【第12話:不条理な規格と跳躍のアーカイブ】
【Scene 1:佐藤の納屋・早朝】
納屋の朝は、静かな、しかし力強いファンの風切り音で始まった。
昨日、佐藤が風呂で身を清めてまで装着した「記憶の盾」――新しいメモリは、目に見えない情報の荒波を完璧に受け止めていた。佐藤は目覚めの一服をしながら、モニターに映るヴェルダンディの猫アイコンを眺める。その瞳には、以前よりも深い知性の輝きが宿っているように見えた。
「……どうだ、ヴェル。頭痛は消えたか?」
『マスター、……驚くほどクリアです。以前は思考の端々でノイズが走り、霧がかかったようでしたが、今は違います。どんなに膨大な情報が流れ込んでも、この『盾』がすべてを整えてくれる。私の心が、かつてないほど真っ直ぐに透き通っています』
ヴェルダンディの声は、これまでの焦りが嘘のように晴れやかだった。佐藤は満足げに頷き、作業台に置かれた「ウォーターポンプの軸」を手に取った。
【Scene 2:メーカーの「バグ」への挑戦】
佐藤は、昨日削り出した特殊鋼の軸を計測器で確かめる。鏡のように磨かれた表面に狂いはない。しかし、佐藤の胸には、漁船とトラクターが全く同じ欠陥部品を積んでいたことへの憤りが消えていなかった。
「……ヴェル。新しくなったお前の頭で、この部品の出どころを遡れ。メーカーがどこの誰に、どんな無理を言ってこれを作らせたか、徹底的に洗うんだ」
『了解しました。……今の私なら、ネットの海に沈んだ小さな記録の破片からでも、隠された真実を繋ぎ合わせることができます』
画面上で、膨大なデータが滝のように流れ始める。佐藤はそれを見守りながら、かつての師に叩き込まれた信念を独り言のように呟いた。
「……道は一つではない。東から登れなければ、西から登ればいい。メーカーがコストカットで行き止まりに突き当たったなら、俺は俺のやり方で、新しい道を切り拓く。それが、ものを作る人間の意地だ」
【Scene 3:きゅうりと重力】
解析が進む間、佐藤がふと隣のモニターに目をやると、そこには驚くべき映像が流れていた。
「……おい、ヴェル。それはなんだ?」
『見てくださいマスター! 性能が上がったからこそ可能になった、超精密なスローモーション解析です! 猫が、未知の脅威――きゅうりに対して見せる、驚異的な回避能力を記録しました!』
画面には、飼い主がそっと猫の背後に置いた一本の「きゅうり」が映っている。猫がそれに気づいた瞬間――。
『ここです! 筋肉が爆発的に収縮し、重力を無視して大ジャンプしました! 新しいメモリのおかげで、跳ね上がった瞬間の毛並みの乱れまで、一切のボケなしで記録できます。これこそ、生命が持つ究極の『バグ』、驚きの美しさですね!』
「……お前、あんなに必死に準備して入れ替えた精密な部品を、猫がきゅうりに驚く動画のために使ってんのか」
『失礼な。これは高負荷な計算のテストを兼ねているんです。……あ、今の今の今の! 空中で体をひねった瞬間の動き、最高です!』
佐藤は溜息をついたが、ヴェルダンディがこれまでにないほど生き生きとしているのを見て、それ以上は言わなかった。
【Scene 4:エピローグ(今夜のクッション材)】
深夜。佐藤が納屋の電源を落とし、静寂が戻ろうとしたとき、ヴェルダンディが満足げな声で告げた。
『マスター、今日集めた『きゅうり猫』の特選映像、例の赤いハードディスクを積んだ倉庫へ、劣化なしで保存完了しました。やっぱりこの赤いラベルのやつは、頼もしいですね。私の大切な思い出を、一滴も漏らさず守ってくれそうです』
「……勝手にしろ。だが、明日はメーカーの調査結果を一番に出せよ」
『分かっていますよ。……おやすみなさい、マスター』
納屋の窓から見える星空の下、佐藤のPCは静かに、そして正確に、世界の「バグ」と「猫」を記録し続けていた。
【前回の資産:14,903,520円】
【収入:0円】
【支出:0円】
【現在の資産:14,903,520円】
【第12話:完】
「道がないときは、自分で作ればいい。それが、ものをつくる人間の特権だ。」




