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トンカツの衣は薄め

中学校の帰り道。

部活終わりのお腹はペコペコだった。

引退式を兼ねていたからつい長居しすぎた。

とても家までもちそうにはない。

周りも同じだったらしく、おれたちはトンカツを買った。

揚げたてで、きつね色の衣はまだ油が細かくはじけている。

湯気と共に香ばしい匂いがたつ。

それなのに、何だ、この胸のつっかえは。

思った瞬間ヤツが現れた。


「おまえが今食べているのはただのカツではない」

「やっぱりかよ……」

「運動部最後の大会直前で腹を下してしまった3年生部員が家族の作ってくれたおかゆを無視して試合前夜みんなと一緒に食べるはずだったカツ丼を無理やり口に入れた時のカツの味だ!」

「そこはおかゆ食っとけよ!気持ちはわかるけど!」

「それが青春の味ってやつだ!」

「違う、みんなと食べるフツウのカツが青春の味なんだ!

 これはただの胃もたれ誘発剤だ!」


あれから数年がたった。

おれは小学校を卒業し、中学校もまた卒業しようとしている。

その間こいつは、メシマズの神は特に自然消滅したりしなかった。


「成長は……しないんだな」

「何がだ?」


別に残念とか思っていない。うん。

正直、試せるものは全部試した。

お腹が空いたときに友達と食べるごはんならおいしく感じるんじゃないか?

淡い、そして愚かな期待に対する答えはさっき出たばかりだ。

メシマズの神に憑りつかれたままで充実した生活を送る。

月日がたつごとにおれはその難しさを実感し始めていた。



中学校卒業式の午後、同級生の須藤の家に集まってお別れ会をやることになった。

お別れ会といっても、適当に集まったやつらがそれぞれの家から弁当を持ってきてみんなで食べるだけ。

友だち同士声をかけ合い、当日は結構な人数が集まった。

正直誰だか思い出せない子も何人かいる。

女子の何人かはおかずを余分に持ってきてて、分けてくれた。

ほんとならうれしい気づかい、のはずなんだけど。

おれは隣の席にこっそり話しかけた。


(みのる)、食べてくれないか?」

「いいけど……いいのか?」

「ほら、おれコレが苦手で。残すのも悪いし」

「苦手って……ゆで卵だけど?」

「そのままだと『夜中にニワトリが脱走してしまった養鶏場の家族の朝ごはんに出た卵』とかを食べることになるんだよ」

「どういうことだよ」

「あーやっぱ分かんねえよな。だから、その、前に色々あったんだ」

「養鶏場と!?」


実が声を上げた、その時。

ゴトッ!

