そして、ロングロングタイムアゴー
──昔々。
世界イヴィーは、魔族、妖精族、竜族、人間がいがみ合い殺し合い、混沌としていたという。
イヴィーの東の大陸に、タトゥーナという人間の女性がいた。
彼女は絶大なる魔力で以て、たった一人で世界を渡り、平和と安寧をもたらした。
そんな彼女はあるとき、帰還の旅の途中でアウゼンベルグという名の剣士と恋に落ちる。
しかし彼は、タトゥーナを陥れようとする傭兵であり、彼女は彼によって討たれてしまう。
タトゥーナはアウゼンベルグを呪った。
タトゥーナは世界中をも呪った。
わたしが愛したというのに。
わたしが救ったというのに。
何故、わたしがこんな目に遭わねばならぬのか。
彼女の死に際の呪詛はタトゥーナ自身を剣に、アウゼンベルグを鞘へと変えた。
わたしで以て貴方を貫き、一つとなるまで、世界を赦さない。
そして剣は忽然と消え、鞘はこの世界のどこかで、剣が収められるときを待っているという。
呪詛によってその身に受けた、禍々しい瘴気を撒き散らしながら──。
「これが、イヴィーに伝わるタトゥーナ伝説。剣と鞘の物語とも言われてるね」
「はあ……」
侍女のメルボリーちゃんに櫛を手渡されながら、BBは、長いんだか短いんだかな伝説とやらを語ってくれた。
てか、メルボリーちゃんがいるなら、貴方がいる必要はどこに?
赤茶色のふわんふわんした髪を揺らしながら、「ではまた。ヨリ様、失礼致します」と可愛らしい笑顔で礼をして退室していった彼女を横目で会釈しつつ見送り、そんなことを思った。
メルボリーちゃんも淫魔族らしいけど、そうは見えなかったなあ。
人は見掛けによらないのかな。
ある意味、BBは見掛けによらなかったけど。
「ヨリはやけに髪が短いね。せっかく綺麗な黒髪なんだから、伸ばしてみたら?」
速攻で終わってしまったヘアブラシを残念そうに鏡台に置いて、麗しき絶世の美男は、ふうと溜め息を零した。
ちなみ、あたしはベリーショートの楽ちん加減が非常に気に入っているので、伸ばすつもりは毛頭ない。
ついでに、その誰それさんとか言う彼女の伝説もどうでもいい。
横文字の名前なんぞ、一辺に覚えられません。
いやでも、覚えておいた方がいいの?
少しずつ冷静になってきた頭は、情報を整理しようと躍起になってフル稼働中。
……また卒倒したりしたらどうしよう。
好きなことを考えたりしたりするのは苦じゃないけど、どっちかって言うと、考えるより動く方が得意なあたし。
断じて理論派でも思考派でもない。
ついでに言うなら、食後のデザートをスウィーツとも言わない。
ああ、また思考が逸れちゃった。
残念なおつむだわ……。
「よし、出来たよ」
鏡の中のBBが、にこりと綺麗に微笑んだ。
出来たのか。
出来たのね。
……
……
……何か、少年みたい?
少年少女の若かりし思春期時代はとっくの疾うに過ぎたし、そんなことを口にするのも確かにおこがましいんだけど……
だけど……あれ?
何か、気のせいじゃなければ、若返ってない!?
「ヨリはあんまり造形が崩れないタイプなんだね」
こわい!
意図せずしてモノローグと会話が成立しちゃってそうな、貴方のその発言がこわいよBB!
やめてよ、嘘でしょ、言わないでよ、お願いだから、
「馴染んでない内にしちゃったから、ちょっと副作用が出ちゃったみたいだね」
「やっぱりいいぃいいぃっ!」
言わないでって言ったじゃない!
言ってないけど、言った!
頭を抱えて叫んだ木村ヨリ、二十九歳独身。
不慮の事故で──若返ってしまいました。
さてさて、今さらだけど、あたしはあんまり女の子らしくない。
ボーイッシュってわけでもないけど、友達曰く、女の子特有のねちっこさとかぶりぶり感とか、そういう可愛らしさが大幅に欠けているらしい。
そして乳のボリュームも大幅に欠けているらしい。
体も華奢と言えば聞こえはいいけど、ガリガリで丸みもない。
初めてベリーショートにしたときなんて、「すごい!超似合う!ヨリ的ベストヘアスタイル!」と男女共に大絶賛されたくらいだ。
つまり、若い頃から少年のような外見だった。
キャップを被れば妹にだって、「お姉ちゃん、少年のようだよ」って言われたくらいに。
「まあまあ、昔話ついでと思えば。人間の女の子は、皆、歳は取りたくないものだって聞くしね」
……何をさらっと言ってんの。
ばちんとウィンク決めれば、大抵のことは許されると思ってんの?
こ れ だ か ら 美 人 は や あ ね !
偏見じゃないよ、今のは!
「いいわけないじゃん!」
「どうして?」
「どうしてってか。あのね、少なくともあたしは、二十九歳の自分が気に入ってたの!煙草も吸えるし酒も飲める!自分でお金も稼げるし、すきなこと出来るし!」
「セックスも出来るし?」
「……」
淫魔族って、頭の中セックスしかないの?
「大人なヨリもよかったけど、そうだね……発展途上のヨリも、背徳感をそそられていいかもね」
発展途上に戻したのはお前だ。
BBから、紫色のオーラみたいなのがほわんと立ち昇るのが見えた。
何、あれ?
すっと顎を取られ、肩から腰へと滑った手が、ゆるゆるとそこを妖しく撫でる。
トップスの裾からするりと侵入しようとしたBBの左手と、目の前の長い睫毛が伏せられたのは同時で──
で、
ガツ─────ンッ!
「いだっ」
あたしが頭突きを決めたのは、直後だった。
短く呻き声を上げたBBはしばらくおでこを押さえ俯いていた。
そりゃあまあ痛かろう。
かく言うあたしも痛かった。
……結構、痛いな。
「……やっぱり魅了が効いてない」
また使ったの?
もしかして、さっきの紫色のあれ!?
本当にやめてください、本当に!
むうっと睨みつけたなら、ぐいっと急に覗き込まれた。
「あれ、これはまた大変だね」
「……まだ、何か?」
「ヨリって何か特殊な力とか持ってた?」
「霊能力の類い含め、一切ないけど」
「そう……」
何、何なの、まだ何かあるの!?
もう本当にやめて、早くおうちでビールが飲みたい!
今日は奮発して発泡酒からビールに格上げして買ったんだから。
黒ビールなんだから!
一人今さらな憤慨をしていれば、
「おい、まだか!」
バターンッと躊躇の欠片もなく、硬派くんがドアを蹴破って突入してきました。
「トリエーチ、お前は本当にデリカシーがないね」
「お前に言われたくはない!」
どんぐりの背比べだな。
どうやらよくやく名前の判明した彼、トリエーチはばっとこっちを向いて……
「……本当に女なのか?」
失言を投げつけた。
さっきの真っ裸を貴方は見てなかったの!?