感想欄で展開予想をする人は、むしろ自分で作品を書くべき
感想欄に「展開の先読み」をすることについて書かれたエッセイがあったので、補足的なことを少し書いてみようかと。
感想欄での展開予想とかが、作者にとって困る。というのには基本的に同意です。
私も過去にされたことがあって、その瞬間に
——いや、その予定じゃなかったんだけど、それも良いな……
——でもそれでそっちに合わせたら、私の軸がずれるから無理だな……
みたいな混乱が起きて、しかも最終的に
——あれ、私が書きたかったのって、どういう話だったんだっけ?
——おかしいな、話を書いていてもあまり面白くない……
という、支離滅裂な状況に陥ったことがあるので。
まあさすがに、これは私の心が弱すぎるのが問題だと思うのですが。
でもそうじゃなくても、
——もしかしてこの展開は、ありきたりなのかな……
みたいな、謎の不安感が押し寄せることもあると思うし
——この指示に従うと、これはもはや私の作品ではない
という、作者が作品に対してもつ愛着感を薄めてしまうことにも……
だから私が、他人のコメント欄にそういうことを書くことは絶対にしないのですが。
かといって、ではそういう感想を書いてしまう人を一概に否定するのも違うのかなと。
いや、その行為に対しては「頼むから、やめてくれ」と言いますが、でもその人の人格を攻撃することも、したくはありません。
なぜなら私にも、その気持ちはわかるから。
私がもし作者側の人間でなかったなら、逆だったかも知れねェ…ということです。
だから、なぜそもそもそんな不毛なことをしたくなるのかを、考えてみることにしましょう。
少なくとも、悪意があってのことではないと信じたい。
ということでまず前提として。
展開予想とかそういう行為は、ある程度、妄想力がないと、できません。
作品を読んでいるうちに、作者の世界に少しずつ取り込まれていく。
主人公の気持ちが、ヒロインの気持ちが、作者の世界の物理法則が、肌に感じられるようになる。
するとやがて、自分自身が主人公であるかのような気持ちになる。
自分だったらこうする。あるいは、こうなってくれたらうれしい。というように想像できるようになる。
あるいは一足先に、何かに気づく。
そうか、作者はまだ明言していないけど、こうなるのはこういう理由だったのか!
と。それが事実かどうかは別として。
つまりこの瞬間、その読者は限りなく作者側に近づいていると言い換えても良い。
作者にとって必要な「承認欲求」と「妄想力」を、両方とも満たしている。
あとはそれらを掬い上げる、最低限の国語力さえあれば良い。
もし今まさに、展開予想コメントを書こうとしている人がいるならば、伝えたい。
あるいはもし、今後私のコメント欄にそれらが現れたときにはこう返そうと思う。
「コメント欄に書くのではなく、あなたの作品として、その世界を作り上げてください」
そうすればきっと、その作品は路傍の石のように、誰の目にも留まらないことでしょう。
あなたが「ナイスアイデア」だと思っていたそれが、世間ではいかに無価値かを理解できるはず。
これからは、ぱっと思いついた下らないアイデアで、作者の心をかき乱すのはやめましょう。
あるいはあなたが書いたその作品が、大好評だったのだとしたら……
それこそコメントなんかでその才能を浪費しないでください、と。