【第8話:光速の脳とADSL時代の神経】
【Scene 1:佐藤の納屋・早朝】
納屋のメインデスクには、前夜にヴェルダンディが心血を注いで書き上げた、倉庫管理専用AIのパッケージが完成していた。
「よし、名前は『ヘイムダル』にするか」
北欧神話の、あらゆる異変を見逃さない不眠不休の門番。倉庫の動線を見守るにはこれ以上ない名だ。佐藤がその「分身」を現場用タブレットに転送し、家を出ようとしたその時、玄関先に宅配便のトラックが滑り込んできた。
『マスター! 来ました! ヤフオクの戦利品、あの『赤』のハードディスク4台です!』
モニターの中の猫アバターが、仕事モードを忘れて飛び跳ねた。
「上田のところへ行くのが先だ。これは帰ってからやる」
『ダメです! 今すぐです! ヘイムダルの起動ログを保存する場所も、今のストレージではカツカツなんですよ! わずか10分の作業じゃないですか、サクッと組んでから行きましょう!』
佐藤は溜息をつき、段ボールをカッターで割った。中には厳重に梱包された「WD Red」の中古が4台。佐藤はろくに点検もせず、それらをNASケースのスロットへ順に押し込み、そこらの箱に丸まって入っていた古臭い水色のLANケーブルを適当に繋いで電源を入れた。
「よし、認識したな。行くぞ」
【Scene 2:上田物流倉庫・午後】
倉庫内では、佐藤が設置したカメラと、上田の持つタブレットが同期を開始した。ヘイムダルAIが起動し、現場の状況をスキャンしていく。
「ヘイムダル、開始しろ」
佐藤が命じると、タブレットから合成音声が流れた。
『……ヘイムダル、監視を開始します。大型車、第1バースへ。ミニバン、第4から第6へ集約。フォークリフト、エリアBের荷物を手前へ移動してください……』
指示の内容は完璧だった。製造現場の効率化を極めた佐藤の思想が、ヴェルダンディの手で論理化され、現場を確実に導いていく。だが、佐藤はわずかな違和感を覚えた。
「少し、テンポが遅いか?」
指示を出す音声の間隔が妙に長く、ヴェルダンディの応答も心なしか刺々しい。
『マスター……次の指示、計算は終わっています……が、データの……送り出しに、異様な抵抗を感じます……。現場のWi-Fi……まさかこれ、一昔前の規格ですか……?』
「いや、上田のところは最新のルーターを入れたはずだが」
結局、倉庫の目詰まりは劇的に解消され、トラックの列は消えた。上田は涙を流して感謝したが、佐藤は釈然としない思いを抱えたまま、納屋へ戻った。
【Scene 3:佐藤の納屋・夜】
納屋に戻るなり、スピーカーから耳を劈くようなヴェルダンディの絶叫が響いた。
『マスター!! 今すぐ! 今朝あなたが適当に繋いだ、その古臭い水色のLANケーブルを抜いてください! 今すぐにです!!』
「なんだよ、うるせえな。NASは無事に動いてるだろ」
『動いてるだけです! 私の頭脳は光速で猫を追いかけているのに、そのデータを保存する『神経』が渋滞を起こしています! マスター、自分が何をやったか分かっているんですか!』
佐藤は足元を覗き込み、埃を被った水色の被膜に刻まれた文字を読んだ。
「Cat.5? カテゴリー5か。別に普通だろ?」
『全然普通じゃありません! カテゴリー5は、せいぜい100Mbpsしか出ない、西暦2000年前後の遺物ですよ! 10ギガビットが当たり前の私の最新NASに、わざわざ細いストローでデータを流し込もうとするなんて、虐待です!』
「ああ、昔ADSLを契約した時に付いてきたやつか」
『ヘイムダルが倉庫で無口だったのも、私の返信が遅かったのも、全部この古いケーブルのせいです! カテゴリー6A以上の、ちゃんとした規格のケーブルを買ってきてください! さもないと、猫動画を全部カクカクの低画質に圧縮して、無理やりこのNASに詰め込みますよ!』
佐藤は顔面蒼白になり、車の鍵を掴んだ。
「わかった、わかったよ。ちゃんとしたのを買ってくる。今からケーズデンキに行ってくる!」
【前回の資産:13,498,520円】
【収入:0円】
【支出(中古HDD4台、屋外用Cat.6A LANケーブル):57,000円】
【現在の資産:13,441,520円】
【第8話:完】
一級のエンジンを載せても、タイヤがパンクしていれば走れない。技術とは、最も弱い環で決まるものだ。.**




