『17』
悔しくて。今まで、一生のうちで負けたこともなく、悔しい気分なんか味わったことがなくて。俺は一番強いのだと、本当に伝説のように強い、流石に剣聖や賢者には劣るとはいえ、そこら辺の伯爵家の、それも同じ年の少年に負けるだなんて思っていなくて。俺は一番強いんだ、と。父上以外の誰よりも偉くて、一番強いんだと……信じていた。心の奥底から、絶対に勝てるのだと盲目的に。
卑怯な思いで、悔しくてしょうがなくて命までとってしまおうと、本気で投げた剣はやすやすと片手で止められ、目の前で剣は折られ砕かれた。奴の歩いた後は地面は崩れ去り、そして、やっと、やっと知ったのだ。俺は弱者で、こいつは強者で……間違っていたと。俺は、間違っていたと。俺は一番強いんじゃないと。強い者はいっぱいいて、俺は世界を知らなかっただけなんだと。黒色が劣っていることはないんだと……。
その後、俺はその負けた相手……リュディトゥに会いに行った。何故か……俺の考えの答えをくれるような気がして。命まで狙った相手なのに、何故か答えてくれる気がして……。
大嫌いで、蔑むべきで、汚いと信じていた黒色の人物。その人物は、そうではなかった。小さい頃に教えられた、黒色ではなかった。あの教えは間違っていたのかもしれない。そう、初めて思った。そして、初めて自分の目で見聞きをしようと思ったのだ。
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『黒い色を持つ人物は、いつでも悪なのです……』
『何故?兵士長の目は黒いよ?ほら、リンゴをくれた女の子の髪の毛も黒だったよ!あとはね、そうだ!前に来た貴族の女の人は髪の毛がつやつやした黒だった!』
幼い時の記憶。教えられたことは全て真実だと信じたあの頃……。そこに母上は居ない。父上は俺を見てくれない。話し相手は大臣と、教育係と称された、幾人かの人間だけ。母上は亡くなられていて、俺は、実質的には一人ぼっちだった。そして、その教育係に見切りをつけられてしまうと俺は話し相手すら失ってしまう状況で、必死に、見切りをつけられないように従ったのだ。
『黒い色は危険です、王子。リンゴを食べた日、王子は熱を出しましたね?毒がリンゴに入っていたのですよ。兵士長とは話した日、王子は怪我をされましたね』
『……兵士長と怪我は関係ないもん』
今は、違う。教育係のことは信じない。自分で、本を見たりして考える。だけど、この頃のように自分に都合がいいばかりの本は今はない。…………それでも俺は、過去に教えられた都合のいいことばかりを信じ、都合の悪いことも言う現在の教育係の言葉は一切聞いた覚えはない……。
『兵士長は今はいませんよ。殿下に怪我を負わせるように企んだ罪として国から追放されましたから。
知っていましたか?兵士長の本当の姿は魔術師なのです。呪いを殿下にかけたのですよ!』
『嘘だ!』
最初は流石に突っぱねた。そういえば、この時は全部が全部を信じていた訳じゃなかったな……どうして、そうなったんだっけ……。記憶が、混乱していてしばらく思い出そうともしなかったな……いつからかそういうのはなくなったが、……思い出す必要がないと信じ込んでいて……。
『魔術師!殿下にあの魔術を!』
『イヒ……報酬はちゃんともらうよ……?』
『勿論だ!早く殿下に呪いを!従順にさせる魔法だ!』
そうだ……記憶の金剛は魔法のせいだ。たしか、あの後すぐに神聖術師によって解かれたが……魔術師の黒い目と黒い髪がフラッシュバックして……刷り込まれたんだ。恨みを。魔法によって。そして、幼い頃の心を染められて……。魔術師の黒髪と黒目にトラウマを持って……歪んだ記憶、嗚呼、違う……。
『…………』
誰も俺を見なかった。知ってたんだ、大臣が俺をつかって成り上がろうとしているのを。知ってたんだ、あのリンゴはすり替えられたものだと。知っていたよ、兵士長は俺を助けようとしたけど叶わなかったんだ。知ってたさ。でも……嫌われたくなかった。この人達に嫌われたら、俺は殺されるかもしれなかった。恐ろしくて、記憶を自ら封印したんだ……。
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「………………」
「こんばんは、王子殿下。
何かご用でしょうか?」
無感動な声は恐ろしいばかりの彼の美貌に消されてしまう。瞬く目は黄色ではなく、美しい金色だった。向けられたこともないような鋭い視線は、自分のやったことを考えれば当然だった。かすかに揺れる黒髪に、久しく思い出したトラウマを思い出して少し怖くなった。だが、違う。彼は違う。それを知っている。彼はあの魔術師ではない。
「……たしか、お前の名前はリュディトゥ、だったな?」
「はい、殿下。
私の名前はリュディトゥ・スゥバァ・アッディ・アースルヴァイツです」
すっかり忘れてしまっていた彼の名前は必死に思い出したのだ。思い出してみれば妙に気になる名前は、確か数年前に突如消えた侯爵家の息子に似ていた。
やはり初めにも思ったのだが、無感動で抑揚のない声は時折妙に発音が舌足らずで、そこがかすかな疑問になった。英才教育を受けている様な身分の子供にはありえない。聞き間違えだと、今の問題はそうじゃないと振り払う。隣に控える近衛兵が、あまりに鋭い彼の視線にわずかによろめいたのを視界の端で捉える。
「……俺は、オラニウスだ。
なぁ、どうしてお前はそんなに強いんだ?」
謝りたい。やってしまった失態は、王族だとか平民だとかは関係なく酷いことだった。言い訳もないような酷いことだった。だが出た言葉は心に秘めていた疑問。彼の鬼気迫る強さ。まるで鬼神如く剣をへし折った少年と、本当に同い年なのかが気になった。
彼の今の服装は先程はとは違う、簡素な服。その後ろに沢山並ぶ剣は、さっきのレイピアだけじゃない。兵士の持つような剣や、俺には到底持ちあげられないであろう大剣や、不思議に曲がった剣……数は三十を超えるような様々な剣はどれも新品には見えなかった。つまり、どれも少しは使えるということだ。その事実に気づいた途端、寒気がした。そんな相手に喧嘩を売ったという自分の無謀さに。剣の手入れをしたのか、普通よりも一層輝く冷たい刃に更に身震いした。
「……どうして、と聞かれましても」
「じゃあ、どうして歩くだけで闘技場の地面が砕けるんだ?」
「……」
質問に質問を重ね、謝ろうとタイミングを図る。が、気恥ずかしさか。謝ったことなど無いからか。到底言えそうにない。代わりにした質問は、彼の少し困ったような表情からしてどうして、などと聞かれても分かるものではないようだ。
あの闘技場で俺が地団駄踏んでも地面は砕けないような気がするが……。否、体重もあり、筋骨たくましい獣人にすら出来るかどうか。そんな力がこの、少し自分より背の高い、だが俺よりも華奢に見える彼が出せるという事実は信じようにも信じられない。目の前で見ていても……。
「なぁ、どうして……俺はこんなに弱いんだ?」
心が。弱くて。それから……弱い故に逃げて。言い訳もできないようなことをして。謝りたくて、謝れなくて。代わりに出た質問は本心ではなくて。
だが、どうしてか……俺がここに来てから隣の客間から破壊音が聞こえるのは何故だろう……隣は確か、銀髪のルシェヴァルツだったような……。……別の意味で、寒気がした。




