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第三話『雷神』

 水田はこの三か月で八度目の稲穂を結び、見渡す限りの黄金がさざ波を打っている。

 鎮守の森をかかえた鳥居や石垣の上の民家、それにすり鉢状に開いた砲弾孔が稲の海を点々と散らばっていた。


 少女はアスファルトで舗装された農道を歩いていた。

 彼女の目線の高さからは森や家、鳥居は見えても、砲弾がつくった醜い穴は見えなかった。


 もし、彼女の腕がちぎれて、そこから火花が散っていなければ、彼女と砲弾を結びつけるものはなく、ただ、ブレザー姿の少女が家に帰る途中に見えた。


 だが、少女の残った右腕は弾の切れた機関銃に変形したまま、もとに戻らず、彼女は戦争が生んだ歪なみなしごとして、牧歌のなかをどこへとも知らず、歩き続ける。


 彼女は人間だった。

 ごく普通の女の子だった。

 彼女がこんなふうになったことに責任のある大人は四人いた。

 そのうちひとりは無知、ふたり目は傲慢、三人目は狂信。

 そして最後のひとりは無知で傲慢で狂信だった。


 その最後のひとりが彼女の父親だった。


「あんたは自分が何を引きつれているか、知ってるのかい?」


「はい。わたしが破壊した兵器たちです」


「人間はひとりもいない」


「コロニー・サイボーグ憲章でサイボーグが人間を殺傷することは禁じられています」


「でも、あんたが破壊したサイボーグはあんた同様、かつては人間だった」


「サイボーグは人間ではありません」


「そうか」


「行ってもよろしいですか?」


「うん。邪魔したね」


 彼女の後ろには破壊するために生まれた機械たちが醜く融合してついてきていた。

 灰色に濁ったその霊体は兵器すら亡霊化することを絶望的に証明していた。


 ときどき悪霊たちは暴発した砲身や銃剣ユニットを彼女に振りかざすが、そのたびにシノビは苦無を投げ、不思議な術を使って、亡霊たちのセンサーを狂わせ、少女の姿が見えないようにした。


「霊遁術セミナーに参加していてよかったよ」


「あなたもサイボーグですか?」


「わたしは人間」


「では、命令権限を申請してもらえますか?」


「なぜ?」


「……誰もわたしに命令をしてくれないのです」


「彼らはみんな逃げたよ」


「わたしはここに放棄されたのですか?」


「そのようだね」


「わたしはもう戦闘力を大きく減じました。わたしを破壊していただけますか?」


「コロニー・サイボーグ憲章はサイボーグが人間に命令をすることを禁じているね」


「そうでした。わたしとしたことが失念していました」


 西に沈んだ太陽が押し広げた美しいあやは紫から橙、杏とそのさがを変え、傷ついた世界はやがて砕かれた星々に見守られるだろう。


「わたしたちサイボーグは夜になっても休みません」


「シノビは夜になってからが仕事だ」


「では、このまま一緒に歩いてもらってもよいでしょうか?」


「なぜ?」


「寂しいのです」


「わかった。一緒に歩くよ」


 やがて太陽は青い薄闇を染め上げ、青に溶けていく星々はこの世界が二度と傷つくことはないと約束する。だが、それは儚い嘘だ。


「シノビさん。眠くありませんか?」


「眠いさ。ふああ」


「では、休みましょうか?」


「足手まといになったりするくらいなら死ぬさ」


「死んだりしないでください、シノビさん」


「いや、死ぬよ。六十年後くらいに」


 夕暮れが本物の炎をなり、稲が燃える。

 どこかの無粋な爆撃機が帰りの燃料消費を抑えるために焼夷兵器を捨てたのだ。


 動力が尽きた少女をかかえ、シノビは小さな神社の祠のなかで火を避ける。


「わたしは知っていました。ここは実験区域です。この稲は有機マシン。鳥たちはドローン。そして、空はドームの映像。わたしと同じです。わたしは人にも兵器にもなれない。偽物です」


「これは本物。持っておいて」


 シノビは刀を鞘ごと抜き取ると、少女の体にたてかけた。

 機関銃のまま固定された腕を動かして、刀を抱けるようにした。


 ひと晩かけて、炎は偽物の稲を焼き切った。

 黒く煤けた炭の大地へ、シノビはカクシに入れておいた、ひと握りの本物の種をばらまいた。


 それはやがて、この打ち捨てられたコロニーを覆い、鎮守の森になることだろう。


     ――†――†――†――


「だから、刀は新しい神さまのための依り代にしたんだ。何度も言ってるようにね」


 ホテルの前のカフェでウェイターがソーダ水の栓を開けている。


 それを見ながら、シノビは今回の任務で使った刀を経費に認めさせようとしていた。


「じゃあ、あんたはあのまま、あそこが兵器系の悪霊の温床になったほうがいいっていうのかい? とにかく、こっちは仕事はきちんと果たした。そこのところ、ちゃんと分かってほしいな。だから、新しい刀をすぐに送るように。以上」


 電話を切った直後、遠雷が轟いた。


 見れば、入道雲が南から湧き上がっていて、三ブロック離れた通りまで豪雨が迫っていた。


 カフェの客はみなホテルに入っていく。


 ひとり、アロハシャツを着て首から復刻版の超厚型カメラを下げた男がシノビに慌てた様子で話しかけた。


「ホテルのなかに逃げたほうがいいぜ」


「どうして?」


「雨に濡れちまう」


「わたしはいま雨に濡れたい気分なんだ。それで肺炎を起こして、生死の境を彷徨いたいんだ」


「雷があんたを黒焦げにしちまうって」


「どうして?」


「どうしてって、どうして?」


「質問に質問をうんぬんは言わないでおく。で、どうして、あの雲がわたしに雷を落とすと? あんたは雷に恨みを買うようなことをしたのかい? たとえば、自分の娘をサイボーグにしたとか?」


「オーケー。分かった。人が親切に言ってやってるのに、あんたときたら、オツムテンテンのクルクルパーみたいに……。構わねえよ。ここは自由のコロニーだ。電子レンジが爆発したみたいに黒焦げになるのはあんたの自由さ」


 自由とは言うが、アロハシャツの男はよほど気に入らなかったのだろう、ホテルのなかからシノビを指差して、わめいていた。


「みんな、見ろよ! あいつぶっ飛ばされちまうぜ!」


 雨は二ブロック先を激しく打ち、


「あいつは脱走したクルクルパーなんだよ! 誰か病院に電話しろ!」


 雨は一ブロック先を激しく打ち、


「人が親切にしてやったのによぉ!」


 雨は目の前を激しく打ち、


「そら、ぶっ飛ぶぞ!」


 ぴたりと止み、雲が裂けて、淡い光がスポットライトのようにシノビを照らす。


「思ったよりも早かったね」


 シノビは微笑んで立ち上がり、アロハシャツとその他客大勢に優雅にお辞儀をしてみせた。


     ――†――†――†――


 でも、刀は経費で落ちなかったそうだ。

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