04
「そして……ここからが本題なのですが。
私が会いに行くようになって半年ほど経った頃から、彼女の様子がおかしくなってきていました。
あ、もちろん宗教にはまった時点から『おかしく』はなっていたのですが、何というか、それまでは思想こそ偏っているものの、精神状態は安定していたんです。
最初は職場でもうまくやっていたようですし、口を開けば先輩の惚気話ばかりでした。
それが、徐々に職場の愚痴に代わり、先輩の対応も素っ気なくなってきた、という話になり。
よくよく話を聞くと、どうやら先輩の禁止を破って、職場での勧誘をしてしまったそうで」
「さすがに、職場では勧誘していなかったんですね」
「はい。従姉だけは見込みがあったから勧誘したんでしょうけど、大きい会社ですから、もし失敗したらすぐに問題になって解雇されるでしょうし、相当慎重にやっていたんだと思います。
もちろん、入信したばかりの従姉には、職場では下手にその話をしないよう釘を刺していたはずです」
「それを破ってまでということは……勧誘にノルマでもあったんですかね?」
杉浦は「その通りです」と勢いよく頷いた。
「ノルマというほどのものではなかったようですが、やはり勧誘に成功した人数によって宗教内での位が変わったりするようで。
従姉は先輩にもっと気に入られたいがために、信者を増やそうと周囲に必死に勧誘を繰り返していたんです。
結果、ご想像通りだとは思いますが……勧誘された友人知人は最初こそ従姉を改心させようとするんですけど、それがどうにも出来ないと分かると、皆離れていったようでした。
勧誘されても離れていかなかったのは、本当に私くらいです」
そこだけ妙に強調して、杉浦は言う。
「従姉は、焦っていました。
先輩はおそらく、社内で孤立した彼女を切り捨てようとしたんです。
自分まで巻き込まれて、失職しては困るでしょうから。
従姉は不機嫌な日が増えて、私にも八つ当たりしてきたりして――それでも私だけは、変わらず従姉に会いにいっていたのですけど。
そんな時でした。
私があの記録媒体を、彼女に渡したのは……」
さすがに話の筋が見えてきて、嫌な予感に苛まれた山中は頭を抱えた。
「従姉は大学院時代、楽しそうに研究に取り組んでいましたから、それを思い出して少しでも気が紛れれば――という思いもありました。
結果……従姉は、とても元気になりました。
まるで、人が変わったかのように」
「あの中身について、従姉は何と言っていたんですか」
「その時は『すごい新発見』だと繰り返すだけで、私には教えてくれませんでした。
話してもどうせ理解できないと思ったのか、あえて隠したのかは分かりませんけど。
その時私が心配していたのは、その書きかけの論文を従姉が自分のものとして発表してしまったらどうしよう、ということだけでした。
私は、盗作の片棒を担いでしまったのではないかと……」
「……幸い、あの中身がどこかに載ったという話はまだ聞きませんよ。
発表されれば、業界では多少なりともニュースになるでしょうし」
「はい……でも、実際はそれより恐ろしい事態になってしまった……」
ぞっと寒気がして、山中はリモコンで冷房の設定温度を上げた――しかし本当は分かっていた、その寒気が気温によるものではないことを。
重い沈黙ののち、山中は意を決してずっと気になっていたことを尋ねた。
「……『あれ』は、使われてしまったということですか」
杉浦は何も言わず、鞄から一枚の紙切れを取り出した。
それは新聞のコピーの切り抜きで、端に手書きで去年の日付と新聞の名前が書いてあった。
赤ペンで囲まれた小さな記事の見出しには「熱中症か――路上生活者が相次いで死亡」とある。
「……去年の八月三日の記事です。図書館でコピーしてきました」
前日の八月二日、大阪の河川敷で複数の路上生活者が熱中症とみられる症状で相次いで亡くなった――という内容だった。
「これは、僕も覚えています。
夕方のニュースで一瞬流れて、えらく近所だなと思って……。
確かに『あれ』は理論上、見かけは熱中症のような症状が出てもおかしくないが……しかし、これが……?」
動揺する山中に、杉浦は悲痛な面持ちで頷いた。
「私も、もちろんその時は全く気付きませんでした。
そもそも、あの論文の内容も知りませんでしたし。
気付いたのは、数か月前、たまたま従姉の携帯電話のメッセージ通知が見えたからなんです……」
「……何が見えたんですか」
「『決行日決定。詳細はメールにて』というようなメッセージでした。
従姉の部屋を訪ねていて、彼女がお手洗いに行ったとき、たまたま携帯電話が机に置きっぱなしで、画面に通知が出て。
しかも送り主は、あの佐久間とかいう先輩の名前でした」
「決行日……」
「幸霊教関係であることは間違いない、と思いました。
ふざけたデートの誘い方かもしれませんが、従姉はそんなキャラでもないし。
咄嗟に私は携帯電話から離れ、のぞき見たことがバレないように振舞いました。
戻ってきた従姉も疑う様子はなく、普通に携帯電話を確認していました。
でも、私は『決行日』という表記がどうしても気になってしまったのです。
ただの宗教行事ならよいのですが、せめて何の決行日なのか、出来る限り確かめてみようと思ったんです」
「確かめられた、のですか」
そう発した山中の声は、少し震えていた。
杉浦は小さな声で、しかしはっきりと「はい」と答えた。
「その日、私は従姉にねだって泊めてもらうことにしました。
そして彼女がお風呂に入っている間に、こっそり携帯電話を覗き見たんです……。
メールといってもパソコンのメールかもしれないし、駄目元だったんですけど、運よくすぐにそのメールを見つけることができて……」
杉浦は自分の携帯電話を取り出し、ある写真を山中に見せた。
それは他の携帯電話のメール画面を撮影したもので、そこには明日の日時と、山中の論文にあったガスを現場で拡散するための手順が、詳細に記載されていた。
メールの送り主は「佐久間 勇人」となっている。
液晶画面を指でスライドさせ、杉浦は別の画像を表示した。
見覚えのある地図。
ここから少し離れた河川敷に大きく丸マークが付けられており、矢印で「常駐ホームレス三名程度対象」と記載されていた。
「こっちが添付ファイルの地図です。
場所は、去年の『熱中症』現場の近くです」
「これは……明日じゃないか!」
「そうなんです!だからもう、山中さんが最後の望みなんです!」
山中の驚愕の声に被せるように、杉浦は大きな声で答えた。
「私はこのメールを見てさえも、すぐに意味は分かりませんでした。
でも、メールを大急ぎで遡って読んでいるうちに、やっと気づいたんです。
私があの時渡した論文には、どうやら人間の『安楽死』を可能とする新しい気体を作成できる手法が載っていて……従姉は、それを先輩に……あの佐久間とかいう男に報告して」