【第31話:5:3:2の設計思想と光の要塞】
【Scene 1:上田の視線と再始動の起点】
朝、役所での手続きを終えた佐藤と智子は、その足で上田倉庫を訪れた。かつて智子が佐藤の居場所を突き止め、この村での物語が動き出す起点となった場所だ。
「よお、佐藤。お、智子ちゃんも一緒か」
上田は、使い古された軍手で額の汗を拭いながら、智子の顔をじっと覗き込んだ。
「どうだ、一晩寝て。まだ少し隈があるが、昨日の幽霊みたいな様子に比べりゃ、瞳に光が戻ったようだな」
「上田さん。昨日は、お見苦しいところをお見せしました」
智子は深く頭を下げた。昨日のどん底の自分を思い出すと、まだ胸の奥がチリリと痛む。だが、上田の屈託のない笑顔がその痛みを和らげてくれた。
「いいってことよ。佐藤のところで油にまみれてりゃ、嫌でも余計なノイズは消える。佐藤、こいつを頼むぜ。こいつの執念がなきゃ、お前の納屋は見つからなかったんだからな」
佐藤は短く鼻で笑い、智子を促して車に戻った。
【Scene 2:C倉庫の「公平」という名の物差し】
続いて訪れたC倉庫では、管理責任者がフォークリフトの横で、複雑だがどこか晴れ晴れとした顔をして待ち構えていた。
「佐藤さん、例の監視システム、凄すぎて一人辞めちまったよ」
「サボりの判定が出た奴か」
「ああ。隣町から来てた若いのでね。画面が自分の動きを正直に映し出すのが耐えられねえってさ。でもな、佐藤さん。面白いことが分かったんだ」
責任者は、残って作業を続けている他の従業員たちを指差した。
「そいつが辞めたのに、全体の仕事量は一分も遅れてねえんだ。むしろ、残った連中の顔が明るい。あいつが辞めたことで、自分たちが今まであいつの分まで無駄に働かされていたってことに、みんなが気づけたんだよ。あいつをフォローするために走らされていた時間が消えて、自分のペースで働けるようになった。これは単なる監視じゃねえ。真面目に働いてる奴を救うための、公平な物差しだ」
智子はその言葉を、深い衝撃と共に噛み締めた。かつての組織では、声の大きい無能を守るために有能が疲弊していくのが当たり前だった。だが、自分の書いたコードが、ここでは正当に働く者への報酬として機能している。
「いいか智子。俺たちのシステムは人を切り捨てるための刃じゃない。嘘を暴き、誠実さを証明するための盾だ。1rpmの狂いも許さんというのは、そういうことだ。中抜きというノイズを消し、働く人間が正当に評価される。そこに一切の嘘があってはならないんだ」
【Scene 3:5:3:2の稼働ルールと相棒】
納屋に戻ると、佐藤は智子に温かいコーヒーを出し、これからの業務ルールを告げた。
「これからお前に求める働き方は5:3:2だ。10のうち5、つまり半分は自分で考えて動け。いちいち俺の許可を待つな。3は俺の直命、2は自身の研鑽だ。お前をただの作業員として数えるつもりはない。この納屋を維持するための、もう一人の当事者になれ」
佐藤はモニターの横に鎮座するカメラユニットを指差した。
「それから、ヴェルをただのAIと思うな。こいつはお前の相棒だ。ほうれんそうなんて古臭い言葉は言わんが、何かあればヴェルと対話して解決しろ。ヴェルに言った言葉は要約されて俺にも届く。俺たちの間には、報告書という名の無駄なパケットは必要ない」
智子はマグカップを両手で包み、その温もりを確かめるように一口飲んだ。
「つまり、私を佐藤さんの代わりが務まるように育てるってこと。わかったわ、その5:3:2、私のシステムにインストールしておくわね」
【Scene 4:精密な「宣告」と物理的な圧力】
佐藤は智子を射抜くように見た。その視線に呼応するように、背後のモニターが音もなく切り替わり、智子の名が記された精密な給与明領が表示された。
【支給額】 • 基本給:470,000円 • 社宅手当:30,000円
【控除額】 • 寮費:30,000円
