彼女の復讐
第15回文学フリマに掲載する『モラトリアム三作』の一作目です。
同志社大学文芸同好会(イ-47)にて、本作と他2作を掲載した冊子を販売します。
佐々木恵美子は虚空を見つめていた。木曜日の五時間目のまどろみを、そうして彼女がやり過ごしているのをぼくは知っていた。佐々木はいつもそうだ。瞳の奥には漆黒をみなぎらせて、窓際の席から見える空には目もくれず、じっと天井の側を、首を数度ほど上に傾けて見ていた。授業は当然聞いていないようで、それは数学科の授業だから仕様のないことでもあった。ぼくや佐々木は、文系の私立大学に進学することを決めていたので、試験で利用しない数学という科目の存在に、ある程度の疑念を抱いていたのだ。ぼくは佐々木と同じ高校に通うことになってから、入学式以来まったく会話をしていない。私立大学に行くという情報も、人づてに聞いただけだった。男女が分け隔てなく遊べていた時期には、そのように佐々木に気兼ねしなかったものの、小学校の中学年かそこらを境に、めっきりと接点が減ってしまった。ぼくはまどろみをおぼえるような数学の公式の羅列をよそに、昔のことを思い出す。
記憶の断片をたどると、佐々木はいつもフリーライターになりたいという旨を、学年のはじめにある自己紹介で述べていた。小学校のころからどうやらそれは変わっていないようだった。今ももしかすると、将来像を夢想しているのかもしれない。彼女がフリーライターになりたい理由というのは、あまり明らかにはなっていないけれど、おそらく、彼女が小学生だったときに、彼女と関わっていた人々の記憶の片隅に残っているであろうある事件が原因だと読んでいる。ある事件というのは、佐々木の母親が殺された事件のことである。
一九九九年の二月。ぼくたちが小学生だったころ、ぼくは数名の友人とともに、佐々木のことを待ちわびていた。学校が終わったあとに、一度帰宅して荷物を置くと、すぐに公園に再集合するという、ぼくたちの中ではもっともポピュラーであった方法で、一緒に遊ぶ約束をしていたのだ。
佐々木の家は公園から近かったため、彼女がここにいの一番に現れないのには若干の不安があったが、そこにいた誰かが、「トイレでも行ってるんじゃない?」というと、途端にぼくたちはそれを信用しはじめた。遅れてきた彼女のことを茶化す文言を考えて、いくらか時間をつぶすのには何の疑問も生じ得なかった。ぼくたちは公園の中央にある、シンボルのようにそびえ立つヤナギの木の下で、空を見上げながら彼女を待っていた。寒空に一番星が浮かんでくるまで、ずっと。先に遊んでいればよかったのだろうけど、みんなはそんなつもりになれなかった。このあと起こる不幸を感じ取っていたからなのだろうか。あるいはただでさえぼくたちのグループで紅一点だった彼女を仲間はずれにして遊ぶのは、ちょっと気が引けたからなのだろうか。周りのみんなの頬や指先は寒さのあまりに赤く染まっている。自分はといえば毛糸の手袋をしていたので、寒さに関してはあまり感じなかったけれど、そうでない子も少なくはなかった。冬の雲を含んだ空は少しずつ闇色をはらんでいき、誰かが待ちきれずに立ち上がった。
「エミコの家に行ってみようぜ」
家はそう遠くないので、行ってみる価値はあった。どうせ彼女を連れてきたところで、もうほとんど遊ぶ時間は残っていなかったのだけれど、それでも呼びに行こう。そう結論が出た。公園を出て、徒歩十分と少し。その間に信号機がふたつ。子供だったころのぼくたちには、短いけれど、短すぎるとはいえないくらいの距離だった。
玄関から出てきた佐々木は、異様なまでに泣き腫らしていた。ぼくたちはその姿に、何かただならぬことが起きたのだと確信した。彼女から何が起きたのかを聞き出そうとするが、会話にすらならなかった。ぼくたちでは、彼女の心を落ち着かせるにはあまりに力不足だったのだ。翌日、佐々木は学校へこなかった。その翌日も、さらにその翌日も。結局、その週が終わるまで佐々木の元気な顔を見ることはなかった。
佐々木の母親は、地元では有名な小学校教師だった。教育熱心で、そのせいか評価は綺麗に二分されるような人で、あの事故が起きるまではよくお世話になっていた。身内を指導することがないように配慮されてか、ぼくの小学校に配属されたことはなかったけれど、休日には佐々木の家にたまに遊びに行くことがあったからだ。焼きたてのクッキーや紅茶をご馳走になったことがある。佐々木と一緒に勉強したときはよく解説してもらったものだ。また、年齢より若々しく見えたため、ぼくの母親よりもきれいだと思ったこともあり、ある種のあこがれのようなものを感じていた。人生というラインがほんの少し交差しただけで、これだけの記憶が蓄積されるのだ。それが、実の親子ともなればいかほどのものだろう? それだけ、失ったときの傷は大きい。
事故から少し経って、佐々木はフリーライターになるという夢を公にしはじめた。おそらく、新聞の地方欄のほんの小さいスペースを割いて書かれた、彼女の母親の死についての記事にたいして、何かしら思うところがあったからだろう。
