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刺身パックはなるべく種類が多いもの

メシマズの神がいなくなってから数年。

おれの毎日は一変した。

何しろメシがうまい。

闇鍋会に来ていたメンバーの一人、同僚の女性と結婚し、おれは独身寮を出てアパートに入った。

土地価格が下がり切ったところで家を買ったら今は一等地になり。

大きなクレーム案件にたまたま克広が関わっていて場を収めてもらい。

自分で言うのもなんだが、怖いくらいに順調だった。

新婚生活をゆっくり楽しみたかったが、ちょうどその頃に仕事の忙しさがピークに達した。

そしてある日。

おれの帰りは深夜になった。

とにかく疲れ果てている。カバンを床に置き、ソファーへ体を沈める。

「お帰り」と妻――天音(あまね)が駆け寄ってきた。


「起きてたのか。先に寝てて良かったのに」

「遅かったね。どうしたの?」


定年前の、雑用ばかり押し付けられている先輩がいた。

ウワサではかつて会社に対して反抗したことがあったらしい。

彼に対する上司の態度があからさまに嫌がらせだったので、自分は注意した。

だけでなく、説教じみたおまけまでつけてしまった。

以前からオカシイと思っていたこと、現在はまじめに仕事している者に対してあまりにも横柄な態度であること、相手には反抗の術がない事。

上司のひきつった顔、もめ事を敬遠する数々の視線。

あとで心配の声をかけてくれた者も少なくなかったが、空気は圧倒的に冷ややかさが勝っていた。


「もしかしたら仕事振られなくなるかも」

「仕事辞めたらここも引っ越しだね」


冗談めかして言う。


「大丈夫だよ。すぐにね、何とかなるから」


何の根拠もない慰め。でも天音が言うと本当になる気がした。

肩の力が抜けた。


「悪かったな、帰ってきていきなりグチって」


そう軽く頭を下げると、天音は「ううん」と笑みを深くする。


「ごはんまだだよね。温めてくる」


「夕飯、何?」


と、ここで気づいた。異臭が漂っている。

そういえば。朝から天音は様子がおかしかった。

どこか上の空と言うか、そわそわしていて。


「覚えてる?今日はわたしたちが初めて出会った日だから、鍋にしてみたの」


両手に鍋つかみをはめながらそう言う。

闇鍋の日に出会ったから鍋か。中身がすごく気になる。


「わたしの作ったおにぎり褒めてくれたよね。

 料理褒めてもらったの初めてだったからうれしかった。

今日はあなたのリクエスト通りにしたの」


食卓の真ん中にそれが置かれた。

リクエストなんてしたっけ?

その疑問は一品ずつ箸でつかむたびに解決した。

出勤前にされたあの意味不明な質問、鍋のことだったのか。


――赤と白どっちが好き――

鮭か白身魚かってことか。

――綿と絹は?――

豆腐のことだ。

――固体と液体は?――

まさか。しょう油か味噌かってことか。


「味どう?」

「うん。おいしいよ」


これ以外の回答があればだれか教えてほしい。

食事を進めるうちに、おれは絶望へ落とされた。

今日がおれの命日か。

一見フツウの肉団子だが、箸で裏返すと紫だ。

それはいい。そういうこともあるだろう。

天音は結構こういうことをする。

問題は、明らかに市販品の刺身。

この味。これは。まさか、そんな。

食事を終えたおれはそっと席を立った。

台所から離れて自室に入り、一言。


「いるんだろ」


おれのイヤな予感は的中した。目の前に真っ白な髪がふわりと広がる。

白い狐のようなそのシルエットをおれはめまいと共に眺めた。

メシマズの神。


「覚えているか。今日はわたしたちが初めて出会ってから12年と231日目だ」


「普段日じゃねえか」


「食物のチェック体制が強化されて検査技術も上がった昨今、不良品が紛れ込むのは奇跡に近い。

 その奇跡がお前のところで集中的に起こるようにした。

 おまえがさっき食べたのは厳しい検査をかいくぐって店頭に並んだ人体に無害な紫のつくねだ」


「何か懐かしいよ、もう。まだお前取り付くのか?

