1.2 第7話 逃げ道などない
アパートを出た時彦たちは、隣の大きな平屋の門の前へと移動する。紅華が制服のスカートのポケットから古めかしい鍵を取り出し、門の鍵穴に差す。
それからチラリと時彦と時彦の肩に乗ったカヤンを見る。
「天井さん、カヤンさん。登録をしたいので門に触れてください」
「登録?」
「はい。女二人で暮らしているので、家には防犯結界が張ってあるんです。昨日は、その結界が暴走して締め出されてしまったんですが」
「そうだったんですか……」
時彦は前髪に隠れた目を細めて家のほうをじっと見やった。それから紅華に首を傾げる。
「でもこれって登録しなくても一時的に許可できる結界ですよね? 急な来客もありますし。宅配とか」
「確かにそうですが、何度も許可しなおすのは面倒なので」
「そうですか」
何度も来る予定はないし、来たくはないんだけど。内心、そんな事を思った時彦だが、紅華の頑固そうな目を見て、諦めて門に触れる。また、カヤンも時彦の肩から手の上まで移動して、門に触れた。
すると門の鍵穴に差さった鍵がオーロラのように輝く。その光は直ぐに消え、紅華が鍵を捻る。カチャリと音がなり、開錠された。
紅華が門を開く。
「登録は終わりましたので、いつでも家に来て大丈夫ですよ」
「……はぁ」
だから来ないって。
心の中でそんなツッコミをしながら、時彦は紅華に尋ねる。
「それで春風さん。傘はどこに」
「ああ。その前に家に上がっていってください」
「え、いや、僕、傘を受け取りに来ただけなので」
「いいから上がっていってください」
さらっと時彦の言葉を無視した紅華は、趣きのある玄関引き戸に手をかける。それに時彦が嫌な予感がして顔をしかめた。
(あまり長居したくない。特に大家さんに見つかると厄介だし、もう傘を受け取らずにさっさと帰ろ――)
時彦がそんなフラグめいた事を考えながら、念の為に肩にいるカヤンに隠れてるようにと言おうとした時。
「ねぇ、紅華ちゃん。なんか結界の登録が増えたけど、誰――」
ガラガラと玄関引き戸が開き、そこから白のシャツとショートパンツを着た司乃が現れた。
そして司乃は時彦に気が付く。
「あれ、104号室の天井くんじゃん」
驚いたように目を見開いた司乃は、時彦の肩にいるカヤンに気が付き、更に目を丸くする。
「えっ! その子、妖精じゃん! え、どういうこと!?」
「師匠、落ち着いてください」
「落ち着くも何も、どういうことなの、紅華ちゃん!?」
司乃は紅華の肩を掴んで揺らす。紅華は鬱陶しそうに顔をしかめた。
「師匠、事情は後で説明しますので、リビングに戻っていてください。天井さんを待たせるのも悪いですし」
「……分かったよ」
司乃は渋々頷き、玄関に戻っていく。そして紅華が時彦に振り返って言った。
「ということなので、天井さん。どうぞ、上がっていってください」
「……」
傘を受け取らないで帰るという選択肢は既に消えていた。
Φ
玄関から伸びる廊下の突き当りを左側に曲がって直ぐ扉を開ければ、広々としたフローリングのリビングダイニングへと繋がる。
入り口の左手側には併設されたキッチンがあり、その前に質の良いダイニングテーブルが置かれ、リビングにはソファーとローテーブル、テレビなどの家具が置かれている。
リビングダイニングの右手側には二つ扉があり、その反対側にはくれ縁があり、それを仕切る障子が半分開いていた
リビングの右奥には襖があり、チラリと開いている隙間から見やれば畳が見えるので、奥の部屋は和室だろう。
紅華は後ろを振り返り、時彦に言う。
「天井さん。そこのテーブルに座っていてください。あ、ソファーの方でも問題ないです」
「……はい」
紅華は右手側に並ぶ二つの扉の内、最もキッチンに近い扉を開いて部屋に入っていった。自室だろう。
時彦はどうすればいいか戸惑っていたが、司乃がL字のソファーに座ったのを見て、司乃から最も離れたソファーの端に腰を降ろす。
司乃がジーっとワインレッドの瞳を時彦に向ける。
「……」
「……」
気まずい。時彦はなるべく司乃から視線を逸らし、息をひそめる様にジッと固くなる。
司乃がカヤンを見やり、ポツリと尋ねてきた。
「天井くん。その子の名前はなんていうの?」
「……カヤンです」
「カヤンくんか……」
ポツリと名前を復唱した司乃は、それからのほほんとした笑みを浮かべた。
「カヤン君。私は夏目司乃。よろしくね」
「きゅ!」
「それで突然なんだけど、かっくんって呼んでいい?」
「きゅう」
「ありがと、かっくん」
楽しそうに頷いた司乃はソファーから立ち上がる。
「そうだ。私たちの使い魔も紹介しないとね」
司乃は和室へと向かう。和室の右手の奥側に消えた司乃は、数秒してスヴァリアとサカエルを抱え戻ってきた。
スヴァリアとサカエルはソファーの前のローテーブルの上に座る。