「伝えたいことがあるから」小学生のころの彼女は、たしかそう言っていた。今では、同じクラスではあるけれど話す機会にも恵まれない。性別や、性格といった、根本的な部分でぼくたちは違っていったため、しだいに疎遠となってしまった。
先人の残したSF作品によると、民間の宇宙旅行や未来的な空飛ぶ自動車、人型ロボットなどの発明品が跋扈しているはずなのだけど、そんなものはまったく広まっておらず、しかし携帯電話の所有率は人口を超えてしまった。一人で複数台持っているケースがあるにせよ、人口のほとんどが遠くにいる他者とコミュニケーションを取ることができる携帯型端末が、比較的安価で手に入る時代というのも一種の描かれた未来像のひとつなのだろう。もちろん、ぼくとて他人事ではなく、携帯電話の一台くらい所有している。あまり興味を感じない、いわゆる『つまらない』授業のときにこっそりと携帯電話を使っている生徒も少なくはなく、それだけに余計に、何もせずじっとどこかを見ている佐々木のことが気になるのだった。
臆せずに話しかけてみようか。
そう自分に持ちかけてはみるものの、どうも乗り気にはなれない。それどころか、時間が過ぎていくほどに話しかけるタイミングをどんどん失っていってしまう。学校の話題のような日常にかかわる質問ならまだしも、どうしていつも上の空なのか、という質問をするのは、どうにも突拍子のないように思われ、はばかられた。
そうこうしているうちに、春が終わり、夏が来る。季節の影響は佐々木にも及んでいたようで、彼女のロングヘアーがショートへと様変わりしていたのはとくに興味を引いた。高校二年の夏だったので、来年は受験勉強で遊べないことを想定した生徒たちが夏休みに思い出を作るための計画をはじめていた。そんな中においても、彼女は上の空だった。
秋になり、彼女と話す機会が訪れる。体育祭の二人三脚で、偶然にもぼくたちはペアとなったのだ。はじめに言ったのは「よろしく」の一言だった。それをきっかけに、次の一言を搾り出すことが出来た。「佐々木さんってさ」声が裏返ったりしないか不安になる。「いつも上の空だよね」すると彼女は気にも留めないように、「そうだけど」と返す。それからは会話が続かなかった。
二人三脚の練習における事務的な会話は、わりとこなすことができたので、二人でそこそこ走ることが出来るようにはなっていく。決して速くはないけれど、チームの足を引っ張ることはないだろう。「速くなったね」事務的な会話の中に、さりげなく雑談を織り交ぜてみる。「そうだね」彼女は返す。
「でも、体育祭には出れないかも」ばつが悪そうに彼女は言った。
「どうして」ここまで練習したのに。そう言おうとするが、彼女の言葉と折衝してしまう。「やらなくちゃならないことがあるから」
このとき、彼女の目が爛々と輝いているのを見逃さなかった。
体育祭は、体育の日の前日――十月十二日の日曜日に行われる。その日に何かが起きる。ぼくは佐々木の行動に細心の注意を払って、その日の夕方から体育祭までの一週間強の間、彼女を尾行することにした。とはいえ、登下校の間だけだ。体育祭の練習で多くの生徒が遅くまで残っているため、下校時刻は簡単に割り出せたものの、登校時刻は翌日、朝一番に登校して、彼女が到着した時間から逆算した。自宅を知っているので、それは難しいことではなかったのだ。しかし、尾行をはじめて気づいたことは、とくになかった。彼女の部屋を、人目につかないように双眼鏡を使って覗いてはみたけれど、これといって何かをしているということはなかった。それどころか、本当に何もしないのだ。ずっと部屋に篭って、例のぼーっとした感じの表情を天井に向けるだけ。まるで人形のようだった。それをずっと続けていても不毛だと感じたので、これ以上覗くのはやめにした。また明日尾行してみようと、そう考えるだけにとどめた。
それから数日の間、幸いにも大きな動きはなく、体育祭まで残り三日となった。グラウンドには高さ五メートルはゆうに超えているだろう高さの櫓が完成し、その頂上には全クラスの作った旗が掲げられていた。テントの設営も先日終わり、応援合戦の練習も大詰めだったので、あとは開催を待ちわびるだけの状況となっていた。しかし、相変わらず佐々木に動きはなかった。ぼくは尾行を続ける。
季節はすっかり秋めいてきて、陽の落ちるころにはほんの少し肌寒く感じてしまう。佐々木の後姿を十数メートルほど後方から眺めながら、時折現れる紅葉にも目線をやっていた。見つかっても偶然を装えるように、あまりこそこそせずに歩くのが一番だと考えていたからというのもあるけれど、こうやって自然を感じていると子供のころを思い出せるというのもあったのだ。子供のころ遊んでいた公園の前に差し掛かったとき、公園のシンボルであるヤナギの樹と、それを取り囲むように公園の敷地の隅にあるサクラの樹をなつかしむように見ていると、ふいに声をかけられる。
「あの……」