 柚子(ゆず)ちゃんとはとっくに別れたし、おれに呪いをかけた奴らもう何年も会ってないのに」


「気づいてしまったならば仕方ない」


メシマズの神はコホン、とわざとらしく咳ばらいをし、両手を広げる。


「わたしの呪いは2年更新だ!」

「アパートかよ!」

「つまりお前に嫉妬する輩はつねに一定数いるということだ。

 大変だなはっはっはあ」

「他人事みたいに言うんじゃねえ!」


「多くのものを持っているのだ。メシマズくらい減るものでもなかろう」

「おまえがそれ言う!?

 おれ……そんな恨まれているのか?」


メシマズの神は初めて見る表情を浮かべた。どこか自嘲するような、影のある笑み。


「誰もが多かれ少なかれ幻想にとらわれている。

 『フツウの幸せ』などという蜃気楼のような下らぬ幻想だ。

 おまえはフツウの幸せを体現し、皆が抱く幻想の王道を進んでいる。

 保身に走るばかりでなく、周りの過ちをも正そうとする。

 だからだ。だから私がここに居る」

「さっぱり分からん。人それぞれなんだからおれを妬む必要ないだろ」

「はい、2年延びましたーー」

「何でだよ!つまり、あのまま同僚を見捨ててりゃよかったって言いたいのか?」

「……どあほう」


一方的に理不尽な悪口を残して、メシマズの神は姿を消した。

おれは1人部屋に突っ立ったまま、ひとまず次に打つべき手を考えた。



「ここぉ!どういうことだ。あいつまた現れたぞ」


結局のところ。おれ自身の力でメシマズの神を追い払うことはできない。

数日間悩んだ後、瑚子へ連絡を取るのは当然の手段だった。


「憑りついたきっかけ、今度は何て言ってるの?」

「よく分からなかった。はっきりしたきっかけはないような」

「唐沢くんについてるのは悪霊じゃなくて神様。

 恨み妬みが積み重なって根差せば信仰になる。

 信仰があって神様は動く」


おれはメシマズの神が言ったことを思い出しながら伝えた。

瑚子はおれのたどたどしい説明を拾い集め、その都度補足していった。


「前は闇鍋中に何だか楽しくなってきちゃって神様が消えたんだよね」

「そういう言い方されると変な感じだけど、まあそうだ」

「じゃあ、神様が呪いの仕組みを変えたんだよ。貧乏神からメシマズの神になったみたいに」

「相変わらずメシがマズイってだけだぞ」

「起こっている現象は同じでも、原理は別になっている。

 自分のイヤな環境を恨んで誰かのせいにする考え。

 その人の努力や我慢を無視して立ち位置さえ取って代わればうまくやれると思っている心。

 うまくいっている人の失敗を願う祈り。

 そういう世の中のごちゃごちゃした思いが、避雷針みたいに唐沢くんの体に落ちたんだよ。

 呪いが解ける条件もきっと別だね」


そう評した後、瑚子はため息をついた。


「やっぱり家に残ってお祀りしておくんだったなあ」

「あの家にいないのか?」


尋ねると、瑚子は初めて言いよどみ、たっぷり間を取って告げた。


「わたし……海外に引っ越したの。おばあちゃんと」

「え、そうなのか」

「わたしとおばあちゃんでしっかり抑えたから、今後100年くらいは大丈夫と思ってたの。

 でも、それ以上に。人の心がひずんでいるのかも」


暮らしはみんな、前よりずっと豊かになっている。

それでも人の感情は鬱屈しているのだ。

貧乏神が力を得るくらいには。


「だから、その……」

「分かった。元気でな」


謝罪の言葉が続きそうだったので、おれは話を切った。

瑚子が悪いわけではない。自分で何とか、あのタチの悪い神と付き合っていくのだ。

その後2,3言交わして電話を切った所で玄関のドアが開いた。天音が帰ってきたのだ。

天音は買ったものをしまい終えると、モジモジとポケットに手を入れた。


「あのね。今日買い物に行ったら、福引やってて。コレが当たって」


おれはその紙切れを見て目を見開いた

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