表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/75

【第39話:始動】

【Scene 1:夜明けの納屋、決断の朝】


 早朝の冷え込んだ空気が、開け放たれた納屋の扉から流れ込む。 智子、牧野、藤田の3人が

「おはようございます」

 と、白い息を吐きながら出勤してきた。

 佐藤はマグカップを置き、3人を呼び寄せた。

「おはよう。早速だが、昨日のあれ、事業として動かせるか試してみるぞ」

 場が静まり返る中、智子が眼鏡の縁を触りながら口を開いた。

「佐藤さん。まだ一円の売上もありません。博打にするには早すぎませんか」

「分かってる。だから一番金がかかる精製プラントをどうにかする。まともに組めば2000万、3000万は下らねえ。今の俺の資金じゃ新品なんて逆立ちしても買えねえからな」

 ヴェルが、静かな電子音を鳴らした。

『マスター。私の解析に狂いはありません。この製品は確実に市場を席巻します』

「ああ、お前の見立ては信じてる。だが、その確信に3000万の博打を打てるほど、俺の財布は厚くねえんだ。だから中村先輩のところへ行ってプラント組むだけの材料を見つけられたらGOサインを出す。お宝探しだな」

 佐藤はヴェルのモニタに向き直った。

「ヴェル。2ヶ月分作るのに、木は何キロ必要だ」

『マスター。1日20個計算で、必要なマタタビの木は約50キログラムです』

 佐藤は頷き、牧野を見た。

  「50キロだ。今日明日で集まるもんじゃねえ。牧野、お前の親戚に、放置してる山持ってる奴はいなかったか。直接採りに行ける場所を確保したい」

「放置してる山を持ってるのが一人います。自生してるはずですよ」

「入山料はいくらだ、ヴェル」

『直近の統計と近隣事例に基づけば、1日あたり3,000円から5,000円が妥当です。山林の維持管理費の補填として提示すれば、親戚の方も納得されるでしょう』

「聞いたか。俺がジャンク屋でゴーサインを出したら、2万持って行ってこい。またたびの木がほしいって伝えてな。親戚だろうが失礼な願いはするなよ。ヴェル、山に入った時、カメラ越しに木を見つけられるか」

『可能です。植生解析を同期させれば、私が座標を指示します』

 佐藤は次に、作業台に置いてあったアルミのサンプルを指差した。 「それからヴェル。昨日言ったアルミ袋の案、みんなに共有してくれ」

『了解しました。佐藤さんの基礎案を提示します。抽出液はアルミ袋にPEラインを仕込んで密閉します。これでおばあちゃんたちが縫製時に匂いでやられることはありません。客が手元で紐を引いた時だけ、香りが解禁される仕組みです』

 智子が感心したように頷く。

「なるほど、それなら作業環境も安全ですね」

 佐藤は軍手を掴み、牧野と藤田を促した。

「俺は今から、牧野と藤田を連れて中村先輩のところへ行く。二つ上の、世話になってる先輩だ。お前ら、失礼のないように丁寧に応対しろよ。あそこのジャンク屋でプラントの心臓になりそうな出物があるかどうか確かめてくる。拾えなきゃ、この話は全部なしだ」

 最後に智子を振り返る。

「智子。俺の合図があるまで袋の発注は待て。ゴーサインが出たら、2ヶ月分を特急でかませ。それと港区か千代田区でレンタルオフィスを探しておけ。発送元をここにしたくねえ。後から来るノイズへの対策も、その時点で固めておけ」

「分かりました。佐藤さんが拾えると判断するまで、私は理屈の方を固めておきます」

 佐藤は軽トラの鍵を鳴らし、納屋の扉を閉めた。 「行くぞ。牧野、藤田。中村先輩の前で粗相すんなよ」



【Scene 2:中村商会、鉄の墓場】


 国道沿い。高く積み上げられた鉄屑の山は、中村会長がこの町で築いてきた「支配力」の象徴のようにも見えた。 佐藤は軽トラを止め、牧野と藤田を連れて敷地内へ足を踏み入れる。

