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「マルチェロ、なんだ!? どうし……」
「うるさいな」
マルチェロくんは視線をこちらから外さず、喚く父親に掌を向けた。
ただそれだけの行動だったのに、バルトラーナ公爵のきょとんとした顔は唐突に膨れ上がり、破裂した。
現状が理解できなかったであろう夫人がその血しぶきを頬に浴びて悲鳴を上げたことで、部屋の中の空気がまた動き始める。
まあ、多分だけど、私とライリー様、それからサイフォード男爵も案外この空気に飲まれずにいるんじゃないかな?
マルチェロくんがつまらなそうに手を下ろした時には部屋中が悲鳴だらけで、私は思わず片手でイザベラちゃんを抱き寄せながらもう片方の手で耳を塞いだ。
「うるさ」
「……ね、えさ、ま」
「大丈夫。私がいるよ」
守るって約束したからね。
ただ、こんな厄介だとは思わなかったけど。
「おに、お兄様、は、一体……お父様、は……」
「お父さんについてはごめんね、さすがにこんなのが出てくると思わなかった」
マルチェロくんが、小首を傾げる。
その顔は、とても楽しそうだ。
初めて、そう――初めて彼の視線が、イザベラちゃん以外を捉える。私を、だ
「わかるのか、そうか。さすがだなあ、ジュエル級冒険者ってのはそれ相応なんだな」
「ボウヤに褒められても嬉しかないけどね」
震えるイザベラちゃんを抱きしめたまま、立ち上がって彼女を支える。
マルチェロくんはそれすらも楽しそうだ。ニマニマとした笑みを浮かべているじゃないか。
「だけど、どうする? この部屋は国王がいるから、護衛の近衛騎士以外、全員が武器を預けただろう?」
馬鹿にするようにクスクス笑うマルチェロくんの言葉は正しい。
王に対して何をするかわからない、極秘の会議であろうと武器の持ち込みは禁じられている。
それに対して私も、ライリー様も、エドウィンくんも従って武器を預けてある。
「だけど、それがなに?」
「……なんだと?」
「たかが武器一つで優位に立ったおつもり?」
私が余裕綽々でマルチェロくんの言葉を笑ってやれば、彼は苛立った様子だ。
あらあら、存外単純思考のようで助かるわあ。
それもまあ、しょうがないのかもしれない。
「イザベラちゃん」
「……はい」
「あれはもう、だめだ」
「だめ、とは、どういう意味ですか……」
私の言葉に、イザベラちゃんが息を小さく呑んでからキッと何か覚悟を決めた目で見上げてくる。
恐怖を感じてはいても、落ち着いているその様子に私はマルチェロくんから目を離すことなく言葉を続けた。
「マルチェロくんは、もう悪魔に魂持ってかれてるね。今彼が使っているチカラは悪魔のもの。魔族とかじゃない、悪魔そのものさ」
魔族と呼ばれる魔法を得手とする一族を、この国では忌み嫌う。
それは聖属性を尊ぶ国民性から、闇属性を便利なものとして使う彼らを忌避しているだけなんだけども……まあそれは別の話で。
それとは別に悪魔というものがこの世界には存在する。
魂を捧げるなんて言い方をすれば格好いいかもしれないけど、要は等価交換で何かを捧げると彼らは思念体に近い存在なのでそれ相応の、人間には使えない魔法を授けてくれるって寸法だ。
悪魔の中にも階級があって、強い者ほど対価は勿論大きく必要だが得られる力は絶大。
その上、階級が高い連中ほど魔力を実体として練り上げるなんて器用な真似をしてくるから厄介なのだ。
もし彼らが契約者なしに出現したなら、それはまさにギルドで定義されている、最悪扱いの破滅級クエストになるとまで言われている。
どっかの国が滅びる前提だって前に誰かが教えてくれた。
つまり、そんっくらい厄介なものと、マルチェロくんは契約しているのだ。
「姉様、それでは」
「ま、なんとかなるよ」
「ハ! 大言壮語を……如何にジュエル級冒険者であろうと、おれを止められるはずがない!」
私の言葉にイザベラちゃんがほっと息を吐き出したのと同時にマルチェロくんが激高したような表情で嘲笑う。
「感情のコントロールができない」
「あ?」
「魔力を放出し始めた途端、形が維持できない」
「なにを……」
「随分と持って行かれたんだね?」
キンと耳障りな音が部屋中に響いて、あちこちから突如と浮かんだ紫色の魔法陣から炎が飛び散って、部屋にいる人間を襲う。
だけど別の色をした魔法陣がそれを阻んだことに、マルチェロくんの顔がはっきりと歪んだ。
「まあ、独学にしちゃあよく出来たんじゃない? 悪魔の中でも上級の、アークデーモン呼び出すなんてさ? 並の術士じゃできないよ」
先ほどまでの綺麗な調度品と白を基調とした部屋の色が、いつの間にかどろりとした赤黒い空間に変異していることに王様たちを守る騎士達がどよめいた。
落ち着けよ、お前ら。
悪魔と戦うのは初めてなのか? だとしたら頼りないなあ!
まあ、元から戦力として数えちゃないけどね。
「ライリー様、いつ来ますかねえ」
「……そろそろだとは思うが」
「王様たちは近衛たちにお任せでもいいですかねえ」
「無理そうだな」
国でも選り抜きの騎士達だと言われているけれど、あくまでそれは騎士同士の、公式戦での話。
実戦で、悪魔相手となると勝手が違うのは百も承知だけど……前線でモンスターを相手に素手でも戦っちゃうライリー様はごきりと首から音をさせて構えているけど、え? 悪魔相手でも素手ですか?
「アルマ姉様」
「イザベラちゃん、お兄さんの得意属性は何か知ってる?」
「いえ……申し訳ございません。わたくしにはそういったことは教えてもらえず……ですが」
「うん」
「守りは、わたくしにお任せくださいませ」
「……うん。任せた」
さっきの炎を防いだのは、イザベラちゃんだった。
私も一応防衛の陣を敷いたけど、それは自分とイザベラちゃん、ライリー様、それからエドウィンくんとサンミチェッド夫妻だけ。
だから、この部屋にいた他の人間を守ったのは、イザベラちゃんだ。
優しい子だなあ、本当に。
私はイザベラちゃんを抱きしめる力を少しだけ強めて彼女の頭のてっぺんに軽くキスを落とす。
びっくりしたような顔をしている彼女に、あれ、私ってイザベラちゃんのカレシだっけな?って自分でも思ったけど、でも後悔はしていない。
だって、イザベラちゃんはきっと私にとって幸運の女神様なんだから!