「こっちが紅華ちゃんの使い魔のスヴァリアことすっちゃん」
「にゃ~ん」
「んで、こっちが私の使い魔のサカエルことさっちゃん」
「ゲコ」
スヴァリアとサカエルが時彦とカヤンを興味深そうに見やる。特にスヴァリアはカヤンをジーっと見つめており、カヤンは「きゅ!?」と鳴いて時彦が着ている黒のパーカーのフードの中に逃げる。
司乃が笑う。
「かっくん。すっちゃんは確かに見た目は猫だけど、襲ったりしないって」
「きゅ、きゅう!!」
「いや、多分、興味がわいただけだと思うよ? ね、すっちゃん」
「んみゃ~」
スヴァリアは頷き、カヤンの近くに行くためか、時彦の膝に乗ろうとした。それを察した時彦は慌ててフードの中に手を突っ込み、カヤンを引っ張りだす。
そしてスヴァリアにカヤンを差し出した。カヤンが驚いた顔をする。
「きゅきゅ!?」
「お前だって僕を売っただろ。お相子だ」
「きゅうきゅ!」
スヴァリアが優しくカヤンの頭を撫でる。が、傍から見れば猫がネズミを食おうとしているようにも見えてしまう。カヤンはガクガクブルブルと震えていた。
すると、黒のIラインワンピースに着替えて自室から出てきた紅華が、お茶とコップを並べながらスヴァリアに注意する。
「スヴァリアさん。あまりカヤンさんを怖がらせてはいけませんよ」
「うみゃ~」
「確かにスヴァリアさんはそうかもしれないですけど、初対面でそこまで馴れ馴れしくされたら怖いじゃないですか?」
時彦の隣に座った紅華が「ですよね?」と時彦を見やる。時彦はどの口が言っているのだろうか……と思ったが、面倒そうなので頷いておく。
スヴァリアはゆらゆらと尻尾を動かし、考える。チラリと震えるカヤンを見て、仕方なさそうに頷き、カヤンを解放した。
「にゃ」
「きゅ、きゅう!」
「流石にそんな怖がったら失礼だと思うぞ。お前を食う猫でもないんだし」
「きゅきゅきゅ!」
「昔、似た姿の猫に食われかけた? ……まぁ、なら仕方ないか。スヴァリアさんもごめん。ちょっとトラウマがあるらしい」
「う~みゃ」
スヴァリアは仕方ない、と言わんばかりに鳴いた。時彦の服の中に逃げたカヤンはそっと襟元から顔を出すと、スヴァリアをチラリと見て、直ぐに引っ込んだ。
その様子をクスッと笑った司乃は、紅華と時彦を見る。
「それで結局、どういうことなの?」
その問いに時彦がビクリと震えた。昨日の事がバラされると思ったからだ。だからこそ、縋るように紅華を見た。
そして時彦は目を丸くした。紅華が自分に優しく微笑んでいたからだ。紅華が司乃の質問に答える。
「天井さんは稀子だったんです」
「……なるほど、稀子ね」
司乃が納得したように頷いた。聞き馴染みのない言葉に時彦が首を傾げ、紅華がそれに気が付く
「稀子というのは、私たち魔女たちと関係なくあっち側……精霊や妖精たちとかと関わりがある普通の人を言うんです。大抵、そういう人は霊感が強くてあっち側と波長があったりするんですが」
「波長……」
「ええ。人の生活に紛れて暮らしている精霊や妖精たちは別ですけど、彼らは基本、人に見られないように魔力的な波長を変えているんです。だから、波長が合う人しか彼らの姿を見ることができない」
なるほど……と時彦は頷く。また、司乃が補足を入れる。
「特に私たち魔女とあまり関係を取ってない精霊や妖精と関わっている人を稀子と呼ぶことが多いね。情報が遮断されている意味もあって」
「……なら、カヤンと僕はそれです。昔、地球に迷い込んでから人と関わらないように森で暮らしてたって言ってました。だから、僕もあんまり知らないんです」
「なるほどね」
司乃が紅華を見る。
「それで、天井くんがカヤンくんと一緒にいる理由は分かったけど、紅華ちゃんがなんで天井くんを連れてきたのさ?」
「ああ、それですね。昨日の事なんですが」
「昨日?」
司乃が不審そうに目を細め、時彦が身体を固くする。膝の上においた手をぎゅっと握りしめて、俯いた。
それに気が付きつつ、紅華は司乃に頷く。
「ほら、昨日、家の防犯結界が暴走したじゃないですか。私、傘も持ってなくて随分と濡れてしまったんです。その時、偶然天井さんが通りかかって雨宿りさせてくれて」
「雨宿り?」
「はい。シャワーとかも貸してもらいました。あ、変な事はなかったですよ。天井さんはいい人ですし、そんな事しませんから」
「……へぇ」
司乃がニヤリと笑い、紅華と時彦を見た。紅華はそんな司乃の反応を無視して、話を続ける。
「それでですね、私、見たんですよ」
「何をさ?」
司乃が意味ありげな視線を時彦に向けながら、紅華に首を傾げた。そして紅華は憤慨するように言った。
「天井さんがまともに食事を取っていない事をですよ!」
「へ?」
「え」
司乃と時彦が唖然としたのだった。
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