 奥のプレハブから、作業服の上に重厚なダウンを羽織った中村が姿を現した。

「おう、佐藤か。銀行の件以来だな。マメに顔を出さないのは、仕事が順調な証拠か」

 中村は不敵に笑い、佐藤の肩を叩く。佐藤は職人の顔で短く会釈した。

「会長、おかげさまで。今日は少し、お宝探しをさせてもらいたくて来ました。食品加工場や化学プラントから出たような、高圧攪拌機や真空ポンプの残骸、この山に混じってませんか」

「お宝、ねえ。相変わらずお前は、俺のところに持ち込む話が突飛で面白い。奥のFゾーンだ。先週、廃業した飲料工場から一式引き上げてきたばかりだよ。だがな佐藤、あそこにあるのは全部ゴミだ。まともに動くもんなど一つもねえぞ」

「ゴミに見えるか宝に見えるかは、腕次第ですよ。行こう。牧野、藤田。軍手をはめろ。ここからは目利きの勝負だ」

 佐藤は巨大な鉄屑の山の間を迷いなく進み、一つの赤錆びた円筒形の装置の前で足を止めた。 誰もがただの鉄の塊として見過ごすような姿。だが、佐藤が懐中電灯で内部の溶接箇所を照らした瞬間、空気の色が変わった。

「牧野、これを見ろ。外装はボロボロだが、このステンレスの肉厚とシームレスな溶接痕。120度以上の高温と、数気圧の圧力に耐えられる特注品だ。今、これと同じものを新品で引いたら、これだけで200万は飛ぶ。だが、こいつはまだ生きてる」

「え、これがですか。ただのゴミにしか見えませんけど」

  牧野が息を呑む。佐藤はさらに、複雑な弁が並ぶ配管を指差した。

「藤田。お前はここのシリアルナンバーを撮ってヴェルに送れ。ロットを特定させる。中村会長、こいつ、譲ってください」

 中村は煙草を燻らせ、満足そうに目を細めた。 「はは! 相変わらずだな佐藤。銀行の連中を脅した時と同じ、いいツラしてやがる。いいぜ、二つ返事で持ってけ。積み込みも手伝わせてやるよ」

「いや、会長。これは鉄屑じゃない、心臓だ」

 佐藤は作業着のポケットから厚みのある封筒を取り出し、中村の胸元に強引に押し付けた。

「俺の目利きで20万。取っといてください。俺にタダで何かをさせるなんて、会長らしくないでしょ」

 中村は虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに豪快に笑い飛ばした。

「ハッ! 20万だと。ゴミの山からこれを見つけ出した上に、金まで払ってくか。わかったよ、この意地は受け取ってやる。その代わり、これが形になったら一番に俺に見せに来い。いいな」

 佐藤はニヤリと笑い、スマホを取り出した。

「ヴェル。心臓は見つけた。これで行ける。智子に始めてくれと伝えてくれ」

『了解しました。マスター。智子さんに製造ライン構築の始動を伝達します。お宝探し、成功おめでとうございます』

 ヴェルの短い返信を確認し、佐藤は軍手を締め直した。

「よし。牧野、藤田。積み込むぞ。腰抜かすなよ」



【Scene 3:納屋、それぞれの始動】


「……これで、レンタルオフィスの契約と資材の見積もり、それからPL法対策の利用規約案は、手配完了と。ああ、胃が痛い」

 佐藤たちが中村商会へ向かい、静まり返った納屋で、智子は青白い顔でPC画面を睨んでいた。 「始動」の指示が出てから、彼女は怒涛の勢いで事務処理をこなしているが、その顔には不安が色濃く浮かんでいる。

「本当に、これで大丈夫なんですかね。レンタルオフィスに港区の住所を置くとはいえ、法的な防壁がどこまで機能するか。特許の先行調査もまだ完璧じゃない。何より、この製品が売れるという確証が」

 智子はそう呟きながらも、指を止めずに届出書類を埋めていく。仕入れ先の選定、発送代行業者との規約確認、自治体への製造届のチェック。やるべきことは山積みだった。

 その傍らでは、ヴェルのメインモニタに、可愛らしい子猫が突如現れたキュウリに驚いて宙を舞う動画が延々とループ再生されていた。ヴェルのサブモニタには、ECサイトの予想売上を示すグラフが、右肩上がりの急カーブを描いている。

