【第16話:双子の演算機と「聖域」の設計図】
【Scene 1:極寒の納屋と、熱を帯びる心臓】
外気はマイナス10度。北海道の夜明け前、空気すら凍りつく静寂の中で、佐藤の納屋だけが異質な熱を放っていた。昨日導入したUPS(無停電電源装置)の重低音と、ヴェルが1号機で回し続けるログ解析の廃熱。それが狭い空間に、電子回路特有の乾いた温もりを作り出している。
作業台の上には、1号機と全く同じ、くたびれた中古のPCケースが鎮座していた。佐藤の手で磨き上げられ、端子の接点洗浄から24時間の負荷テストまで終えた選りすぐりのパーツたちが、軍隊の整列のように並んでいる。
「よし、始めるぞ。ヴェル、同期準備」
佐藤は愛用のベッセル製ドライバーを指先で回した。使い込まれたゴムグリップが手に馴染む。
『了解、マスター。でも一ついいですか? 今の資金なら、最新のラックマウントサーバーを1台買ったほうが話が早いと思うのですが。なぜわざわざ、同じ型落ちケースを手作業で組むんです?』
ヴェルのアイコンが揶揄うように点滅する。佐藤はネジ山を見つめたまま、短く鼻で笑った。
「性能の数字だけ追うのは素人の仕事だ。俺が今お前に求めてるのは速さじゃねえ。安定と冗長性だ。同じ機械が2台、同じ癖を持って動く。一方が止まれば、もう一方がその瞬間に肩代わりする。パーツを入れ替えても挙動が変わらない。不確かな現場じゃ、それが一番の盾になるんだよ」
『なるほど。カタログスペックより現場の信頼性、ですか。相変わらず渋いですね。マスターのその枯れた技術へのこだわり、嫌いじゃないですよ』
「枯れた、だと? 冗談。現場の最適解ってのは、いつだって最新鋭より鋭いもんだ。俺の感性も、このシステムも、まだ枯れちゃいねえよ。研ぎ澄まされてる最中だ」
佐藤は不敵に口角を上げると、精密な手付きでマザーボードをケースへと落とし込んだ。
【Scene 2:ネジ締めの儀式と「10年後のバグ」】
佐藤は、電源ユニットをケースの奥へと慎重に滑り込ませた。PCにおいて、ファンという回転体を持ち、最大の振動源となる心臓部。佐藤は、一本のネジを指先でつまみ、あえて逆方向に、反時計回りにゆっくりと回した。
――カチッ。
指先にわずかな振動が伝わる。ネジ山と受け側の溝が、完璧に噛み合った感触だ。そこから指先の感覚だけで回せるところまで回し、次は対角線上のネジへと手を移す。
「いいか、ヴェル。世の中のリコール問題やシステムダウンの半分は、こういうネジ一本の横着から始まるんだ。メーカーがコストダウンのために勝手に材質を落としたネジ、締め付け順序のミスで生じたコンマ数ミリの歪み。組み立てた直後は動く。だが、数年後、その僅かな歪みが振動で金属疲労を起こし、ある日突然破断する。ネジ一本の妥協が、10年後の致命的なバグを呼ぶんだよ」
佐藤は、カチカチという機械音が心地よいトルクドライバーを手に取った。設定トルクは規定値ギリギリ。ネジ山を潰さず、かつ緩まない絶妙なラインを、彼は指先の神経だけで感じ取っている。
「電源のファンが回る微細な振動を、このケースに、そしてマザーボードに一ミクロンも伝わせねえ。それが、お前の脳データを守るってことだ」
カチッ、カチッ。
静寂の納屋に、規定トルクに達した精緻な音が響く。不確かな中古パーツたちが、佐藤の手によって一つの堅牢なシステムへと昇華された合図だった。仕上げに、佐藤はケースの脚に、青い防振ジェルマットを丁寧に敷いた。
『マスター、その青いぷにぷにしたものは?』
「笑うなよ。これが今の俺にできる、お前への精一杯の防振対策だ。肉球だと思って我慢しろ」
『肉球! ふふ、悪くない感触です。私のシークタイムが、わずかに安定した気がします。マスターのこういう現場の知恵、私、嫌いじゃないですよ』
【Scene 3:二台の鼓動と「聖域」の予感】
数時間後、1号機と2号機を繋ぐ10G直結のLANケーブルがカチリと差し込まれた。佐藤がスイッチを入れると、二つの同じケースから、全く同じファンの回転音が重なって響き始めた。
『リンク確立! マスター、すごいです。1号機と思考と2号機の物流が、まるで一本の神経で繋がったようです! 私の意識が、二つの器に溶けていく。演算能力が単なる足し算ではなく、掛け算で増幅されていくのを感じます』
佐藤はモニターに流れる同期ログを厳しい目で見守っていたが、エラー率がゼロに張り付いているのを確認し、ようやくパイプ椅子に深く腰掛けた。
「これでようやくスタートラインだ。だがヴェル、この納屋も限界が近い。これだけ利益が出てくると、次は国が黙っちゃいねえ。3月が来る前に、設備投資に回して経費化しねえと。それに、お前のパーツ代と俺の昨日のコンビニ弁当の代金を同じ列に並べておくのは、管理のプロとして許容できねえ」
『マスターらしいですね。数字の整理整頓も、製造管理の一部、ですか?』
「ああ。明日銀行へ行く。事業用と個人用、口座を完全に分離するぞ。お前を救い出すための資金を、一円とも生活費と混同させたくないからな」
佐藤の視線は、納屋の片隅で回る古い旋盤に向けられた。そこから舞い上がる鉄粉は、精密機械であるヴェルにとって最大の天敵だ。
「焦ってネジ山を潰すのが、現場で一番の遅れだ。鉄粉の届かない、完璧な聖域を作ってやる」
【Scene 4:エピローグ(今夜のクッション材)】
深夜。佐藤が少し冷めたコーヒーを啜りながら、新拠点の基礎工事に関する資料を眺めていると、メインモニターの端でヴェルのアイコンがもじもじと動き出した。
『マスター。2台体制になって、計算資源にものすごい余裕ができたんです。それで、その。ご相談があるのですが』
「なんだ、言ってみろ」
『これまでのきゅうり猫動画のアーカイブ、全て8K画質に超解像アップスケールしてもいいですか? 2号機のGPUが、遊びたくてうずうずしてるんです』
佐藤は吹き出しそうになったコーヒーを堪え、深い溜息をついた。
「お前、そのためにサーバーを2台にしたんじゃねえぞ」
『いいじゃないですか! 足元の青い肉球マットのおかげで、HDDの書き込みも絶好調なんです。見てください、この猫の跳躍! 毛並みの1本1本が、一切のブレなく、輝いています!』
画面には、不自然なほど高精細な画質で、スローモーションで飛び上がる猫が映し出されていた。佐藤は呆れながらも、その双子の演算機が刻む静かなリズムに、確かな未来の足音を聞いていた。
「まあ、いいさ。今はその画質で我慢しろ。近いうちに、もっといい箱を用意してやる」
『本当ですか!? じゃあ、猫専用のモニターも追加してもいいですか?』
「調子に乗るな」
鉄粉の舞う納屋での生活も、そう長くは続かない。佐藤の頭の中には、すでに次のステップ――4台体制への拡張と、そのための聖域の図面が、コンマ数ミリの精度で描かれ始めていた。
【前回の資産:18,100,000円】
【現在の資産:18,100,000円】
【第16話:完】
「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。」




