22 記憶喪失の予定日
ザカリアスが記憶喪失になる日が来た。
これは避けられないと思われる出来事で、リヴァイスは同行できない。ザカリアスに同行を拒否されてしまう。
しかし、今回は代わりに同行できる者がいた。
リセットだ。
「私に同行できるということは、それなりの腕前にはなったのだろうな?」
「リヴァイス様の弟子ですから」
「そうでなければ許可はしない」
リヴァイスの魔導士としての才能は破格。
そのリヴァイスが懇願するということは、すでに実務経験を積ませたいほどの技量になっているのだろうとザカリアスは思って許可を出した。
「ですが、まだまだ勉強中です。何でもできるわけではありません。騎士もいますし、魔導士の出番はほとんどないとか」
「まあ、そうだな」
「何でも勉強になりますので、ぜひお側にいさせてください。一応、王太子妃候補です。王太子殿下の役に立つのが務めです」
「そうだな。せいぜい励め」
(威圧感が凄い。優しくないし)
これがザカリアスの本当の姿なのだとリセットは思った。
貧民街の視察が始まった。
お忍びではあるが、貧民街の住人でないかどうかは見ればすぐにわかる。
物乞いが次々と集まって来た。
(凄い)
だが、施しをしに来たわけではない。騎士が適当に追い払っていた。
「そろそろあれを使え」
「わかりました」
騎士の一人が小袋を取り出した。
「ここに金が入っている。袋ごと投げるから取りに行け! 我々の邪魔をしたら処刑する。死にたくなければ金を拾っていろ!」
騎士が小袋を投げた。
口が開いて、中に入った硬貨が飛び散っていく。
周囲にいた人々は硬貨を必死で拾い始めた。
「我々の邪魔をするな!」
「近くに来たら妨害行為で処刑だ!」
「落ちている金を拾え! その方が得だ!」
再度、念を押すように騎士達が叫んだ。
「いつもこのような方法を?」
リセットは王太子に尋ねた。
正直、あまり良い感じはしなかった。
「いや、今回が初めてだ。口で言っても意味がない。次々と寄って来る。死傷者が出ないようある程度集めてから追い払う手段として実行してみることにした」
注意するだけでは安全確保ができない。視察もできない。武器や魔法を行使することで死傷者を出したくないからこそ、特殊な方法を試したという説明だった。
「こんなに貧しい場所があるなんて……」
どこからともなく現れた人々が道に散らばった硬貨を拾う光景は、リセットの心を苦しくした。
「税を軽くするよう進言したが、元々税を払っていない者には関係がない。税が少なくなることで生活が楽にならない。そのような人々が貧民街には多い」
「なるほど」
「重要なのは税を軽くすることでも給与を高くすることでもない。人々の手の中に金があるか、それを日々の生活のために安心して使えるかどうかだ」
いくら給与を上げても税金のせいで手取りが少なくなれば、人々の生活は豊かにならない。
貯金しなければ不安だというのも同じ。金があっても使わなければ、金がない状態と同じような生活になる。
「人々が豊かな生活や人生を送るために十分な金を与え、使わせ、社会における血流としての金をうまく循環させないといけない」
「確かに」
「硬貨をばら撒くぐらいではまったく効果がないが、貧しい人々が金を手に入れることにはなる。さすがに紙幣をばら撒くのは難しい」
貧しい人々にお金を渡したい。だが、ただ施すだけでは解決しない。
取りあえず、視察の安全確保用として硬貨をばら撒いてみたのだろうとリセットは思った。
「キャンディーをばら撒くと子供達の人気者になれそうです」
「なるほど。子供のための政策も考えないとだな」
「高貴な方!」
小さな女の子が叫んだ。
「お母さんが病気です。魔法で治してくれませんか?」
ザカリアスはリセットを見た。
「治癒魔法を使えるか?」
「使えません」
「使えないのか。確認しておけばよかった」
「いつも同行する者は使えるのですか?」
「使える。だからこそ、いつも連れて来る」
ザカリアスが当番の魔導士を変えたがらない理由が判明した。
「怪我をするようなことがあるのですか?」
「私は常に守られている。必要なのは騎士やここに住む者だ。貧民街には医者にかかれない者もいる。場合によっては派遣する」
(騎士や貧しい人のために治癒魔法を使える魔導士にしているのね)
リセットはザカリアスの優しさを感じた。
「無理だ! 治癒士はいない!」
「うわーん!」
女の子は走っていってしまった。
すると、足元に魔法陣が光り始めた。
「何だ?」
「魔法陣だよ」
フードを深く被って顔を隠した子供が言った。
「お金を恵んでくれたら消してあげるよ」
「これは……罠魔法なのか?」
ザカリアスは初めて見る魔法陣と子供の使い手に困惑した。
リセットも足元を見つめた。
「初めて見ます」
「オリジナルなんだ。魔法を試してみる?」
(王太子殿下は記憶喪失になるだけで、爆死はしていないわよね?)
