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ひと粒の米にも神宿る

彼女は生まれつき体が弱かった。

肌も髪も雪のような白、生まれた時には縁起がいいと喜ばれたらしい。

だが家業が潰れるとすぐにお荷物となった。

家族は困窮した。戦争がそれに拍車をかけた。

わずかな食事を分け合って家族が寝付いたのを見届け、彼女は家を出た。


あたしがいなくなればいい。

弟や妹が飢えるくらいなら。


雨風をしのげる場所を探し続けた。橋の下や防空壕は先客で埋まっていた。

体力が尽きて半ば這いながら、ようやく小さな祠に着いた。

入ってみるとさい銭箱は空で屋根も朽ちかけて。よっぽど捨て置かれた神様らしい。

何だか気の毒になり、干からびた果物の皮をさい銭箱に入れる。


お腹、すいたな。

たくあんと煮干しと、それから、白いご飯山盛り。


遠い昔の淡い記憶を辿りながら、暮れかけた村を眺める。

大きなお屋敷に明かりがほんのりと灯った。


いいなあ、お金持ちの家は。

食べ物を兄弟で取り合ったりしないんだろうな。


生まれ変わりたい、養子になりたいなどとは思わない。

今の家族はかけがえのない存在で。

それ以上に、彼女は己の生まれついた場所で持てるものを使って生きていくしかないのだという事実を淡々と受け止めていた。

ただ。


ちょっとだけ、知ってほしいな。

こんな思いをしてる人もいるってことを。

このままみんなから忘れられちゃうのかな。

だれかあたしのことを覚えていてほしい。


とりとめのないことを考えながら、やがて彼女の意識は途切れていった。

祠の神だけが彼女の最期を看取った。



目覚めた瞬間に夢の意識を手放してしまった。

不思議な夢だった気がする。

不快ではない。

ただ――胸を絞る様な切なさが残っている。

再び寝ようとすると、ベッドのリクライニング機能が働いて強制的に身を起こされた。

スイッチは、押していない。

気配を感じて窓を見ると人影があった。

今は真昼で、ここは2階で。

快晴の陽光と人影の暗さがアンバランスだ。

長い髪に隠されて表情が読めない。

人影は窓の外から部屋の中へどんどん近づいてくる。

このままでは窓ガラスに激突する、という直前で姿がかき消えた。

何だったんだ。半ば無意識にため息が出る。

すると、両腕に影が差していることに気づいた。自分の影ではない。

ゆっくり顔を上げると、天井から長い髪が垂れ――


「ひもじいよお」

「……何やってんだ、神」


おれが冷静に突っ込むと、神は舌打ち1つして宙を舞い、ベッドの傍らに座った。

白い肌と髪の少女。アルビノのキツネのような。

その姿を間近に見た瞬間、夢の残滓が感情を揺さぶった。

だがその正体を掴むより早く神が口を開いた。


「もっと怖がらぬか。せっかくのホラー要素だというのにおまえの反応が薄くては皆様が楽しめないだろうが」

「皆さまって誰、こわっ!」

「病院で得られる楽しみなどメシと怪談くらいだ。さ、もう一つの楽しみが来たぞ」


見計らったように病室の前で配膳の車が止まった。

おれはげんなりして食事のトレイを受け取る。

一口食べ、自然とため息が漏れた。


「楽しくないんだけど」

「フツウのメシがマズイのだ。病院食がウマいわけなかろう!」

「いばんな!で、これは何だ?奇跡的に塩を入れ忘れたのか?」

「いや。ただの病院食だ」

「……そうか」


もう慣れている。黙々と口に運び、それでも出された分はさらえた。

ごはんを食べるというより自分にエサをやるという感覚だ。

最後の一口を終えて顔を上げると、神と目が合った。

彼女はベッドにあごを乗せ、おれの手を間近に見つめていた。

