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21話 思わぬ来訪

大幅に内容を変更した為、投稿し直します。


スタンビートの脅威を退け、静けさを取り戻した辺境伯邸。暖かな部屋で、ソフィアとレオナルドは向かい合って腰掛けていた。

金色の縁を施されたティーカップの中で、赤褐色の水面が煌めく。ゆっくりと口を付ければ、かぐわしい香りが口と鼻いっぱいに広がった。


「……ようやく、落ち着きましたね」


「ああ。スタンビートの後始末に追われて、しばらくは気の休まらない日々だった。だが……君がいてくれて、助かった」


ソフィアは小さく首を振る。


「いいえ。大怪我をした方が出なくて、本当に良かったです」


そう言って、そっと皿に手を伸ばし、ひとかけらのチョコレートをつまんだ。

指先でわずかに温められたそれは、口に含むとゆっくりとほどけ、ほのかな苦味とやさしい甘さが舌に残る。


「……紅茶と、とてもよく合いますね」


「だろう。疲れた頭に効く」


「レオナルド様の好み、ですか?」


その問いに、レオナルドは思わず目を瞬かせた。


「……なぜ、それを?」


「甘いものがお好きですものね」


くすり、と忍ばせるようにソフィアが笑う。

知られていたことに、レオナルドはわずかな気恥ずかしさを覚えた。ふいに視線が絡み合い、気づけばどちらからともなく、控えめな微笑みがこぼれた。


だが、その穏やかな空気は一瞬で凍りついた。

まるで冬の嵐が扉の隙間から吹き込んだかのように、冷たく張りつめた気配が広がる。

執事のクラウスが、珍しく困惑を隠しきれない顔で告げた。


「……ソフィア様。エリック・ウィリアム侯爵家嫡男が至急お会いしたいと、門前までお越しですが……いかがいたしましょう」


その名が落ちた瞬間、ソフィアの指先が小さく震えた。

胸の奥に封じていたはずの記憶が、乱暴に引き裂かれるようにあふれ出す。


――なぜ? どうして、今になって。


かつて愛した人。

けれど――決して愛してはくれなかった婚約者。


寄り添おうと伸ばした手は何度も空をつかみ、差し向けられた視線はいつも冷たく、遠かった。

そうして積み重なった痛みの果てに、すべてを断ち切るように婚約を破棄し、辺境伯へ嫁いできた。


それなのに……。

その痛みはようやく薄れたと思っていたのに、思いがけない来訪で心の底が揺れる。


だが、揺らいだのはほんの一瞬だけだった。

ソフィアは息を整え、感情の波を静かに押し戻す。そして、落ち着きを取り戻した瞳で告げた。


「……会いません」


凛とした声だった。

けれど、その拒絶は鋭く、誰が聞いていても明確だった。


クラウスは驚きに息をのむ。


「よ、よろしいのですか……?」


「ええ。かつて婚約を結んでいましたが、今のわたしと彼の間に会う理由はありませんもの。エリック様が来られたところで、わたしが応じる必要はありません」


穏やかな声色とは裏腹に、その言葉に迷いはなかった。

まるで過去を断ち切るように。


レオナルドはそんな彼女を横目で見つめ、胸の奥にひやりとしたものが流れ落ちていくのをはっきりと感じた。

彼女の横顔はあくまで静かで、決意に曇りひとつない。

それがかえって、彼の心を締めつけた。


――本当に、会わなくていいのか……?


