包丁刺されたら痛いなって話
俺の人生を一言で表すなら、それは平凡以下だ。これだけで表せる淡泊な人生。本当に嫌になる。
小さい頃、俺に親はいなかった。育児放棄され、両親ともども蒸発して児童養護施設にお世話になった。
小学三年生の夏、茹だるような暑さのアパートの一室で親が帰って来なくなったのは流石の俺も怖かったよ。
まぁ虐待されていたので、これはこれでいいのかもと思ってはいたが、施設も施設で中々にこたえた。
まず施設内で虐められた。そして、小学校でも虐められた。チビでデブでブスという三種の神器を持ち合わせた俺はいじめの対象として格好の的だったのだ。
虐めとは、いわゆるコミュニケーションの一つなのだと俺は思う。
することによって団結が生まれ仲は確固たる物となる。
そう、あちら側限定のコミュニケーションなのだ。
あっちからしたらこっちは悪で、自分たちが正義。
こっちからしたら、正義なんてなくただ悪を感じることしか出来ない。
続く中学の虐め。だが、高校になって初めて友達というものが出来た。
一人だけ、出来たのだ。
その、高校生活だけは普通に楽しかった。
まぁ、その友達に社会人になってから詐欺られて多額の借金を背負わされたので、プラマイで言えばマイナスに帰着する。
働き場所もブラックで、残業時間は百時間をゆうに越えて安月給。
もう、二十年も勤務したので辞めるに辞められない。
もう辞めたとしても、こんな俺を雇ってくれる所などどこにも無いのが現実だ。
高校卒業してから働き詰めで、これと言った趣味なんかなく無為な生き方だと俺自身思う。
でも仕方ない、それが現実。
そんなあくる日。
突然、もう何もかもがどうでも良くなった。
借金は無くならないし、ストレスで髪は薄くなるし、生きる意味がわからないしで、本当にどうでも良くなってしまった俺は京都に行くことにした。
「京都行きたい!」
一人の部屋で叫んでしまったら、この安アパートの壁は薄く響いてしまったのか横から壁ドンされてしまった。
ごめんなさいと静かに言う。
行きたくなったのだ。
会社を無断で休んで、行くことにした。だいたい行こうと決めた日は大型連休の祝日だぜ?
有休も取らせてくれないし、行っていいだろ。
年甲斐もなく心が躍っている。今にしてみれば、こんな心持ちもう二十年も無かったような気がする。
そして、乗り込む新幹線。
なんやかんやあって、修学旅行中の中学生と同じコンパートメント席に着くことになってしまい、すんっごい気まずい。
空いている席がここしかないということで、駅員の意向と中学校側の親切によって何とか取れた席がここだった。どこか空いている席に隅に一人になるのかと思ったらまさかこうなるとは思わなんだ。
なにやら派手そうな子もいるし、明らかなアウェー感に肩身の狭い思いだが、それ以上にここにいる学生諸君に申し訳なさが募る。
はぁ、現実からの逃避行、幸先はあんまりいいものじゃないな。
なんて思っていたのもつかの間だった。
「はいウノっていってないーーーー!!!」
俺は大人気もなく叫んでいた。
「はっ、い、いや言ってたしー!! ぜったいうち言ってたって!」
「絶対言ってないー! ですよね、先生!」
俺は威勢よく先生に同意を促す。
「...小森、お前はウノと言っていない」
にやりとニヒルな笑みで先生は言った。
「くぅ...! や、弥生! あんたならうちの味方になってくれるよね!!」
一縷の望みと、最近はやりのメスガキっぽい小森という少女は隣の清楚そうな少女に助けを求めた。
が、
「メイちゃん、ウノって言ってない」
凛とした声で微笑をたたえながらメイという少女の救難を袖にした。
「んんんんん! 政宗っ! あんたはどうなの!?」
「えぇ、いや言ってないと思うけど」
イケメン君な政宗という少年はメスガ、小森さんの言葉を消極的ながら一蹴した。
「うぎぎぎ、」
目の前のメスガ、メスガキさんは悔しそうに場にあったカードを全部取る。
心の中でなら、メスガキさんと呼んでいいだろうと思ったのだ。
けれど、まさか、ここまで盛り上がるようなウノをする事になるとは思わなかった。
それも全部、俺の隣に座っている俺と同い年かもしくは年上の先生のおかげだろう。
どこか重たい空気の中、先生が来て「ウノやるか?」と、目の前の生徒たちに言い、次いで俺にも「どうです? やりませんか?」と誘ってきてくれたのだ。
そこからの打ち解けは早かった。彼らが気さくなのか、先生がいるおかげなのか、俺はどちらともだからだろうと思うが、非常に接しやすかった。こんな小太り中年にも普通に接してくれるのはありがたい。
「...ふ、ふふふふふ、この時を待ってたのよ!」
ドロー2、ドロー4、ドロー2、それからもう一周ドロー合戦が続いてメスガキさんのターンになると、不敵な笑みをたたえては手に持つカードを掲げてドロー2を場に出した。
「残念だったね、おじさん」
先程のウノ言ってない宣言の腹いせか勝ちを確信しては俺に不遜な笑みを向けてくる。
「ざぁーこ、ざぁーこ」
メスガキ構文まで使ってきやがった。
「くっ...! ...ふ、ふふ、ふははは! 残念なのはお前だー!」
メスガキってのは分からせるために存在するもんなぁ!!
