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「賢者……さま」
目立つ行動をしない魔族を見張っていると、急に空から降ってきたのはあの賢者様。…………賢者様はさっきまで俺の後ろに居たはずだが、どうしてあんなところにいるのだろう。いつの間に空を飛んだんだ?
賢者様はいつも特徴的な服を着ているから俺でも分かる。すぐ横に居たオランが息を呑んだ。
「やぁやぁ」
不思議に響く声で賢者様が魔族に一礼する。途端に固まっていた魔族は俺達に背を向けて賢者様を警戒し始めた。…………賢者様は何かしたいのだろう。フレンドリーに話しかけているようだが、表情は俺には分からない。何を考えているのか、謎で仕方がない。
「馬鹿な我の同胞は、今になってここに何しに来たのかな?」
賢者様が紡いだ言葉は、静かな挑発。それに反応して微かに魔族から殺気が飛び出した。が、賢者様に襲いかかる気配はない。賢者様は、確か強さ故に魔国から追放された。勿論、人間に友好的だったのもあるが。
そんな賢者様にそうそう勝てるとは魔族も考えていないのか、警戒心が強まるばかり。賢者様に手を出すことも出来ず、撤退することも出来ずにただそこにいるだけ。
「魔王様のお心だ」
「全て魔王様が望まれたこと。お前に伝える義理はない」
意を決したのか、沈黙を止めて喋り出す魔族の言葉に賢者様はくつくつと笑い出した。
「くっくっ…………魔王、魔王様……そればっかりかい。君たちはその魔王が居れば幸せなんだねぇ、くっくっ……」
贔屓目に見ても不気味かつ気味の悪い、はっきり言ってしまうと気持ち悪い笑い方をしている賢者様に、魔族が後ずさった。賢者様が笑い始めてから、空から何やら不思議な光が空から降り注いでいる。それに魔族は気づかない、他の皆も気づかない。
賢者様は笑いながらも下がる魔族に一歩、また一歩と歩み寄る。降り注ぐ光も強くなっていく。
「ひひっ、我も一応魔族なんでね。君たちのように縄張りを侵略してくる奴らは嫌いだし、我の楽しみを奪うのも嫌いだ…………安心して剣士殿の剣の錆におなりよ」
相変わらず笑い続ける賢者様は不意に俺の後ろに現れた。びくりと固まるルチェと肩を不自然に揺らすオランは、恐る恐る賢者様のほうを振り返ったが俺は後ろが怖くて見れない。今なら目とは違うもので賢者様の不気味な笑い顔が分かる、分かってしまう気がしてしまったからだ。
「さぁ行っておいで。この地に足を踏み入れた魔族に弱体化の魔法をかけておいたし……ひひっ」
賢者様はまだ笑いながら、いつの間にか手に持っていたらしい杖らしきもので俺を軽く小突いた。
足が勝手に前に進み、魔族の前に踊り出してしまったので仕方なく剣を構えたが、何故かはめられた気がしてならなかった。魔族との戦いは望んでいない。俺が戦いたいのは魔王なのに。
・・・・
・・・
・・
・
「誰だ、貴様!」
「…………生き残りの人間、とでも言えば良いか?愚図共」
目の前の男は、まだ若い。逃げ出した人間の中には確かにあの頃十歳の餓鬼も居たようだが、それがまさか生き延びているとは。
真なる魔族と同じ黒髪に、金色の目。間違いない、あの憎たらしい女賢者の孫だ。魔法なぞ使えない人間のくせに、妙な威圧感と底冷えする恐怖を飼いならしてやがる…………。
変に舌っ足らずなその青年は抜身の大剣を軽々と持ち、ひょいと振るった。
次の瞬間には抉れた大地が茶色の土を晒した。成程、人間だ。力がある。
「…………貴様、もしや一人で我ら真なる魔族と太刀打ちする気かっ?!」
「お前たちにはどうでもいいだろう?」
面倒くさそうに目を細めたそいつは、ス……と剣を構えた。
「だが、まぁ、……三対一ぐらいで負ける気はしねぇな……軟弱な魔族共?」
こいつは危ない、危険だ!そう警笛が頭のなかで鳴り響く。他の二人も同じだったらしく、魔術を無詠唱で使い、炎の魔法をそいつにぶつけた。俺は雷の魔法を同じくぶつける。先手あるのみ。死にたくないなら戦う……特に、こいつのような永遠に相しれない人間には手加減はいらない。
だが、いつまでたっても地に倒れる音も、僅かな悲鳴も聞こえない。
と。光のように素早い矢が仲間の一人を掠めた。次々に降り注ぐ矢はとうとう一人の腕に突き刺さった。
「ぐっ?!……弓使いがいるのか……!厄介な!」
村の中であるのに、森のように木があるここでは、弓使いなど見つけにくい。だが、遠距離から攻撃してくるのは厄介だ。早く探して始末しなくては……。
だが、それは叶わない。魔法によって燃え尽き、死んだはずだと思っていたさっきの青年が……ほとんど無傷で仲間の首を無造作にはねたからだ。吹き出す紅い血は、俺の頬を濡らし、もう一人の仲間は全身に浴びた。
「…………!」
「へぇ……仲間が死んでも声を上げないとはお見逸れした」
頭から足の先まで血塗れとなったそいつは、ギラギラと光る金色の目を吊り上げて、狂っているかのようにニヤリと笑った。
仲間の死は、悼むもの。だが、その時は。それをする余裕すら無く……この地へ来てしまったことを後悔するしか無かったのだ。悪魔の住まう場所、未開の地は、十年の年月で地獄と化していたのを、知らなかったせいで。
必死で流血表現の十五禁にならないようにぬるめ表現。




