【第20話:魔法の箱と、遮断された視界】
【Scene 1:1,000円の契約と、預かりものの鍵】
「家主は俺の叔父だ。息子さんは都会で勝手に処分してくれの一点張りだよ。叔父貴、佐藤が来たぞ」
札幌近郊の病院。上田に促され、佐藤はベッドの横に立った。管こそ繋がっているが、叔父の意識ははっきりとしていた。老人は佐藤の顔をじっと見つめ、力なく、だが明確に言った。
「あの家か。息子もいらんと言うし、俺ももう、あそこへは戻れん。佐藤さんと言ったな。あんた、あの家をもらってくれんか。更地にするなり、好きにしていい」
佐藤は老人の痩せた手を見つめ、静かに首を振った。
「もらう気はねえ。だが、あそこを更地にするにはまだ早い。俺が預かる。あんたが退院して戻ってきたら、また1,000円で俺から買い戻せ。それでいいな」
佐藤は作業着のポケットから、厚みのある500円硬貨を2枚取り出し、サイドテーブルのトレイに置いた。硬質な金属音が、静かな病室に重く響く。
「その500円玉2枚で、俺から鍵を買い戻せ。……それまでは、お守り代わりに持っておけ。もしもの時は、それを持って行けばいい。どこへ行くにしても困らねえはずだ。だが、俺が鍵を返すのは、あんたがここを出て家に戻ってきた時だ。さっさと体直して、それを返しに来い」
老人は驚いたように目を見開き、サイドテーブルで鈍く光る2枚の硬貨を見つめた。それが何を意味するのか。そして、この男が「死」を待つのではなく、「生きて家を買い戻すこと」を要求しているのだと悟った。老人は震える手でその硬貨を握りしめ、小さく、しかし力強く笑った。
「強引な男だ。分かったよ。鍵は、上田に預けてある」
「決まりだ。荷物は2階にまとめておく。単に放り込むんじゃねえ、お前がいつでも生活を再開できる形に『配置』し直しておいてやるよ。勝手に捨てやしねえから安心しろ」
【Scene 2:前夜の納屋、二人の職人とAIの限界点】
決行前夜。佐藤の納屋は、工場の熱気と深夜の静寂が混ざり合っていた。健治が持ち込んだのは、型遅れの中古の24時間換気ユニットだった。
「佐藤、気密を上げすぎるならこれが必要だ。だが中古だ、ファンが少し鳴いてやがる。1時間で組める安物か、2時間かけて直す一級品か、どっちがいい?」
「決まってるだろ。2時間コースだ。ベアリングを抜いて軸を出し直すぞ」
二人の共同作業が始まった。佐藤が旋盤でファンモーターのシャフトをミリ単位で削り直し、健治がハウジングの歪みを補正する。健治は、持参した木製窓枠の木口を指でなぞった。
「見てみろ、佐藤。この年輪の細かさ。1ミリに3本は入ってる。100年以上耐えて締まった木だ。俺の爺さんの代よりも前から山に立ってたやつだぜ。お前の削った金属パーツに負けねえ強度がある」
「ふん。お前が枠を狂わせなきゃ、気密は国内最高クラスまで持っていける」
『健治さん。その窓枠の溝、あと0.05mmだけ、さらに詰めることはできませんか? その方がカムとパッキンの理想的な圧縮率が得られます』
ヴェルダンディの要求に、健治はハッとしたように顔を上げた。
「おい、ヴェルって言ったか? 0.05mmってのは、俺の五感で感じる限界だぜ。そこまで削り込める職人はそうはいねえ」
『私の計算では、その0.05mmが、この家の未来を決める閾値です。その締まった木と、健治さんなら可能です。いえ、健治さんにしかできません』
「分かったよ、この狂ったAI野郎。そこまで言われて引けるかよ。付き合ってやるぜ」
【Scene 3:突撃! 魔改造24時と、ハチワレの「毛」】
翌朝。健治率いる6人の職人が家になだれ込み、壁と2階の畳までが剥がされた。佐藤は2階の生活スペースを確保しながら、1階の「魔改造」を監督する。
「待てコラ! その気密テープの貼り方はなんだ!」
健治の怒鳴り声に被せるように、後ろで腕を組んでいた佐藤が静かに、だが重い口調で教え諭した。
「いいか。テープを曲がって貼るような奴は、そのうち少しの隙間にも気づかなくなる。小さな不始末を許す癖がつけば、見えないところで気密が漏れ、そこから家が腐る。プロなら、見えなくなる場所こそ垂直・直角に貼る癖をつけろ。それができない奴に、俺の組んだシステムを触らせる気はねえ」