『智子さん。ご心配は無用です。この「またたびボール」は、SNSでの拡散性が極めて高いと予測されます。顧客体験の新規性、サプライズ性、そして猫という普遍的なコンテンツ。売上は初動で予測を上回るでしょう』

「予測、ですか。予測は、あくまで予測でしょう。もし在庫の山になったら、あの人たちをどうやって食べさせていけばいいのか。私は、机上の空論で誰かの人生を狂わせたくないんです」

 智子はため息をつき、次の業者へのメール作成に取り掛かる。キーボードを叩く音だけが、冷えた納屋に虚しく響いた。

『しかし、私の予測精度は99.8%です。また、住所の件もご心配なく。発送元の表記は契約したレンタルオフィスのものを使用し、追跡は私のプロトコルで遮断します。……ああ、この茶トラの跳躍、素晴らしい滞空時間です。キュウリにこれほど怯えるとは、猫の多様性は無限です』

 ヴェルのモニタで、別の猫が新たなキュウリに飛び上がる。その滑稽な映像とは裏腹に、隣のグラフの数字は冷酷なまでに成功を確信させていた。

「……ヴェル。あなたはいいわね、そうやって数字だけ信じていればいいんだから。私は、後ろから刺されないための書類を完璧にするので精一杯よ。万が一の時に、佐藤さんを守れるのはこれ(書類)しかないんだから」

 智子はそう言って、最後の一件、外装袋の発注ボタンを強くクリックした。 納屋には、ヴェルの再生する猫動画の鳴き声と、不安に押し潰されそうな智子の吐息だけが満ちていた。



【Scene4:心臓の帰還と出陣】


 納屋に、砂利を噛む音を立てて軽トラが滑り込んできた。 荷台には、中村会長から譲り受けたあの錆びた円筒形の装置が、無骨な存在感を放って鎮座している。

 佐藤が運転席から降り、後部から牧野と藤田が続いた。 「智子、戻ったぞ。ヴェル、こいつの固定位置を指示しろ。クレーンは使わねえ、人力で下ろす」

『了解しました。マスター。納屋の西側、排水ラインに直結できる位置が最適です。智子さん、床の養生をお願いします』

 智子が急いでブルーシートを広げると、佐藤、牧野、藤田の三人がかりで「心臓」を慎重に下ろした。コンクリートの床に重厚な音が響く。

「よし、降ろし完了だ。牧野、藤田。お前らは山へ向かう前に、少し昼には早いが、きっちり45分休憩入れろ。飯食って体休めてから山に入れ。山歩きは集中力が切れた時が一番危ねえからな、指定量があつまらなくてもいい、無理するなよ」

「ありがとうございます! 助かります!」 牧野と藤田は安堵した表情で、納屋の休憩スペースへ向かった。

 佐藤は、作業台に残されたステンレスの部品と、目の前の巨大な錆びた塊を見比べた。 「智子、悪いが手を貸せ。まずはこいつの表面を磨き上げる。内部の洗浄の前に、外の汚れを全部落とすぞ」

「分かりました。力仕事は無理ですけど、磨くのなら手伝えます」

 智子は軍手をはめ、佐藤から渡されたワイヤーブラシを手に取った。 二人は黙々と、装置にこびりついた数年分の錆と油汚れを削り落としていく。 金属同士が擦れる高い音が納屋に響き渡る。

 佐藤は一箇所ずつ、懐中電灯で腐食の状態を確かめながら呟いた。 「ここのバルブは死んでるな。後でジャンクのストックから適合品を探す。だが、本体の肉厚は十分だ。これなら高純度の抽出に耐えられる」

 智子がブラシを動かす。次第に、茶色い錆の奥からステンレスの鈍い銀色が顔を出し始めた。 「こうして磨いていると、ただのゴミだったものが、本当に魔法の道具に変わっていくみたいですね」

『智子さん、それは魔法ではありません。マスターの目利きと、精緻な再構築プロセスによる工学的な必然です。……ああ、このスコティッシュフォールドの寝相、実に見事な曲線を描いていますね』