【手取額:373,300円】
「これ、何。前職よりも手取りが多いなんて。私、まだ何もしてないのに」
「間違えてるのはお前の認識だ。これは対価じゃない。お前というリソースを最大出力で回すためのメンテナンス費用だ。はっきり言って、今の時点ではこれでも安いと思っている。お前が仕事を回せるようになれば、さらに上げる。その代わり、プロとして税金の重さに苦労しろ。社会の仕組みを数字で理解できなければ、経営判断のサポートはできんからな」
佐藤はデスクの引き出しから、銀行のロゴが入った厚みのある茶封筒を無造作に取り出し、智子の前に放った。
「120万だ。敷金礼金、それに1年分の家賃だ。今すぐこの現ナマを不動産屋に叩きつけてこい。法人契約の審査なんて悠長に待っていたら、お前が実家で腐る時間が長引くだけだ」
智子は封筒の口から覗く、帯封がされた一万円札の束の生々しさに息を飲んだ。
「今すぐ不動産屋に行き、目の前で大家に電話させろ。1年分前納を条件に、月曜の朝までに鍵を渡すと確約させろ。もし渋るようなら、その足で他へ行け。アタッシュケースに入れるような気取った真似はしないが、この厚みは嘘をつかない。奴らのノイズを一瞬で消す最強のカードだ」
【Scene 5:不動産屋の戦慄】
町外れの古い不動産屋「山崎不動産」のカウンターに、智子は120万円が入った茶封筒をドンと置いた。
「この物件を法人契約します。初期費用と1年分の家賃、全額ここにあります」
「え、あ、リパルテンツァさん? いや、1年分一括なんて例は滅多に」
智子は封筒の中身を少しだけ見せ、店主の言葉を遮った。
「大家さんに今、電話してください。1年先まで家賃が確定するんです。断る理由はないはずです。月曜の朝一番に鍵をください。それが条件です。もし今ここで判断できないなら、このまま他の不動産屋に行きます。時間はありますか?」
智子の声には、佐藤から伝播した狂気に近い合理性が宿っていた。店主は目の前の物理的な現実に圧倒され、震える手で受話器を掴んだ。10分後、月曜日の入居がキャッシュの力で確定した。
【Scene 6:要塞化の青写真】
智子が戦場から帰還するのを待ちながら、佐藤は一人納屋で次の仕事を処理していた。
「ヴェル、コンテナ事務所とその中身、デスクと椅子の発注を確定させろ」
『マスター、不動産屋の店主、完全に思考停止していましたね。さて、この暗い洞窟をアップグレードしましょうか。発注完了です』
「8畳のユニットハウスをここに置く。断熱材は自分たちで貼る。それから中身だ。デスクは頑丈なスチール製。だが、椅子の選定には妥協せんぞ」
佐藤はモニターに表示された「内田洋行 ルディオ」の注文確定ボタンを見つめた。
「肘なしのモデルを二脚。一脚は智子、もう一脚は俺の分だ。現場で磨き抜かれたこの座り心地こそが、集中力を担保する。肘掛けなんざタイピングの邪魔だ」
佐藤は立ち上がり、薄暗い天井を見上げた。
「LEDベースライト12本は、配送を待つ時間がパケットの無駄だ。明日の朝、地元のホームセンターで直接買い占めてくる。智子が月曜に鍵を握って帰ってきた時、ここが最高精度の要塞であることを分からせてやる」
『了解です、マスター。明日は「買い出し」という名の狩りですね。私は彼女がデータの海に沈むのを、高みの見物といきましょうか』
株式会社 Ripartenza。薄暗い納屋の中に、新たな光の予感と機能が牙を剥き、その要塞化が加速していく。
【前回の資産:8,105,000円】
【収入:0円】
【支出(社宅初期費用および1年分前納):1,020,000円】
【支出(ユニットハウス・デスク3台・高機能椅子2脚):1,020,000円】
【現在の資産:6,065,000円】
【第31話:完】
【偉人の言葉】 「経営とは、単に利益をあげることではない。それは、人間が人間らしく生きるための場をつくることである。」