最後のドロー4を場に出した。
「んじゃ、ドロー2」
「ドロー2」
「ドロー4です」
「....はぁ!?」
はい、分からせ完了。
とまぁ、こんな感じで中学生諸君と先生のおかげで新幹線での道中は楽しめた。
京都につき、去り際。
「それじゃ、京都旅行楽しんでくださいね」
先生がそう言ってくれる。
「色々ありがとうございました。先生も良い旅を」
「えぇ、では」
ひょこっと先程のメスガキさんが出できては指差してきた。
「おじさん、次は負けないからね」
「いつでもかかってこい」
自然と口角が上がっては、次はないだろうと思いながらも一期一会に感謝する。
「メイちゃん、弱かったもんね」
先程の清楚そうな少女が来てはそう言い放つ。
「弱くないもん!!」
最後の最後まで、愉快な人たちだった。
手を振って、背を向ける。
旅の幸先は、順調だ。
京都は普通に楽しかった。清水寺に行き外国人の多さを見てはグローバルを感じ、多くのカップルたちを見れば憂いを感じた。
人前でキスすんなや。
とまぁ、楽しんで次いでは銀閣と金閣を見る。銀閣よりやっぱ金閣だよな。キラキラ度が違うわ。
あとは適当に観光地を巡っては、食べ歩きを行う。
やべぇ、楽しい。こんな楽しいのかよ、旅って。
毎日寝ては働いて寝ては働いて、寝ずには働いてって生活だったから、日々の虚無感にこの旅の楽しさはギャップがすごい。
「ふぅ、っぱ昼間から飲むビールはうめぇ」
歩き疲れ、一息つこうとベンチに座っては酒を仰ぐ。
朝日ハイパードライの泡が口につく。
しかし歳を感じるな。もう四十路近く。少し歩いたくらいでもうくたくただ。
くたくたで飲むビールはほんとに美味い。
ビールの味を楽しんでいる折りに、隣に茶色い外套を羽織って、何やらぶつくさ一人で独白している如何にも怪しい男が座ってきた。
「...こんにちは。貴方も一人旅ですか」
知っているか? こう言う怪しい奴がいたらな挨拶した方がいいらしい。
特に夜で一人歩いているそこの女性、怪しい男とすれ違ってしまったら挨拶をすることを忘れずにな。それだけで犯罪率が下がるらしいぞ。
と、誰に言うでもなく胸中で一人ごちる。
「う、うるさい...っ! お、おれに話しかけないでくれ!」
「うぉ、...あぁ、はい。ごめんなさい」
いきなりの大声に吃驚する。
よくよく見るとこの人、目がいってる。未だに独り言として吐く言葉は止めどなく、中身も飛び飛びの内容で一致性が見られない。
ただ吐く言葉に共通した部分があるとすれば世を呪うような言葉と自分は悪くないといったような内容だと言うこと。
内的要因は自分のなかでは排除して外的要因に責任を求めているらしい。
うん、わかる。わかるぞ。なんで俺がって思うよな。ただ、様子がおかしいのでこちらとしては気が気でない。
「くそッ...ッ! なんで、おれが悪い...。...ざけるな....んなの、絶対間違ってる...はくそだ。....あいつら、楽しそうにしやがって」
とまだまだ吐露は続く。なんだか本当に危なそうな人なので距離を置こうと考えている時だった。
「あいつだ、あいつに決めた。」
そう言って不審者さんは俺が立ち上がるよりも早く立ち上がって何かを凝視している。
そして、懐から刃渡りが30cmもあるのではないかと思えるぐらいの包丁を取り出した。
「は?」
いきなりの事案に俺は狼狽する。
「くそが、くそが、くそが! くそがぁーーーー!!!」
唐突に叫び出すので、腰が引けてしまった。
止めるまもなく、不審者は一目散に走り出す。
あいつに決めたという不穏な声を思い出して、その先を見てみるとそこには新幹線でご一緒させてもらった中学生諸君が自主研修中なのか居た。
いきなり叫びだした不審者の方をいぶかしげに見ていたが、それがやばい状況なのが分かったのか一同は青ざめている。
不審者はそのまま叫び散らしながらその包丁を小森さんに振るった。
