように、翻訳しないようにした。……無駄だったが。
・・・・
・・・
・・
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「…………リュートは随分と社交的になったのですね、あなた」
「いやいや、そうでもないよ。最近は口も開かなかったし、話しかけてもくれなかった。ミーミルファンにいたお陰で俺も自然な喋り方をするようになったよ…………威圧的な話し方は随分と肩が凝ったもんだし」
ふわりと柔らかい笑みを浮かべながらリュートを見るウルガは、私の良く知る威圧的な話し方でも、貴族らしい丁寧な話し方でもなく。その浮かべている表情すら、見たことも無いような穏やかなものでした。
勿論、私の可愛い……いいえ、もう可愛くなどはありませんね……大切なリュートは、ルチェくんたちと話すときは随分とざっくばらんな……文法だとか、発音だとかを気にしない話し方をしています。それがとても似合っていて。リュートが輝いて見えました、十年前のあの頃よりも。そう、とても自然だったのです。
浮かべる表情すら、ルチェくんやオラニウス様に比べれば乏しいですが、確実にあの頃より豊かですし、貴族の息子という重責に押さえつけられたような苦しい笑みは見当たりません。先ほど私に微笑んだ、ぎこちない笑顔も嫌な感じはしませんでした。
私が会えなかった間にも、リュートは大きく成長していったのだ、と深く思います。そしてこの十年の毎日の夜と同じく後悔するのです。
もし私が魔法を学ばなかったら。もし、私がリュートに無理矢理魔法を学ばせていたら、と…………。
私が魔法が使えず、尚且つ運が良い人間であれば私は魔族にならなかったでしょうし、この国に閉じ込められることもなかったでしょう。
もしもリュートに無理矢理魔法を学ばせていたら、魔族になったリュートと私は少なくとも一緒にいれたでしょうし、ルチェくんやオラニウス様のように微かに魔法が使えるだけで魔族にならず、やはり私が魔法を学ばなかったらという後悔をしていたかも知れません。
……息子と一緒にいれなかった日々はあまりにも長すぎました。幸いにもリュートは聡明でしたから私のことを、私の存在のことを違和感なく覚えていましたが、リュートが私のことを気にも留めていなかったら、私がリュートの母親であることをすっかり忘れてしまっていたかもしれないのです。 愛する息子に自分を忘れ去られてしまう。このような恐怖は他にあるでしょうか……?
だから、私は感謝してしまうのです。ここにリュートが帰ってきたのはリュートの先生が亡くなってしまわれたからでもありますし、リュートたちが大怪我を負ったからでもあります。
でも、愛する息子に再び会うことが出来たことを、感謝するしかないのです。呪われた血に……呪われた体に……呪われた種族、魔族になってしまったのに、リュートに再会できたことを、感謝してしまうのです。
難産でした。




