28
むしゃくしゃして家から飛び出した。密林に一目散に走り、獣も魔物も無視してただただ走る。茂みを駆け抜け、大木の隣をすり抜け、蔦を避けて走る、走る。
「……いっ?!」
目の前の障害物ばかりを気にしていたため、伸び放題の髪の毛が蔦に引っかかった。手を伸ばして、引っかかった部分を千切り、また走る。とにかく奥へ、誰もいないところへ走るために。
・・・・
・・・
・・
・
「きな臭いねぇ」
真っ暗なそのねぐらの中、脳天気に間延びした賢者の声だけが響く。不思議に反響するその声は、高密度の魔力を放出していて「人間」の類は近寄れなくなっていた。
賢者は独り言を呟きながら、瞬く間に自宅を分解していく。
「やれやれ……魔王も生き急いだもんだよ。我や他の賢者のようにこの、愛すべき自然から半分ぐらいは切り離されているのにね…………。全く、生まれた時から呪いの生を受けた魔王が生命の塊みたいな人間に手出しするかねぇ……」
光を撒き散らし続ける不思議な色の目を三日月型に細めた賢者は立ったまま浮かび上がった。
そのまま村全体を見下ろせる位置まで浮かび上がった賢者は、幻の雲を創り出し、それに乗りながら二人の青年の姿を水晶に映し出した。
表側には無言ながらも昏く激しい憎悪を宿した目を空に向け、湖畔に佇むリュディトゥが。裏側には絶叫しながらひたすらに走り続けるルーウェンスが映っている。
その水晶球をくるくると回しながら賢者はまた独り言を呟く。魔族である以上、人間としての「属性」に欠ける賢者はリュディトゥのように剣も持てなければルーウェンスのように地を駆けることも困難だ。だからこそ現世についての考え方が違う。親しい者たちについても、住み慣れた場所にも執着心が薄く、自分にしか興味はない。だが、この賢者は異端であり、そうではない。自分にも、自分の安全にも興味はないのだ。あるのはただただ貪欲なばかりの知識欲だった。
異端といえば、魔王も異端。魔族は普通、あれほどまでに感情的でなく静かに生き、他の生物に興味など無いのが普通だった。魔王は人間を遥かに超える貪欲さを持っていた。
「……ふむ。我はどうするべきか……、剣士殿や弓士殿はどうやら正面から戦う気……」
心など関係なく、その身を邪悪に落とされた賢者は身に余る闇の力には興味はない。彼に重要なのは、自分が狂ってしまわないことだけだった……。
・・・・
・・・
・・
・
「うわっ!そんな格好で入ってくるなよ……」
何故か水に濡れてぐしゃぐしゃになったリュートと汗が滴るルチェを小屋から追い出す。リュートがあんな行動を取ることは滅多に無いからいいけど、ルチェは鬱陶しい。適当に水の中に叩きこまれたら少しは綺麗になるだろうけど……どうやったらあんなにドロドロになるんだろうか。勿論水にルチェを叩き込むのはリュートだ。彼ならやってくれるし、ルチェはきっと喜んで飛び込むだろうし。
…………だから残念なんだ、ルチェは。好きな子がだから引くんだ。
扉を開いてふうとため息を吐いていると、足首をがしりと掴まれた。
「ひぃっ!」
「………………着替え」
恨めしそうなリュートに俺も小屋から追い出された。あれ、着替えは?
「…………馬鹿?」
「リュートに馬鹿とは何だ馬鹿とは!」
あの短時間に水中に叩き込まれたルチェはリュート同様、水を滴らせながら反論する。ペタンとなった髪の毛が面白い。
「着替え全部干してて着るものがなかったら作れ……とかこの非常事態で無いよ」
「お前がもっとまともな服を着てたらリュートに貸せるのに!僕なんか貸したくても貸せないんだ……!」
パチパチとはぜる焚き火の前で吹っ切れたようにいつも通りなリュートは我関せずとばかりに肉を焼いていたけど、ルチェの叫びにピクリと反応した。そういえばルチェは身長が伸びた。言ったら物理的に殺されかねないから決して言わないが、身長差は兄弟だと言っても他言ではない。リュートとルチェは。俺ですらリュートより伸びたから、リュートのコンプレックスは計り知れない。
「身長くれ?」
「…………出来ないからこそこの虚しさ」
「そういえばルチェって一番小さかったのによく伸びたな」
ルチェの背の伸びようはまるでゴムのようにびよんびよんとしていたな。嘆きながらも絶対にリュートから目をそらさないルチェは頭が心配だ。
首を傾げて頼むリュートに身悶えするルチェの感性に理解が出来ない。それは行動が普通で可愛らしい人がやれば悶えはするけど、…………リュートは片手に血塗れの包丁を持っている上に無表情だから、な。女の子は別の意味で悶えそうだが。リュートはここらで一番凶暴で強い。可愛らしさのかけらもない。その代わりどれだけ頼れるか。唯一女々しい要素といえば髪が長いことか。だがリュートに睨まれてルチェ状態になるヤツが何人いるのか。
「ルチェも湖に飛び込めば良かったのにな」
「湖に飛び込んだら僕、沈むから!」
成程、リュートがやらかした馬鹿な行動は湖に飛び込む、ね…………。泳いで頭を冴えさせるとはなかなか考えるね。ルチェは汗だくだったから密林にいたんだろう。この暑い時期に。阿呆だ。
「泳がないのか」
「泳げ……ないよ」
もごもごと呟いた言葉はリュートに届いたようで、小さく笑われていた。
泳げない。つまり、…………。
「魚……」
「……………魚、か。懐かしい響き……」
魚が捕れないから肉オンリーな食事をしていたんだ、と。ルチェ……頭悪い。そして体にも悪い。
リュートの手によって頭を叩かれたルチェは久しぶりの魚を貪っていた。おい、羨ましくないからな、こっち見るな。リュートの魚を自慢するな、鬱陶しい。
・・・・
・・・
・・
・
緊急事態でのんびり三人組。いつも以上に時間はゆっくりです。