しわだらけになってしまった手を。


「何だよ」

「いや。おまえは本当に生きているのだな、と思った」

「何だ、それ」

「おまえは本当に死ぬのだなと思った。

「バカ言うな。おれは幸せなまま150まで生きるんだ。

 おまえが何べんおれをくじけさせようとしても、おれは幸せになってやるからな」

「そうか」


神はやけに穏やかな声で、まどろむように目を細める。

どうも調子が狂う。

病気になったのは――というより病気が判明したのは数週間前の人間ドックだ。

そこから検査が相次ぎ、あっという間に入院となった。

幸い早期発見だったため外科手術で治る可能性が高そうだ。

だが不安は残る。神の言葉なら、なおさら。

おれは話題を探し、ふと思い至った。


「で、おまえは?もし万が一おれが死んだら、新しい憑りつき先を探すのか?」


昔、近所にメシマズの神に憑りつかれたおじいさんがいた。あの人はメシマズの神が自主的に出て行ったようだが、おれの場合憑りつくのをやめる気配はない。

おれの問いに対して神は首を左右に振った。


「いや、もう十分楽しませてもらった。満足だ」

「おまえのおもちゃか何かかよ、おれは」

「しばらくは大人しくしていよう。

 皆が病に惑う中ではわたしの呪いなど知れたものだから」


おれの病気のことを話しているかと思ったが、どうも様子が違う。

メシマズの神は遠くを見るように窓の外へ目を移した。


「病魔が迫っているのだ。

 世界中で多くの命が失われる。

 食事中は周りの者と会話が許されない。

 常に人々はマスクをしている。

 交友は減り、人々は病を恐れて家にこもる。

 ひとたび感染者が発覚すれば大騒ぎだ。

 感染者への糾弾、医師看護師への差別、人心の乱れ、経済の停滞、飛び交う流言」


「何だそりゃ。ホラー映画か?」


「新しい言葉もいくつか生まれる。

 クラスター、3密、ソーシャルディスタンス、濃厚接触、

 ……今のおまえには関係のない事だった」


「濃厚接触?……何かエロイな」


「おまえの発想はとことん腐っているようだな」


「なんでそこまで言われなきゃいけないんだ」


「この病魔は時おり味覚、嗅覚を攻撃する。

 いわば、メシマズを引き起こす病ということだ」


「悪夢だな。おまえと共存できるんじゃないのか」


「病魔が暴れれば、価値観は変わらざるを得ない。

 幸せと信じていた幻想、不幸だと信じていた現状。

 不幸の定義が揺らげばわたしの足元も危うくなる。

 人の価値観が安定するまでは大人しくせざるを得ん」


相変わらず何を言っているのか分からない。

ただ、メシマズの神がもともとは人の不幸で成り立っているのは分かった。

考える時間が増えれば自分のこれまでを振り返ることも多くなる。


「おれは定年まで仕事させてもらえて。家族にも恵まれて。

 もったいないくらい恵まれていたと思うよ。けど」


悔いはない、満足だ。ただ、一つだけの心残り。


「もっとうまい飯を食いたかったな、くそ」


瞬間、タガが外れた。

自分の体が急に軽くなった。景色が鮮やかになった。

そしてメシマズの神が爆笑しだした。


「我が宿願は成就した!」



――いいか。今から呼びかけるのはおまえではない。

おまえたちだ。

老若男女、いま生きているすべてのものよ!

わたしに思う存分下らぬ妄執をぶつけろ!全て受け止めよう!

憎み恨み妬み続けろ!

時間が経ったからと言って許しも受け入れもあきらめも必要ない。

ああ確かに負の感情は無益かもしれぬ。

だがそれが何だというのだ。

感情はおのずと湧き出るもの。

醜い感情とておまえたちの一部だ。

悩むことも恥じることも、ましてや切り捨てることもない。

人の子らよ、大いに呪え!