夕刻、全ての工事が完了し、職人たちが片付けを始めた頃。佐藤はヴェルダンディに言われるがまま、納屋から持ってきた「ハチワレ」のぬいぐるみを手に、新設された大窓の前に立った。
「……ヴェル、持ってきたぞ。これをどうしろってんだ」
『マスター、そのハチワレを窓のサッシの合わさり目、最も左の角に置いてください。カメラでマクロ解析します』
佐藤が言われた通り、窓際にぬいぐるみを置くと、健治が怪訝そうな顔で近寄ってきた。
「おい佐藤、何してんだ? 仕上げの儀式か?」
「……ヴェルが、毛を見せろと言ってるんだ。……どうだ、ヴェル」
『解析完了。サッシの境界、空気の揺らぎ……ゼロです。ハチワレの右耳付近の毛先、1ピクロンも動いていません。気密、完全遮断を達成。合格です』
健治は呆れたように笑い、ハチワレの毛先と窓を交互に見た。
「……お前、そこまでチェックすんのかよ。ぬいぐるみの毛で気密検査なんて、世界中でここだけだぜ」
【Scene 4:屋根の上のデバッグと、三重の神経】
佐藤は、一人屋根に登っていた。手には昨日削り出したアルミ削り出しのジンバルがある。
まずはスターリンクのアンテナを台座に組み込み、ボルトを締め上げる。続いて、電波の入りを確保するため、軒下に特製の防水ボックスを仮留めした。中には3キャリアのSIMを差したmineo回線のアンテナユニットが収まっている。この家の断熱材は電波を弾く。外に置くのが正解だ。
『マスター、スターリンクの捕捉開始。……続いてmineoアンテナの微調整に入ります。そのまま左へ 2.5mm スライドしてください。あ、行き過ぎです。右へ 0.8mm 戻して固定を』
「おい、動くなって言ったり動けって言ったり忙しいな。……よし、全部固定完了だ」
佐藤が一度の登頂で作業を終えて下りてくると、室内のハブで通信のテストが始まった。
『マスター、テストモード実施。メインのスターリンクを物理切断し、mineo冗長回線のみでの運用を開始します。……切り替え完了。ドコモ、au、ソフトバンク、3回線ともリンク確立。帯域制限により画像伝送は無理ですが、マスターとの音声通信、および各室内の温度管理データは問題なく把握できています。……死角はありません』
「フン。100%の回線なんてねえからな。これで雪でアンテナが埋まっても、お前の小言だけは聞こえるってわけだ」
【Scene 5:静寂の春と「こたつ」禁止令】
佐藤が室内に入ると、そこには上田が一人、呆然と立っていた。室温は 24 度。外の刺すような寒さが嘘のような暖かさだ。佐藤は一度、リビングの窓を少しだけ開けた。
「ヒュオオオ……」
風の音が室内に流れ込む。だが、佐藤が特製サッシのレバーをガチャンと倒し, 窓を沈み込ませると。
「スッ……」
全ての音が消えた。外の世界と完全に切り離されたかのような、圧倒的な静寂。
「すごいな。音が、何もしない。佐藤、お前本当に魔法使いかよ」
「魔法じゃねえ。……上田、2階を見てこい。叔父さんの荷物、いつでもそのまま生活できるように配置してある。不便はねえはずだ」
サンルームの隅のキャットドアから猫がにゅっと無音で入ってくると、そのままヴェルダンディのカメラの前で丸くなった。
『至福です! 毛並みの揺らぎまで視認できます! これこそが聖域!』
だが、彼女の声は突然、厳格なトーンに変わった。
『マスター、最後に一つ。いえ、百万回繰り返します。ここにこたつだけは絶対に置かないでください!!』
「あ? なんだ急に」
『ダメです! こたつなんていう布のブラックボックスを置かれたら、猫が中に消えてロストしてしまいます! 私のカメラから猫の存在を隠匿する……そんな反逆的な装置、絶対に許しません! ぬくぬくの室内で、猫を隠さず愛でる。それがこの家の鉄則です!』
「やれやれ。上田、聞いたか。ここはこたつ禁止だそうだ」
北の大地の凍てつく夜に、一つだけ、消えない灯火が灯った。
【前回の資産:17,750,000円】
【収入:0円】
【支出:380,000円】(機材・代金調整分)
【現在の資産:17,370,000円】
【第20話:完】
【失敗の言い訳をするよりも、失敗を素直に認めて、その原因を究明することのほうが、はるかに生産的である】