佐々木だった。尾行を悟られないように平静を装う。
「どうしたの」
「昔、ここで一緒に遊んだの、おぼえてる?」
「うん。おぼえてるよ」
「よかった」
そう言って佐々木はきびすを返し、家へと戻ろうとする。
「それだけなの」
ぼくはとっさに彼女の後ろ姿に問いかけた。彼女はうつろな瞳をこちらへと向け、ほんのすこし逡巡したような表情を見せる。それからひとりで納得したように、「それだけ」と続ける。「それだけよ。やるべきことはやる。決意を揺らがせてはならない。計画はぬかりなし。それじゃ」
「待ってくれ」
無理矢理に彼女を押しとどめる。
「その計画って、まさかきみの母親のことじゃ」
彼女はなにも語らなかった。ただ一言、
「アサギテルミチ」
とつぶやいた。しかし、その音はあたりの雑音にかき消され、ぼくしか知る由のない言葉となってしまった。
体育祭当日、佐々木は宣言通り学校を欠席した。そのせいで午前の部では二人三脚のペアがおらず、しかたなく体育教師と組まされ、非常に男くさい惨状となってしまった。青春の一ページはかようなかたちで刻まれてしまったわけだけども、そんなことよりおととい佐々木の言った「アサギテルミチ」のことがずっと気にかかっていた。その名前について調べてみたものの、二日で調べられる情報量は非常に少なかった。おそらく同じ高校に通っているだろうことと、ぼくや佐々木よりひとつ年上であること。そして和太鼓の演奏を去年この体育祭で行ったこと。それだけだ。どうやらアサギ家では和太鼓の指導を行っているらしく、アサギテルミチ本人もそれなりの腕前を持っているということだった。
しかし、これらの情報は、佐々木の計画とはなにも結びつかなかった。あるとすれば、アサギテルミチの母校が、佐々木の母親の勤めていた小学校だったということくらいだろうか。
と、ここでひとつの発想へと思い至るが、あまりにも荒唐無稽すぎて一笑に付した。まさか、アサギテルミチが佐々木の母親の事故に関わっているなんて――
「続きましては、アサギテルミチさんによる和太鼓と、三年生の応援です」
アナウンスが会場全体に鳴り響き、思考は中断させられた。アサギテルミチが櫓に登っていくのが、遠目からもはっきりとわかり、ぼくは不安をおぼえた。高いところに登っていくというのは、もしかすると佐々木にとって好都合かもしれない。佐々木の母親は、学校の四階から転落死したはずなのだ。それを考えると、佐々木も同じ方法でアサギテルミチを殺害するのかもしれない。これが目的だったのだろう。高い櫓に登って、事故死を装うのだ。それなら、アサギテルミチがもし佐々木の母親を殺していたとしても、その復讐とはわからないはずだ。
しかし、本当にアサギテルミチが、佐々木の母親を殺したという確証はない。彼女がぼくの気をそらすために虚言を使って、その間に、別の人物を殺害しているのかもしれない。
そもそも、佐々木の母親は、たんなる事故で死んでしまったのかもしれない。佐々木が復讐として彼を殺そうと思い至った経緯も、まったくわからないのだ。
はじめからすべてが不明瞭で、ぼくは最初から蚊帳の外なのだ。だから何もできない。ただ、彼女が行動を起こすのを、指をくわえて見守ることしかできない。たとえ、どこまで尾行しても、どこまで観察したとしても、彼女が考えていることまで理解するというのは、とうてい不可能なことだった。携帯を持っていても、技術がいかに進歩しても、結局はディスコミュニケーション――人間同士の、完全な意思疎通なんてものはできないのだ。むしろ、発達したメディアによる情報の量だけが錯綜し、質のことはまったく考えられていない。それらの情報は、ノイズとなって事件の真相を知ることを妨害していたのだ。
考えに囚われているうちに、演奏は終わった。しかし、なにも起こることはなかった。佐々木の計画はハッタリだとわかって、少しほっとする。
その反面、何も起きなかったことに、いささかの退屈を感じた。情報の量だけが莫大に増えている現代において、ぼくたちは何らかの刺激を求めているのかもしれない。
何事もなく、無事に体育祭が終了し、テントや櫓を片づけている最中、誰かの悲鳴が聞こえた。とっさにその方向を向くと、そこにはひとりの中年女性が倒れていた。女性はおそらく、校舎の高いところ――たぶん、四階あたりから落ちて即死したのだろう。頭部がざくろのように裂けて、流れ出た血がきれいな円形を作っている。あたりにいる人たちが慌てふためいているさまは、あまりに異様だった。
「親殺しには、親殺しか」ぼくは死体を見て、なんとなく理解する。おそらく、被害者はアサギテルミチの母親なのだろう。そして、誰かが突き落としたような痕跡も見えないことから、この件は事故死として片付けられるのかもしれない。ぼくは、異様な光景に動じることなく、むしろ、やっと日常からほんの少し抜け出せるような開放感をおぼえる。同時に、佐々木の虚ろな眼差しと、決意を固めたときの煌々とした瞳のふたつは、間違いなく異常殺人者のそれだということを、今更ながらに思い知った。