遠い王都から、突然訪れた相手。

すでに婚約者ではないとはいえ、今やソフィアの妹の婚約者でもある男。

無礼なほど唐突な来訪だが……そんな強行をしてまで来た理由が見えない。その不可解さが、レオナルドの胸の底に冷たい影を落とす。


そしてもうひとつ。ソフィアが本当に過去を断ち切っているなら――会っても平気なのではないか。

それなのに、会わないと断るのは――


その答えを知るのが怖いような、知りたくて堪らないような、相反する思いが渦巻く。


「……ソフィア」


彼は静かに彼女の肩へ手を添える。

そのぬくもりは優しいはずなのに、どこか縋るようで、かすかに震えていた。


「……会わなくて、本当にいいのか?」


ソフィアはゆっくり彼を見上げた。


「……はい。会う理由がありませんわ。わたしは今、レオナルド様の妻としてここにおりますもの」


かつての婚約は、すでに過去のものだ。

今は、この人の隣に立つ――そう選んだ自分がいる。


けれど胸の内では、別の感情が静かにさざめいていた。


少しずつ心を通わせ、レオナルドの不器用な優しさに触れ、いつの間にか、彼の隣にいる未来を自然に思い描くようになって――だからこそ怖かった。


もしも、かつて愛した人の姿を目の前にしたら。

もしも、あの頃の痛みや未練が蘇ってしまったら。


弱い自分が顔を出し、

せっかく掴みかけた幸福を、自分の手で壊してしまうかもしれない。


――そんな未来を、想像するだけで震えてしまうから。


だからソフィアは、静かに目を伏せた。


「……会わないほうが、いいのです」


その呟きは、まるで自分に言い聞かせるようで。

レオナルドはその声音の奥に潜む恐れを感じ取り、胸が締め付けられるのだった。


「レオナルド様?」


「……いや、すまない。ソフィアがそう決めたなら、会わなくても良い。クラウス、そう伝えてくれ」


低く落ち着いた声で命じながらも、内側では別の熱が音もなく広がっていく。

喉の奥が乾き、胸の内側がじりじりと焼けつくようだった。


――本当に、これでいいのか。


そう問いかける声が、何度も頭の内で反響する。


脳裏にはどうしても、あの夜の光景が蘇った。

高い熱に浮かされながら、ソフィアが縋るようにこぼした名前。


――エリック様。


彼女の唇に宿ったその響きは、弱く、儚く、それでいて切実で。

まるで心の奥底にしまい込んできた何かを、ほんの一瞬だけ零してしまったかのようだった。


そして、彼女が語った白い薔薇。

「大切な思い出だ」と震える声で漏らした理由を、今も聞けないままなのだ。


胸の奥で、静かな炎がゆっくりと燃え上がる。

それは怒りには届かず、嫉妬と呼ぶにはあまりに痛ましく、名のない熱だけがじんと残る。


「……ソフィア」


思わず呼びかけた声は、ひどく小さく、脆い。

気づかれぬほどの熱を秘めたまま、

レオナルドは彼女を守りたいと思う気持ちと、

誰にも渡したくないという焦がれる衝動の狭間でもがいていた。


***


ソフィアに会うため。ただその一心で、エリックは王都から遠く離れた地へと馬を駆った。護衛は必要最低限、風を裂くように馬を限界まで走らせて。

凍える風を切り裂くように駆け、何度も靴も外套も泥にまみれ、それでも足を止めなかった。


ソフィアの顔が見られる。あの日失ったものを取り戻す。

その希望だけが、彼をここまで連れてきた。


しかし。


「ソフィア様はお会いしないとのことです。遠路はるばるのご来訪、誠に恐縮ですが……どうぞお帰り下さいませ」


門前で告げられた侍従クラウスの言葉は、叩きつける雪も冷たかった。


「な……!?」


エリックの表情が、瞬時に凍りつく。白い吐息だけが空に散った。


――会わない?

ソフィアが、僕に?


理解が追いつかない。いや、理解したくない。


「ソフィアは……会わない、と……? 本当に……?」


声はかすれ、震えていた。

クラウスは深く頭を下げる。


「はい。ご決断は、揺るぎないご様子でした」


その一言が、エリックの胸のどこかを鋭く穿つ。ぐらり、と視界が揺れた気がする。


……ソフィア。どうしてだ。君は、僕を……待っていたはずだろう?


