マフィンバター少なめ砂糖多め
「見て!海キレ―」
「あんまり近づくと濡れるぞ」
「当たってよかった。
新婚旅行も結局できなかったもんね」
おれと天音は旅行をしている。
偶然くじ引きの一等が当たり。
偶然会社の休みと重なったのだ。
海辺で自由時間となり、天音と散策することしばし。
そこで本来見かけるはずのない人物が向こうから近づいてきた。
「拳太くん!久しぶり」
「瑚子!?何でいるんだよ!」
「天音さんに聞いちゃった」
すぐに振り返ると、天音はばつが悪そうな顔をしている。
そういえば。今回の旅行、瑚子の移住先の国だった。
「様子聞こうと思って電話したら天音さんが出てくれて。
で、全部話しちゃった。
そしたら旅行でこっちに来るって言うから、こりゃ一回会っとこうと思って」
「お、おい……」
ということは。おれにメシマズの神が憑いていることを天音は既に知っているということだ。
どう反応したものか迷っていると、天音が一歩前に踏み出した。
「気を使ってくれたんだと思うよ。
でも、あなたが本気で悩んでいることや困っていることは言ってほしい。
わたしには隠さないで」
「わ、悪かった……」
頭を下げると、天音ははにかんで首を左右に振った。
「いいよ。わたしも言ってなかったことがあるから。ごめんね」
え、気になる。おれが黙って先を促すと、天音は決心したように息を吸いこんだ。
「この旅行。わたしのせいなの」
「はあ?」
「またすごい人と結婚したね、拳太くん」
「どういうことだ」
おれが尋ねると、瑚子はどこか優越感をにじませながら告げた。
「福の神が憑いてるよ。天音さん」
その時。天から声が聞こえた。
「天音、もう出てきてもいい?」
「いいよ、ラッキーちゃん」
天音がそう応じると、天音の肩辺りの空間に少年が現れた。
小学生高学年くらいの生意気そうな子供が空中に浮いている。
「天音。そいつ、誰」
「幸運の神さま。わたしはラッキーちゃんって呼んでるの」
ペットみたいだな。おれの視線に気づいたのか、福の神はにらみ返してきた。
「言っとくけど、おれの方が先に天音と出会ってるから」
うん。それがどうした。
取り合わずにいると、メシマズの神もおれの前に姿を現した。
「福の神ではないか。久しいな。安藤の跡取りも」
天音の上を通り過ぎ、悠々と瑚子の周りを飛ぶのに違和感を覚えた。
以前は安藤の家に入っただけで息をひそめていたはずだ。
「おまえ、瑚子の前に出てきていいのか」
これに答えたのは瑚子だった。
「日本の家じゃないと抑えられないからね。野放しするしかないの」
悔しがる瑚子をからかうように一回転する。ムカつくだろうな。おれもだ。
そこでふと、福の神とメシマズの神――貧乏神が並んだ。
「ていうか、お前ら共存できるのか?」
「おれらはビジネスパートナーだから」
「つまり?」
「つまり、運はいいけどいつもメシがマズいってことだ。めったにいないぞ、そんな奴」
嬉しくない。
「どうすりゃいいんだよ、瑚子」
「どうにかした方がいいの?福の神だよ?」
「うーん」
「日本に戻ったら」
瑚子はいったん言葉を切り、天音に聞こえないよう声を潜めた。
「日本に戻れば、貧乏神を抑えられるかもしれない。
けど、天音さんに憑いてる福の神にどんな影響があるか分かんないよ」
「うーーん……」
もし福の神に何か――いなくなってしまってもきっと、天音はおれを恨まない。
だけど。せっかく引越しした瑚子をわざわざ日本へ戻して。
天音から福の神をはがして。それで、どうなるというのだろう。
「このままでいい」
ぼそっと答えると、瑚子は苦笑した。
おれがそう答えるのは予想済みだったようだ。
やがてバスの集合時間が来て、おれたちと瑚子は別れた。
手を振っている瑚子を見て気付いた。解呪の仕事はよほどの重荷だったのだろう。
瑚子は日本にいた時よりも明るく軽やかな足取りだった。
瑚子と別れてバスに乗り、走ることしばし。
バスガイドがマイクを握って前に立った。何か始まるらしい。
「イベントタイムでございます。
じゃんけんで最後まで残った方、限定のお菓子をプレゼントします」
バスの中が歓声で満ちた。
そういえば日程の中にお楽しみイベントもあり、と書かれていた。これのことらしい。
そして数分後。
「おめでとうございます!」
当然というかなんというか、天音が優勝した。
天音は少し恐縮しながらカラフルな箱を受け取る。
箱の中にマフィンが2切れ。天音が1切れをおれに渡してくれた。
「ああ、ありがと」
受け取りながら、おれはどこか上の空だった。
この場合、どっちなんだ
フツウに考えれば、これもマズイのだろう。
けれどここに。福の神がいる。
せっかく当たったマフィンでもまずかったら。それは「幸運」ではない。
だからこれは、もしかしたら。
おそるおそる口に入れた。
…………
信じられないくらいの無味。
食器洗い用のスポンジを食べたみたいだ。
つまりマズイ。
「お前が今食べているのは現地ケーキ屋の子どもがいたずらで紛れ込ませうっかり出荷されてしまった小麦と水のみのマフィンだ」
「な、何で。福の神が憑いてるんじゃ」
「バカなやつだな。おれは天音に憑いてんの。お前は範囲外」
「ええええ」
結局のところ。おれにとっては厄介な存在が増えただけだった。