キッチンから重い音が響いた。シンクで洗い物をしていた女子が皿を落としてしまったらしい。

そういえばあの子、さっきからずっと一人で食器を洗ってくれている。

おれは席を立って様子を見に行った。


「大丈夫?」


声をかけながらも、大丈夫なことは見て分かった。

女子が手に持っていた皿は割れていないし、特にケガもないようだ。


「床拭いとくよ」


雑巾を手にそう声をかけた。


「ありがとう。やっと見つけた」


そう返され、おれは意味が分からなかった。

床に落ちた皿を見失っていたんだろうか。

そう思ったとき。


「うちの神様がとりついたの、誰だかわからなくて困っていたの」


にぎわいが遠ざかった。

誰だったっけ、この子。同じクラスじゃなかった。

でも初対面じゃない。どこかで会ったような。

固まっているおれの横で、細い手が手際よく床の水滴をふき取っていく。


「久しぶり、唐沢くん」


彼女はゆっくり顔を上げておれと目を合わせた。

そうだ。貧乏神の(ほこら)があったのはこの――安藤の家だった。



安藤(あんどう) 瑚子(ここ)は小学校の時のクラスメイトだった。

ある日突然転校し、またみんなが中学校を卒業する今になって突然戻ってきたのだ。

安藤から連絡を受けた女子の数人が昨日の食事会に誘い、安藤も迷った末に参加することにした。

そこで貧乏神の憑りつき先――おれを見つけたそうだ。

引っ越しの理由を安藤は「家庭の事情」と煙に巻いた。おれも詳しくは追及しなかった。

それよりももっと聞きたいことがあったからだ。


「びっくりしたよ。帰ってきたら祠が壊れてて、神様がいなくなってるんだもん。

 神無月でも出雲に行かないのに。

 誰かに憑りついたことは分かってたけど、前の人みたいに、そのうち自然に帰ってくるかなって思ってたの」


迷い猫かよ。

おれの不満が聞こえたかのように、安藤は困った表情を浮かべる。


「そんな顔しないでよ。探すのも難しいの。

 わたしの前では隠れてるからね」


昨日メシマズの神が大人しくしてたのはそういうことだったのか。

あのお別れ会の後、安藤は自分の家に来るよう誘ってきた。

おれも詳しく話を聞きたかったから好都合だ。

近所で待ち合わせて、話しながら安藤の家に着いた。

立派な門に、『安藤』の表札と何か四文字熟語の看板。達筆すぎて読めない。

ここを訪れるのは小学校の時、祠を壊した日以来だ。

敷居をまたぐとおばあさんが扉の向こうに立っていた。

おれが来るのを待っていたみたいだ。


「おばあちゃん、ただいま。この人が今の宿主、唐沢(からさわ) 拳太(けんた)さん」


安藤がおれを紹介すると、おばあさんはお辞儀をして「お入りください」と促した。

門をくぐった瞬間、体が軽くなったような気がした。

おばあさんがしわしわの口を開いた。


(ほこら)の修復は済んでいるからね。うちの敷地に入ると、神様は祠に戻されるのさ」

「え。じゃあ今おれ、あいつが憑いていないってこと……ですか?」

「ここだけだ。外に出たらまたあんたの所に戻る」


安藤のおばあさんはそれっきりしゃべらなかったので、おれも安藤も無言で後をついて行った。

家広っ!そんで古っ!何部屋あるんだ。

最終的に奥まった和室へ通された。

これ、誰かに見られたらウワサになるだろな。彼女の家にも行ったことないのに。

奥に掛け軸かかってる。

何か空気が冷たい。

ヘンな形のつぼ。高いのかな。

障子のホコリすごいな。


「唐沢くん、じっとしてて」


じろじろ観察していると安藤に怒られた。ゴメンナサイ。

安藤はおばあさんと目で合図を送り、小さくうなずいてからまたおれに向き直った。


「じゃ、確認するよ。

 唐沢くんは小学校で貧乏神に憑りつかれて、それ以来ずっと食べるものがまずいんだね」


うなずくと、安藤は隣の部屋へ行き、から揚げが山盛りの皿を持って再び現れた。


「じゃ、これ食べておいしいかどうか教えて」

「おれの話聞いてた!?」


つっこみはスルーして安藤は皿を畳の上に置いた。

まさか、この家が霊的な何かで守られてて、おいしく感じるのか?

おれは慎重に添えられた箸に手を伸ばす。

小さめのから揚げをまるごと口に入れて――

はい、人生舐めてましたすみません。

顔を上げると、安藤はうずくまって笑ってた。


「唐沢拳太くんが、略してから揚げくんが……マズそうにから揚げ食べてる……共食いじゃん……」


おい。もしかして。それやりたかっただけじゃないのか。


「『(かた)り』じゃなさそうだよ、おばあちゃん」


おばあさんはどこかの土産物のおもちゃみたいにうなずき、居住まいを正した。


「で、唐沢さんだったか。あなたはどうして家に来たんですか」


……はい?

おばあさんの発言の意味が分からずにいると、横から安藤が口を挟んだ。


「つまりうちに入らなきゃ貧乏神には憑りつかれないの。何で来たの、唐沢くん」

「……ボールが。風が強くて」

「ボール?風?」


おれはあの放課後にあったことを話した。

安藤は真剣に聞いていたが、おれの話が終わると物足りなそうに首をかしげた。


「偶然家に入ってしまったのはよく分かったんだけど、それだけじゃなくて。

 神様が唐沢くんを選んだのにはきっかけがある。

 心当たりはない?」


「選んだ?おれを?あの日たまたまおれがボールを取ったからじゃなくて?」

「誰かが唐沢くんに憑りつくよう貧乏神にお願いしたんじゃないの?」


それは。予想外の質問だった。

固まってしまったおれに、おばあさんは再びこっくりうなずいた。


「心当たりなさそうだね、仕方ない。ここちゃん、アレ持ってきて」


安藤は心得たように立ち上がり、今度は大きめの箱を持ってきて中からビンを取り出した。


「まず体を清めよっか。毎日この水を飲んで。1本でこれくらい」


ビン入りの水をおれの前に並べ、メモ用紙に走り書きする。

この数字、値段ってことだよな。え、金取るんだ。

しかも。


「高え!」


おれの悲痛な叫びを無視して安藤はてきぱきと箱の中身を取り出す。


「それで定期的にお香をたくの。一本同じ値段」

「高え!」

「最後に守り札と鏡。どっちもカバンとか身近なところで持ち歩いてね。

 セットでさっきと同じ値段」

「水とお香と同じ値段かよ!」


だ、大丈夫なのか?

その時。ふと冷静になっておれは天井のシミを仰いだ。

これ詐欺だ。

そうだよ。そのうち魔除けと称してどんどん変なモノ買わされて家売って借金取りに追われるんだ。


「……安藤、せっかく考えてくれたのに何だけど。

 もうイロイロやってみたんだよ。親に内緒でできる範囲で。清めの水とか、お経とか」

「ふうん。じゃあ、まがい物だったんだよ」

「自分たちは違うって?」

「こちらからは売り込まない方針なの。決めるのは唐沢くんだよ」


安藤は平然と言ってのけ、おれの反応を待つ。

1つだけ気になっていたことがある。

さっきからメシマズの神が茶々を入れてこない。

いつもならから揚げ食べた時点で何か言ってくるはずなのに。

昨日だってそうだ。安藤がいるから大人しくしていたっていうのは――本当、かもしれない。

迷ったのは一瞬だった。


「――頼む」

「じゃあ精算しよっか。ちなみにおばあちゃんの相談、10分ごとにお金がかかるの」


えげつねえ。


「これでも責任感じてるんだよ。元々はウチにいた神様だったんだから。

 だから親切価格」


おまえの親切は激辛だな。

安藤が提示した金額をおれはぎりぎり払うことができた。

お小遣いをもらったばっかりだったからだ。つまりおれは1か月小遣いなしだ。

つらい。

すっかり軽くなってしまった財布を手に、次来る日の約束をしておれは安藤家を後にした。

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