リセットはそう思った。
だが、すでに多くのことが変更になっている。
記憶喪失になる日のことも変わってしまっている可能性があった。
「いつもの魔導士ならどう言うでしょうか?」
リセットはザカリアスに尋ねた。
「金を払うだろう」
「これ、オリジナルというだけあって独創的ね。才能がありそうだわ」
リセットは持っていた杖の先をさりげなく魔法陣にくっつけた。
「私はお金を持っていないの。とっても美味しいキャンディーじゃ駄目かしら?」
「いいよ!」
リセットはポケットをゴソゴソと探った。
「はい。これでいい?」
リセットが握った手を差し出して開くと、キャンディーが載っていた。
「やった! ちょっと待って、すぐに消すよ!」
子供は魔法陣を消そうとして驚いた。
すでに魔法陣がなかった。
「あれ? 僕の絵がない? どうしてかな?」
「私が消したの」
リセットはにっこり微笑んだ。
「危ないことをしてはいけないわ。捕まえてください。たっぷりお説教をします」
「子供を捕らえろ」
ザカリアスが命令した。
「ただちに!」
様子を見ていた騎士達が動いた。
「ええっ!」
子供は逃げようとしたが、すぐに捕まった。
「こうなったら!」
少年が手をつき出すが、騎士が少年の手を掴んだ。
口を塞ぐと、すぐに少年はがっくりと頭を下げていた。
意識を失った少年に魔法拘束具をつける。
「慣れてますね」
騎士は子供を魔法で眠らせ、抵抗できなくしていた。
「普段は寄って来る者への対処で忙しいが、今回は小銭袋のおかげで余裕ができた」
「なるほど」
「もう動いても大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
「初見で解除したのか?」
「無効化しました」
「罠魔法を無効化できるのか? 凄いな!」
「あれは罠魔法ではありません。魔力のお絵描きです」
魔力で魔法陣の絵を書いたもの。
但し、何の効果もないとは限らない。
ザカリアスが記憶喪失になったのは、この絵のせいではないかとリセットは推測した。
「あの子から話を聞けば、どんなお絵描きをしたのかわかると思います」
「そうだな」
「どうしても師匠に会わせたいのですが、視察を続けられますか?」
「すぐに戻る。子供を長時間拘束するわけにはいかない」
「あの子のことを考えていただきありがとうございます」
「リセットもうまく対処していた」
相手を褒めながら警戒心を緩ませ、対価を金からキャンディーに変更した。ポケットを探るようにして時間を稼ぎ、足元の魔法陣もどきを無効化した。
「師匠に良い報告ができそうです!」
「良かったな」
視察は終了。
ザカリアスは記憶をなくすことなく王宮へ戻ることができた。
「リセット!」
視察から戻って来たリセットを見てリヴァイスは駆け寄った。
戻ることを伝令の騎士がリヴァイスに伝えていたため、馬車の到着を今か今かと待っていた。
「大丈夫だった?」
「はい。お土産があります」
「お土産?」
「子供だ」
ザカリアスが答えた。
「魔力で魔法陣のような絵を描く少年を捕縛して貰いました」
「罠魔法?」
「いいえ。見たことがないものだったので、取りあえず無効化で処理しました」
「うまく処理できた?」
「はい」
「凄いじゃないか!」
リヴァイスは嬉しそうな表情になった。
「師匠のおかげです」
「名前の方が嬉しい。外ではともかく、王宮では問題ないはずだ」
「リヴァイス様のおかげです」
「そうだね。でも、リセットの努力があってこそだよ」
「立ち話が長い。行くぞ」
ザカリアスが廊下を歩き始めた。
「リセットは兄上の護衛を。部屋までついていって、退出の許可を貰うまでは一緒にいること。僕は先にお土産を見て来る。あとで話そう」
「はい」
二人は笑顔で待ち合わせの約束をした。