その呪いごとおまえたちを愛してやる!!――



突然の演説。唖然としたおれにメシマズの神は向き合う。


「この姿になってからここまで長い間憑りついたのはおまえが初めてだ。

 だから――人間に戻してやろう」


事態を理解できないおれを置いてきぼりにし、メシマズの神は呼びかける。


「福の神よ。わたしが眠るのに付き合ってもらうぞ」


呼びかけに答えて福の神がふてくされた顔で現れた。


「ちっ。仕方ねえな」

「引っ越し先は大分前に用意されておる。そなたとて納得したではないか」

「引っ越し先って、もしかして。瑚子(ここ)が言っていた移り先か!?」


おれは慌てて割り込んだ。


「おい、メシマズの神がおれから離れるって話だろ。

 なんで天音(あまね)に憑いた福の神まで」

「分からぬか」


メシマズの神は宙を滑り、おれと目線の高さを合わせた。


「わたしが去れば、福の神だけが残る。

 いずれ天音が亡くなり福の神が去る時、再び貧乏神が訪れる。

 それはこの世の(ことわり)だ」


頭の中に直接イメージが浮かんだ。

昔読んだ絵本、福の神と貧乏神の話。

福の神が去った家は貧乏になる。貧乏神を追い出した家は裕福になる。


(えにし)は人に絡みつく。

 幸運と不運は表裏一体だ。

 このままではおまえの子どもたち、孫たちが(えにし)に巻き込まれる。

 連鎖をここで断ち切ってやる、と言っているのだ」


おれは言葉を探し、自分が神を引き留めようとしていることに気づいた。

この状況をずっと望んでいたはずなのに。

呪いが解け、体が軽くなった。それはつまり、自分の一部が欠けたということだ。


「ま、待て」

「待たぬ。わたしがおまえの望みを聞いたことなどあったか」


神はきびすを返し、背中越しに笑みを浮かべてきた。


「なかなか楽しかったぞ、唐沢(からさわ) 拳太(けんた)


最後に柔和な笑みを浮かべ、福の神と向き合った。

神たちは互いに手を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。

そして現れた時と同じく、唐突に消え去った。



どのくらいの時間が経っただろう。

意識にモヤがかかったまま、天井を見ていた。

頭はすっきりと冴えている。長い間体に染みついた倦怠感も消えている。

それなのに動く気がしない。

ふいに扉の外が騒がしくなった。足音が近づく。


「拳太さん!」

「天音?」


病室に飛び込んできたのは、妻の天音だった。


「置いてかないで!」

「大丈夫だ。どうした、いきなり」


天音は珍しく取り乱していて、おれのパジャマの裾にすがりつく。


「ゆ、夢にキレイな女の子が出てきて。髪も肌も真っ白な子。

 それで、あなたと駆け落ちするって」

「駆け落ち」

「新婚旅行でそのまま新居に入るからあなたは二度と帰ってこないって」

「新婚旅行、新居」

「あなたはその女の子に夢中なうえボケ始めてるからわたしのこと忘れたって」

「……それ信じた?おれを何だと思ってるんだ」

「……どこまでがウソ!?」

「どこまでもウソだよ!うそしかない!」


すると天音の後から子供たち二人も慌てたように駆け込んでくる。


「お父さん、借金のあげく追い詰められて自作自演の入院だったってホント!?」

「いきなりアルコール中毒になって通行人百人斬りしたって本当か!?」

「全部ウソだ!」


叫んだ後で周りに謝る。そう、ここは病室だった。

天音はともかく、すでに独立して家を出て行った子ども二人との再会がこういう形になるとは。

何がどうしてこうなったんだ。

ようやく落ち着いて話せる雰囲気になった時、娘が声を上げた。


「あれ、お父さんなんか」

「おまえも思った?」


言いよどむ娘に対し、息子が同調する。

何だよ、と促すと、やはり子どもたち二人は表現しにくそうに言葉を選んでいた。


「その。小さいって言うか」

「は?」

「だから、普通の人みたいだなって。もっとこう、オーラ?」

「どういうことだ」


解説を求めて天音を見ると、彼女も首をかしげていた。


「えーとね。わたしにも詳しく分からないんだけど」


天音はふっと目じりを下げ、はにかんだ。


「何か嬉しい気がする、ふふ」


こうしておれの物語は終わった。

おれの病状は――

奇跡的に回復し、退院して元気に過ごしている。

おかげでごはんがウマい。少し太ったのを天音にとがめられた。

病魔は予言通りに世の中を席巻した。

天音と二人、静かに病魔が去るのを待っている。

幸福は揺らぎやすくて。意識しなけばそのすぐにそのありがたさを忘れてしまう。

毎日を丁寧に生きること。些細な幸福に感謝すること。

それで日常が紡がれていくのだ。

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