『10』
さて。ルチェから面白そうな本を借りたわけだが……。
前述のとおり、前世から俺は重度の活字中毒で、本自体は大好きなわけだが…………。前から歴史物は好きだったし、ファンタジー系の本は大好物だった。だから、剣あり魔法有り魔物ありであるこの世界の歴史書は俺の好みの本の、いわいる「ど・すとらいく」的なものではある。低能な翻訳機能しか持たない俺でも、端々の歴史にはときめきを感じるぐらいだからな。
借りた本の表紙に題名は書いていないが、ルチェの話からすると、第三者からみたこの国についてだ。とても興味がそそられる。この国は古くからある国だし、騎士やら王やらの伝説が豊富だし。
ただ、重大な問題があるせいで嬉々としてページをめくることが出来ないのだ。
御存知の通り、ここの世界の言葉に非常に疎い俺としては……辞書を片手に読んでも、その辞書の説明の言葉をもっと易しい辞書で調べるくらいなのだ。しかも、この本は歴史書。難しい語句は大量に出てくる。言葉ひとつに酷ければ三十分はかかるという、非常に面倒くさいもの。易しい辞書に載っている言葉さえわからない時まであるぐらいだからな。
「………」
だが、おそらく言葉を理解さえすれば内容はとても面白いはずだ。寝る前の読書にしては頭を使うが、もってこいといえばもってこいだ。ただ……。
この歴史書をルチェに返せる日がいつ来るか、ということである。
昨日、必死に辞書を引いて読んだわけだが、二時間ほど粘って読んで、だいたい十ページだ。因みにこの本、余裕で五百ページは超えている。勿論、読まずに返すという選択肢は無い。とても失礼だしな。何より返してしまったら気になって眠れないだろう。
「………………」
さて……どうしようか。恥を忍んで読み上げてもらったとしても意味がわからないし……地道にやるしか無い、とか……?…………先が不安だ。人生も、友好関係も。
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「すごくリュートくんが最近悩んでいるのよ。
気づいているかしら、あなた?」
「勿論だ。リュートが悩み始めたのは……ルシェヴァルツに行った日からだな」
相変わらずかび臭く、少々じめじめした地下書庫にて。
最早日常化した、「リュート話」をアースルヴァイツの愉快な人々は始める。議題はいつもリュートのこと。「リュート会」の予算が動くのもリュートのこと。考えるのはリュートのこと。極偶に「リュート会」所属のメイドがこの場に来ることもあるが、基本的にここで話すのは親馬鹿リュート馬鹿である、リュートの父、ウルガ・アッディ・ルシェヴァルツ=アースルヴァイツとリュートの母、シェーラ・スゥバァ・アディルフィーネ・アースルヴァイツのみで、この会は構成されている。仲間になりたそうな使用人はまだ未加入だ。
今日も今日とてぴちゃんぴちゃんと雨漏りがなぜかしてしまうほど陰気臭いこの図書室では変人アースルヴァイツ衆が鼻息も荒く溺愛するリュートについて語りまくる。
「流石に、リュートくんが部屋に帰ってからは存じ上げませんけれど、いつもため息ばっかりで。
剣の教師のアルバさんも心配しておりますわ」
「そうだな、俺も家庭教師のレスティンに相談を受けたところだ」
その噂のリュート、単にカルチャーショック、言葉の壁にぶち当たって迷いながらもどうしようかと一人悶々と考え込んでいるのだが、過剰にリュートを信じきったこの二人、そのリュートがどれだけこの言語に不自由で困っていて、頭を悩ませる羽目になっているのを知る由もない。話せば最低限の返事がかえってくるのでただ無口だと思っているのだ。無口、という点では間違っては居ないし、もともとそうお喋りするような性格ではないが、ここまで黙っているのはおかしいと、何故か二人は考えない。その上緊張やらのせいで無表情に固定されたリュートはどこか大人のびた雰囲気を醸し出し、育児放棄にも似た状況が更に悪化していく。
話せるレベルで言えば、リュートは敬語なら英語に例えて一般的な先生級、ただし応用はほぼ全くできない人間で、ルチェなどと話すやや砕けた言葉にいたっては成績の悪い中学校三年生レベルの言語知識があるかも怪しいのだ。しかもこの言語、英語と違って、全く予備知識のないリュートは更に壊滅しているのだが。
「話は変わるけれど、そういえば、リュートくんはすごく数術が得意だったわね」
「そうだな。数学者もリュートの回答に驚いていたな」
そこで話はリュートにとって至極どうでもいい方向へ進んでいき……今日も勘違いが深まった。数術なぞ、言葉の難しさに比べればリュートにとって簡単にもほどがあるどうでもいい話なのだ。
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「…………『もう日本語で話してやろうか』…………いや、駄目だろう……」
辞書引きにつかれたリュートは呟きながらも歴史書を読み進める。気分は意味の分からない古代文字を解読する学者だ。それよりは辞書があるのでマシかもしれない。だが使用言語もまた未知の言葉。
「…………それにしても、何故これだけアースルヴァイツは褒め称えられるのだろう? 」
古来より続く家だが、階級は中級。伯爵家だ。王族の血も引いているのはごく僅か。役に立たないほど王位継承権は低い。十番目やら二十番目も怪しく、三十番目ほどだ。レッサヴィーラ以外は。そのレッサヴィーラの王位継承権も十五番。それがリュートの血の濃さだ。一番は…………直系の王子らしい。
「やはり、先祖のローディ様やキルディエット様が有名だからだろうか」
ローディは女騎士で、王の危機を救い、国を守った英雄だ。キルディエットは女人として初めて賢者の称号を得た者でリュートの祖母。存命で、不老不死の術を自らにかけている。今は何処かにふらりとさまよっているのだろう。
「…………謎だらけだな、この国は」
夜に呟かれる少年の言葉さえ、聞かれていれば勘違いになる。不幸な少年はどう生きるのか。