王都で聞いた噂。

辺境で孤独と不便に耐えていると信じ込んでいた彼は、その痛みに寄り添うつもりでここまで来た。可哀そうなソフィアを連れて帰るつもりで。


「……そんな、はず……っ。ソフィアは僕に会いたがっているはずだ、会わせてくれ!」


縋るような声が、冷たい空気に吸い込まれる。

しかしクラウスは、わずかも表情を変えずに頭を下げた。


「申し訳ございません。ですが……無理なものは無理でございます」


淡々とした返答は、鋭利な刃のようにエリックの願いを断ち切った。

衛兵に案内されることもなく、ただ門の前に置き去りにされる。


クラウスの背が門の向こうに消えると、エリックは拳を固く握りしめた。


「……くそっ……!」


荒く吐き捨てた息が白く散る。否定されてもなお、エリックの思考は頑なだった。

門前で追い返されてからも、彼はすぐにはその場を離れなかった。


――彼女は僕を愛しているんだ、僕との再会を拒むはずがない。


高い塀に囲まれた辺境伯邸は、外から中を窺わせる隙を与えない。それでもエリックは、凍える寒さをものともせず、半ば執念のように待ち続けた。


そして、どれほどの時が過ぎただろうか。

重厚な正門の前に、一台の馬車が止まった。エリックは無意識のうちに、物陰へと身を隠した。

やがて門が開き、最初に姿を現したのは、黒い外套を翻す男だった。


「あれが、ソフィアの新しい婚約者のレオナルド卿か……」


背は高く、肩幅のある体躯。凛と背を伸ばし、馬車の前に立った。

その隣に、白い外套をまとった細い影が並ぶ。その瞬間、エリックの視線は、否応なくそこに釘付けにされた。


「……ソ、フィア……」


喉が張りつき、声にならない。

彼女はレオナルドの手を借り、慎重に足を運びながら馬車へ乗り込もうとしていた。男の手は、慣れた仕草で彼女の腰を支えている。


近すぎる距離。

レオナルドは守るように寄り添い、ソフィアはそれを疑うことなく受け入れて身を預けている。


胸の奥が、きり、と軋んだ。


馬車に乗り込む直前、レオナルドが何かを囁いた。

それに応えるように、ソフィアがふっと口元を緩める。


――笑った。


エリックの胸の奥で、何かが音を立てて軋んだ。


「……な、んで……」


あれは、本来――自分に向けられるはずの表情だ。

自分だけに許されていた、柔らかな笑みだったはずだ。


嫉妬と否定がない交ぜになり、胸の奥で黒く澱んでいく。

寄り添う二人の姿を、エリックはただ、噛み殺すように見つめ続けていた。


ほどなくして、馬車の扉が閉まり御者の鞭が鳴った。車輪が軋みを上げ、ゆっくりと前へ進み出す。


最後まで、ソフィアはこちらを見なかった。当然だ。彼女は、彼の存在など知らないのだから。

それでも――見なかったという事実が、エリックの胸を抉った。


「……こんなはずじゃ……!」


低く、歪んだ声が零れる。

それは、自分のものだと思い込んでいた存在が、確かに誰かの手に渡っている

という現実を突きつけられた、どうしようもない嫉妬と焦燥。


「あいつが……! そうだ、あいつが邪魔をしてるんだな!」


胸の奥で、ねじれた確信が膨らむ。

辺境伯レオナルドが、意図的に会わせまいとしているに違いない。

再び婚約者を失うことを恐れているのだ。そうでなければ、説明がつかない。


「会えないというのなら……、仕方ない。強硬手段を取るしかないな」


低く呟く声には、もはや迷いも理性もなかった。

エリックは一度その場を離れた。

次に来るときは、ただ訪ねるだけでは済まないと、決意を胸に秘めて――。

本日より更新を再開します。

(また、これまでの話に加筆修正を行い、構成も大幅に見直したうえで、16話を追加しました。)

残り4話、2日に1回のペースで公開予定です。

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。どうぞお楽しみに!

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か(o゜Д゜ノ)ノ変わってる!!! 全体の流れゎ同じなんだけど…より丁寧にキャラクターの心情やシーンが紡がれている♡♡♡ ソレゎまるで元から美しい布に繊細な刺繍を施したような… 魅せられた私ゎ最初…
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