第一話『御守』
「お前、就職だっけ?」
「就職。お前、進学だろ?」
「118号都市大学だ」
「タダユキ。お前はやっぱ進学?」
タダユキは首をふった。
「いや。おれは入隊だ」
――†――†――†――
γ05星がコロニーの月となり、緑夜にかかる。
コロニーの一年の九割は緑の光の夜に閉ざされる。
高校卒業から入隊までの権力の真空みたいな時間をタダユキは街歩きに費やしている。
三須街道沿いの商店街。お茶屋。ラーメン屋。電気屋。瀬戸物屋。
歩道いっぱいにせりだした屋根の下を歩いていると、鳥居がある交差点を左に曲がる。
すると、高層ビル群に背を向けることになり、古い町へ足を運ぶことになる。
見上げると、コロニーを包み込む継ぎ目のないドーム。空には宇宙ステーションの怪しげな緑の点滅、首をちょっと横に向けると、稲荷神社の鳥居越しに地球艦隊の狼みたいなシルエットがゆっくり引き延ばすみたいに動いている。
交番には変色したプラスチックのボードに『本日の戦死者36名 負傷者602名』と数字の札がはめ込まれている。
戦争は間違いなく存在するし、それの一部になることを決めたが、まだ実感が生まれない。
あの艦隊は本当はオレンジジュース用のオレンジをγ05星に運ぶための輸送船団かもしれないし、交番の死者たちの数は何かの冗談かもしれない。
だが、ブレザーの内ポケットを叩くと、そこには生徒手帳に取って代わった軍人手帳が入っている。
これからは高校生として学ぶのではなく、軍人として給料をもらうのだ。
命をかけるにしては、割にあわない給料を。
「おれはどうして入隊したんだろう?」
寡兵所のスキャナーに個人情報を余すところなく与えたのが自分ではなく、別の誰かのようだ。
だが、彼は軍人になった。戦争に参加して、人殺しになることを承認したのだ。
「人が殺したくて入隊したのかもしれない。愛国心から入隊したのかもしれない。軍服がかっこいいから入隊したのかもしれない……」
公園の隣に歯科医院があり、横断歩道を渡ると、ヤツデの鉢に隠れた路地の入口。
シャッターに挟まれた道に自分の足音が響いた。
赤い提灯の下がった焼き鳥屋から香ばしい煙が流れ、そちらを見ると、串に刺さった肉が見えた。
それはぶつ切りにされたタダユキ自身。
固く目をつむって、心のなかで十三秒数える。
まぶたを開ける。串には細かく切った鶏が自分の染み出した脂でじゅうじゅうと焼けていた。
帰ったほうがいい気がする。
だが、後ろは緑の夜に閉ざされている。小さく見える表通りは今にも消えそうだ。
タタユキは進むことにした。
――†――†――†――
路地はますます暗くなる。
軒が伸びて、空を塞ごうとしているようだ。
柿渋の油紙を張った木格子からひそひそと老婆たちの声がする。
「ほら、あれだ」
「ああ、死んじまうよ、あれは」
「死ぬさ。どうして死なないもんか」
「戦争で死ぬんだ」
「死んで罌粟の肥やし」
「きっと罌粟は真っ赤なのさ」
「血みたいに真っ赤なのさ」
「ああ、死んじまう。死んじまう」
「死」
タダユキは悪寒を感じた。
まるでこれから打ち首にあうみたいに嫌な汗が首筋を濡らす。
格子窓から走るように遠ざかり、メモ帳を取り出すと、カノ先生に教わった住所を目指す。
小さな家が迷路をつくる下町を右、左、左、右とつぶやきながら歩いていく。
何度か宇宙船の発着時に起こる気圧の変化で音のきこえ方が変わり、つぶやく自分の声が自分のものと思えなくなることがある。
「当然だ。軍隊に入ると、おれの体はおれのものじゃなくて、軍のものになるんだ。おれの声だって、軍のものだ」
最後に曲がると、そこは袋小路で質の一文字を○で囲った看板がかかっていた。
柱が腐りかけた小さな門をくぐる。セイタカアワダチソウが野放図に生えて狭い庭を食い、制服のローファーが雑草に隠れて見えなかった子ども用の赤いじょうろを蹴とばすと、蚊の卵だらけの水がバシャッと音を立てて、まき散らされた。
曇りガラスをはめ込んだ戸の横にはブザーがあり、それを鳴らすと、ひどく場違いな低くなめらかな駆動音が鳴って、ガラス戸が横へ滑っていった。
ガラクタが所狭しと置かれている。ガスマスク、四次元曼荼羅、家庭用レタス栽培器。
カウンターは謎のプラスチック部品に圧迫されて、人の肩程しか幅がなく、そこにカノ先生にそっくりの女の人がいた。
「あの、すいません」
「はい?」
「カノ先生にここに来るように言われたんですけど」
「アキノリから? ああ、あなたがイダテ・タダユキくん?」
「はい。わたしの名前です」
女性は大きな巾着袋をカウンターの上でひっくり返し、細々としたガラクタのなかから青い袋のお守りをつまみ上げて、
「手を出して」
「こうですか?」
タダユキの手にそれを押しつけた。
「お代はアキノリからもらってるわ。きいたけど、あなた、アキノリのクラスで唯一の入隊なんだって?」
「はい」
「心配なんだってさ」
「はあ」
「あいつが心配するなんて、よっぽどよねえ。ほら、あいつ、喜怒哀楽が抜け落ちてるでしょ。遠慮しなくてもいいのよ。あいつもそれが分かってるし。でも、感じにくいってだけで、感情が全くないわけじゃないのよ。こんなふうにお守りを持たせたりすることもあるのよ。……まあ、二十年に一回くらい」
「はあ」
「前回が二十歳のときで、いま、三十七だから、サイクルは三年縮んでる。次は十三年後の五十歳かもしれないけど、サイクルの縮み方が指数関数的なら、明日にも感情が溢れて、自分じゃどうしようもなくなるかもしれない」
――†――†――†――
元来た道を戻る。
あの柿渋の油紙を張った木格子のそばまでやってきた。
老婆たちがぺちゃくちゃしゃべっている。
「ほら、戻ってきた」
「死にに戻ってきた」
「どうやって死ぬか」
「砲弾でバラバラ」
「機関銃で蜂の巣」
「毒瓦斯で窒息」
「ああ、死んじまう。死んじまう」
「死」
タダユキはお守りを握りしめ、木の格子を少しだけ引いた。
ピタリと話し声が止む。
恐る恐る、なかを覗いてみる。
老婆が五人か六人くらいいると思っていたが、畳の上にいたのは和服姿の若い男がひとり。
和服と言っても、浴衣みたいな着流しではなく、袴に脚絆をつけていて、袖なしの羽織をつけていた。
男はさらさらした銀髪が目にかかったのを指でよけているところで、たまたまタダユキと目が合った。
よく分からないが、謝るようにぺこりと頭を下げ、その場を後にする。
――†――†――†――
シノビはタダユキが去った後、その手元にあった刀を抜いた。
黒い煤の模様となった悪霊たちの顔が刃にいくつも染みついている。
「ああ、消えちまう」
「死んじまう、死んじまうよ」
「消えたくないぃ」
シノビは懐紙を折って、刃を挟むと命乞いする穢れたちを拭った。