心臓が跳ねる。
腕をかすったのか、包丁を振られた小森さんは尻餅をついて腕から血が出ていた。
あたりは金きり声に包まれた。
小森さんは青ざめながら、その不審者を見上げていた。
俺は走らないと、と思ったら運津不足が災いしたのか砂利に滑って無様に転んでしまう。
嘘だろ! こんな大事なところで俺は役に立てないのかよ。自分の魯鈍さに嫌気がさすと同時に見上げると、先生が生徒を助けようとその不審者と取っ組み合いになっている。
がその抵抗も空しく、先生も腕を伸ばして切られてはそばに転がってしまった。
不審者は、先生に抵抗されてパニックになったのか包丁を振り回しながら叫び散らしている。
「お前らが悪いんだ!! お前らが、お前らが、俺は悪くねぇ!!! くそがぁ!!」
小森さんは腰が抜けたのか、なんとかそれから逃げようと這う。そこに弥生と言っていた少女が手助けに来たその瞬間だった。
「に、逃げんじゃねぇえ!!!」
不審者は最初から狙っていたのか逃げる小森さんのほうへ走って行き、その包丁を突き刺そうと振り上げる。
「キャアーーーーーァ!!!」
それがもう小森さんの叫び声なのか弥生さんの叫び声なのか分からなかった。
俺はそんな不審者と小森さんたちとの間に立っていた。
ただ胸に強烈な痛みが走る。
明らかに刺さっちゃいけないようなところに包丁がずぶりと深く刺さっていた。
痛ぇ、マジで痛えよ。
けれど、このままだとこいつはまだまだ暴れる。俺を殺してもすぐ後ろの二人に目をつける。
俺は腕を掴んだ。
「っ...! は、離せよ!」
不審者は抵抗するが、俺はその腕を離さない。
激痛とともに、力を入れる。
不審者は情けない表情で俺から離れようとするが、俺もこの痛みで情けない顔をしているのだろう。
分かるよ。お前の気持ち。社会のせいにしたいよな。誰かのせいにしたいよな。自分は悪く無いと、思いたいよな。
あぁ、わかるよ。恐らく俺もそっち側だから。
でも、だからってこれは違うだろ。
自分が不幸だからって他人を傷つけていい免罪符にはならねーよ。
「うぉっらぁあああ!!!!」
俺は自分でも出したことがないような渾身の力を振り絞っては、素人丸出しの力だけの背負い投げを不審者にお見舞いする。
「がっはッ...!!!」
不審者は背中に来た衝撃で、息もできないのか地面をのたうち待っている。
そこへ、すかさず周りにいる男たちが犯人押さえようと飛び出してきた。
俺は不審者を投げた時に胸から包丁が抜けてしまったのか、そこから止めどなく血が溢れていた。
もう、立つこともままならない。
その場に倒れては、空を仰ぐ。
血が抜ける感覚に苛まれる。寒い。ひたすらに寒くて、胸は暑いのに、寒い。
体が震える感覚がある。
「おじさんっ!! おじさんっ!!」
「だ、誰か救急車をお願いします!!」
小森さんと、弥生さんが心配そうに俺を見ていた。
「...ごめ、ん」
自然と口に出ていた。俺が悪く無いとわかっていながらも、彼女たちの楽しいひとときであったろう旅を汚してしまった現実に後悔が押し寄せる。
「...に、たくない」
だめだ。今そんなこと言ってしまったらもっと彼女たちのこれからを暗くしてしまう。
でも、口から出る言葉は血が出るように止めどなかった。
「しにたく、ない...。」
いいことなんて、一つもなかったような人生。
いや、いい事なんて多分沢山あったんだ。
ただ、それよりも多すぎる良くないことのせいで飽和している。
我慢して、我慢して、我慢して。
こんなんでいいのかよ、俺の人生。
もっと我儘にいきたかった。
「...き、た...い」
「おじさん!! だめだってッ! ねぇ、おじさん!!」
寒い。寒い。寒い。痛みの感覚も遠のいてく。
もう、目を開くことは無いんだろうなと思っては意識は暗転した。
と、思っていたら目を開けていた。
「あり?」