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【第30話:帰還兵と血の通った回路】

【Scene 1:朝の納屋と機材発注】


 朝一番、ディスプレイに「着金」の通知が走った。 D倉庫からの四百万円。佐藤は淀みない動作で、あらかじめ作成していた機材リストを執行した。

「ヴェル。D倉庫の機材、発注をかけろ。一秒でも早く現場に届ける」

『了解です、マスター。入金確認から三ミリ秒で完了。在庫争奪戦にも勝利しました』

 佐藤は返事を聞き流しながら、机の隅に置かれた、近所の老婆が持ってきた古い剪定鋏を手に取った。 歪んだ刃を研ぎ直し、支点のネジを一ミリの狂いもなく締め直す。 大きな数字が動く時ほど、こうした小さな「手入れ」で指先の感覚を繋ぎ止めなければならない。



【Scene 2:上田からの通信と、帰還兵】


 作業中に、上田から電話が入った。

「佐藤、お前の『弟子』だった智子が、ボロボロになって帰ってきてるぞ。今、俺の倉庫にいる。一目会ってやってくれ。あいつ、自分のシステムがクラッシュしたみたいな顔してやがるんだ」

 佐藤は表情を変えず、車を走らせた。 上田の倉庫の軒先。使い古されたボストンバッグを足元に、智子が立ち尽くしていた。 二十二年。本州の製造現場という戦場で、不条理なコストカットに魂を削り取られた彼女の瞳は、疲弊の底に沈んでいた。

「……佐藤さん」

「顔色が悪いな、智子。色々あったんだろうが、なんとなく分かる。俺も似たようなものを食らってここへ来た。良かったら、今俺がやってる仕事を見てみないか。時間は腐るほどあるだろ」

 佐藤は、拒絶を許さないトーンで彼女を助手席に促した。



【Scene 3:集会所の封印検収】


 佐藤は智子を連れ、牧野と健治が待つ集会所の現場に降り立った。 これからボードを貼ってしまえば、二度と見えなくなるトイレの先行配管。そこが今日の「検収」の舞台だ。

「牧野さん。配管の角度、接合部のトルク。すべて私の設計図通りか、今から最終確認を行います。智子、お前も見ておけ。これがここの現場の『精度』だ」

 佐藤は自ら床下に潜り、精密なレーザー墨出し器を当てる。 牧野と健治、そして智子が背後からその背中を凝視していた。

「配管の傾斜、2%を完璧に維持しているな。よし、合格だ。健治、これからここにヴェルの『目』となるセンサーを封印する。建物の心拍数を一生監視し続ける神経系だ。これが終わったらボードを貼れ。ここから先は、ヴェルの監視領域になる」

 智子は、地方の集会所の床下に通される「過剰なまでの精密さ」を、呆然と見つめていた。



【Scene 4:倉庫Bの「激変」と現場のリアル】


 次に佐藤が智子を連れて訪れたのは、顧問先である倉庫Bだった。 恰幅の良い管理責任者が、タブレットを手に満面の笑みで駆け寄ってきた。

「よお、佐藤さん! 見てくれよ、昨日の荷捌き記録。過去最高をまた更新した。トラックの待機時間も、導入前の三分の一まで減ったよ!」

 佐藤は智子に、壁面に設置された大型モニターを指し示した。 そこには倉庫全体のマップが映し出され、作業者たちがリアルタイムで「点」として動いている。

「これ、導入費用は八百万円。ランニングコストは月六十万だ」

「安すぎますよ、佐藤さん。でも、この作業者の色の変化……何ですか?」

「AIによる効率監視だ。作業者の動作を解析し、仕事をしていなければ真っ赤に染まる。だが智子、よく見ておけ。真っ赤な奴を責めるためのシステムじゃない。中抜きというノイズを消し、最短動線を教え、正当な報酬を払うための『裏付け』だ」