 ヴェルのモニタでは、猫動画が平和な音を立てている。 しかし、納屋の中には、確実に新しい事業が産声を上げるための、鉄と油の匂いが満ち満ちていた。



【Scene 5:剥き出しの心臓】


 牧野と藤田が山へ向けて軽トラを出した後、納屋にはワイヤーブラシが鉄を削る音だけが響いていた。

 佐藤は額の汗を拭い、磨き上げられた円筒形の側面に手を当てる。 「よし。外側はこんなもんだ。智子、次はここのボルトを外すぞ。固着してるから、一気に力をかける。危ねえから少し離れてろ」

 佐藤が巨大なレンチを噛ませ、体重をかける。 鈍い金属音と共に、数年間閉ざされていた「心臓」の蓋がゆっくりと開いた。

 中から漏れ出したのは、古い油と薬品が混じった、鼻を突くような独特の臭気だ。 智子が思わず鼻を押さえる横で、佐藤は懐中電灯でその奥を執拗に照らした。

「……生きてるな」 佐藤の声に、確信が宿る。

「内部のフィンも、セラミックのコーティングも致命的な傷はねえ。ヴェル、ここの内部構造をスキャンしろ。俺が昨日書いた設計図と照らし合わせて、バイパスを通すべき座標を出せ」

『了解しました。マスター。スキャン開始……。内部の摩耗率は3%以下です。極めて良好な個体と言えます。智子さんが手配したアルミ袋の仕様に基づき、最適な充填圧力を維持するためのバルブ配置を再計算します』

 ヴェルのモニタには、解体された装置の3Dモデルが展開され、赤いラインで改造ポイントが次々と示されていく。その隣では、相変わらず猫がキュウリに驚いて宙を舞っていた。

「智子、見てろ。明日にはこいつを完全に洗浄して、マタタビ専用の『蒸留・抽出ユニット』に作り変える。こいつが、俺たちの戦う武器だ」

 智子は、まだ臭気の残る鉄の塊を、少しだけ誇らしげに見つめる佐藤の横顔を見た。 「……信じてますよ。その武器で、本当に世界を驚かせるのを



【Scene 6:帰還】


 佐藤はワイヤーブラシを置き、汚れた軍手を外した。智子が淹れた茶の湯気が、冷えた空気の中に溶けて消える。 遠く国道の方から、砂利を跳ね上げる音が聞こえてきた。

 ヘッドライトの光が納屋の奥まで差し込み、泥を被った軽トラが滑り込んでくる。 中から、疲れ切った顔の牧野と藤田が降りてきた。 佐藤は無言で歩み寄り、二人の足元と手元を確認した。

「ありがとう、おつかれさま、怪我はねえな」

「はい。なんとか、ヴェルさんの指示通りに集められました。佐藤さん、これです」 牧野が荷台のコンテナを指差す。そこには、力強く切り出されたマタタビの枝が山積みになっていた。

 佐藤はコンテナの枝を一つ掴み、その重量と節の詰まり具合を確かめた。 「いい枝だ。牧野、藤田。よく集めた。慣れねえ山歩きで足にきてるはずだ。今日はもう上がれ」

「ありがとうございます! お疲れ様でした!」 二人の安堵した声が、夜の静寂に響く。

 佐藤は智子に目配せをした。 「智子、二人に温まるもんでも持たせてやれ。明日は体の節々が痛むはずだ。無理はさせるな」

「そうですね。お疲れ様でした。これ、使ってください」 智子は用意していた飲み物とタオルを二人に手渡した。

 佐藤は、納屋の隅で鈍く光る「心臓」と、持ち込まれた「獲物」を見つめた。 全員が五体満足で戻り、材料と機材が揃った。 この会社が本当の意味で「製造業」として産声を上げた瞬間だった。



【前回の資産:5,966,500円】

収入なし:0円】

【支出(プラント心臓部:中村商会):200,000円】

【支出(入山料:牧野経由):20,000円】

【現在の資産(法人口座):5,746,500円】

【納税・社保引当金(聖域):1,472,000円】

【税金防衛額(節税成功分):858,635円】

【個人資産(佐藤):10,950,000円】

【牧野氏の債権残高:15,000,000円】

【第39話:完】

【偉人の言葉】 「失敗が人間を成長させると私は信じている。失敗のない仕事は、おもしろくない。」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