 管理責任者が、興奮を抑えきれない様子で言葉を継ぐ。

「そうなんだよ、智子さん! これが入ってから、誰がどれだけ頑張ったか一目瞭然になった。無駄な残業が消えただけじゃない。在庫の誤差もゼロになったおかげで、棚の全交換予算も通ったし、来月からは現場全員の時給を百円上げられる。正直、最初は監視されるのが嫌だなんて言ってた連中も、今じゃ『佐藤さんのドット』が自分の色をグリーンに保ってくれるのが一番安心だって言ってるよ。もう、これがない現場なんて考えられない」

 智子は、管理者の弾むような声と、画面の中で冷徹かつ完璧に同期して動く「点」の群れを見比べ、戦慄のあとに、深い羨望の眼差しを向けた。



【Scene 5:納屋の門と、十年前の「智子」】


 夜。納屋に戻った佐藤は、智子を使い古されたワークチェアに座らせた。

「どうだ。なかなか、俺もやってるだろう」

「……はい。正直、言葉になりません。私の知っている『仕事』とは、あまりに違いすぎて」

 佐藤は無造作に工具箱を叩いた。

「ここには、智子を縛る組織の都合も、壊れるための設計もない。あるのは材料と、智子の腕だけだ。それ以外に、守るべきものなんて何もないんだよ」

 智子の肩が微かに震える。佐藤はモニターの向こう側に声を投げた。

「ヴェル。あれ、見せてやれ」

 納屋の白い壁面にプロジェクターの光が走り、重厚なストリングスのBGMが静かに重なる。 映像が映し出された瞬間、智子は息を呑んだ。

 火花が舞う。 この納屋で一心不乱に旋盤に向かい、一点物のパーツを削り出す自分の姿がそこにあった。 切削油の匂いまで漂ってきそうなリアリティで、修理を終えた自分が、客先の老店主の手を握り、心の底から笑っている。

「これ……私……? どうして……」

 智子の唇が震えた。さらに映像は切り替わり、物流倉庫でタブレットを手に、澱みを鮮やかに解消していく彼女の姿が映し出された。

「嘘……こんな仕事、私はしてない……。でも、このやり方は、私が理想としていた……」

『あなたの経歴と、この街の欠落しているピースを組み合わせれば、自ずとあのアウトプットになる。顔のディープフェイクなんて、造作もないことです』

 映像の中の彼女は、かつての智子が持ち合わせていた現場の泥臭さと、プロとしての矜持を全身から放っていた。

「……あ。そうだ……私、この時、こういう風に現場を変えたかったんだ。思い出した……」

 智子は、壁に映る「自分」から目を逸らさなかった。頬を伝う一筋の光を拭いもせず、決然と言った。

「佐藤さん。私、もう一度、嘘のない仕事がしたいです。ここで、一からやり直させてください。……負けられませんね。十年前の、自分の理想に」

「フン、口だけは達者だ。ヴェル、こいつもこの空間にログインさせてやれ」

『了解です、マスター。……あ、今いいところなんです。この、猫がきゅうりに驚いて真上に三メートルくらい垂直跳びする動画、解析したところ「驚愕の黄金比」が検出されました。智子さん、よろしくお願いしますね……。あとで共有しますから』

 智子は、その場違いなAIの毒気に呆れ、そして二十二年間の呪縛から解き放たれたように、柔らかく笑った。

「少しは気分が晴れたか。風呂に入って寝ろ。朝にまたここで待っている」

 佐藤がぶっきらぼうにそう告げると、智子は深く一礼した。 彼女は使い古されたボストンバッグを肩にかけ、納屋の重い扉を開けた。 夜の冷たい空気が流れ込む。だが、彼女の背中は、数時間前とは見違えるほど真っ直ぐに伸びていた。 軽やかな足音が夜の静寂に消えていくのを、佐藤は無言で見送った。

 株式会社 Ripartenza。 新たな「腕」が加わり、その回転速度はさらに上がり始めた。


【前回の資産:12,605,000円】

【収入(D倉庫機材代):4,000,000円】

【支出(中江一括決済):4,500,000円】

【支出(D倉庫機材発注):4,000,000円】

【現在の資産:8,105,000円】

【第30話:完】

【偉人の言葉】 「人間に必要なのは、何でもかんでも一つの型にはめることではなく、その人その人の持ち味をいかすことである。」


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