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飲めや歌えや……ではなかったけれど、賑やかだった食卓も二人が帰っていくと途端に静かになる。
並んだ食材の値段を考えると、若干オカシイものが混じっていたけど気にしない!
美味しい食べ物と飲み物は大事なのだ! 人生の潤いだよ。
私とイザベラちゃんとで手分けして後片づけをして、お疲れ様会みたいに温かいお茶を淹れて飲む。紅茶を私はストレート、イザベラちゃんはミルク入り。
ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら飲んでいると、イザベラちゃんがほうっとため息を吐いた。
「どうかした?」
「いいえ、こんなに日々が満ち足りている生活が、送れるなんて……まるで夢みたいで」
常にイザベラちゃんは人の前に立つ生活を送ってきた、その感覚はそう簡単に抜けるものじゃない。
筆頭公爵家の娘として、王子の婚約者として、いつ誰が見ても完璧な貴婦人でいられるように努力し続けてきた。
微笑みを絶やさず、動じず、凜と立つ姿で居続けるというのはとても大変だったと思う。
「夢じゃないよ」
「……はい」
「大丈夫、これからはこんな日を送っていいの。王子が要らないって言ったんだもの、王妃になるっていうのは無理だけど……今まで勉強してきたこととか、努力してきたことは無駄ではないと思うよ」
「そうでしょうか」
「何も知らないってことは、これから知ることができる……なんて言ってた人もいるしね。イザベラちゃんは知識がたくさんあって、偉い人との話し方も知っている。平民の暮らしだってまだまだとはいえ、知った」
「はい」
最初は面食らってばっかりだったイザベラちゃんも、最近ではパン屋のおばさんと世間話ができるくらいに打ち解けている。
若干、周囲の人から嫁に来ないかコールが発生しているのが気になるが、イザベラちゃんを嫁にしたいならまず私を倒せと啖呵を切っておいたから大丈夫だろう。
「商売をするんでもいい。その頭の良さを活かして、どこかで家庭教師とか教鞭をとるってのもいいかもしれない。ギルドの事務方とかだって、どこぞの大きな商会で働くことだってできる」
「……はい」
真剣な顔をするイザベラちゃんは、どこか泣きそうだ。
私はそんな表情が見たいんじゃない。この子には笑っていてもらいたい。
何度不安になってもいい。そのたびに私が大丈夫だって言ってあげたい。
だけどそれを言葉にするにはちょっとだけ恥ずかしかったので、手を伸ばして頭を撫でるだけにしておいた。
「いつか、誰かのお嫁さんにだってなれるよ」
「なれるでしょうか」
私が冗談めかして言えば、それを受けてイザベラちゃんも笑ってくれた。
まだどこか、ぎこちない笑顔だけど……うん、それでも十分だ。
「なれるよ、私の世界一可愛い妹だもの」
私の言葉に穏やかな笑みを見せたイザベラちゃんが、目を伏せる。
まだどこか遠慮がちだけれど、私が味方だと理解している彼女はやっぱり可愛い。
そんな私の気持ちもわかっているのだろう、イザベラちゃんは不安を口にすることをずっと躊躇っていたように思う。
だけど、再び目を開けて私を真っ直ぐに見る彼女は、意を決したように口を開いた。
「もし、陛下がお戻りになって……わたくしを連れ戻しに来た時、どうするべきなのか今でも迷うのです。姉様についていくと決めましたが、それでも……貴族としてのわたくしに答えを求められた時、わたくしはきっぱりと断ることができるのだろうかと」
「うん」
「アルマ姉様と一緒に行きたい。ですが、わたくしはこれまで領民に、国民に生かされてきた貴族なのです。その責を全うせず逃げるのかと、そう言われるのが怖いのです」
この子は、きっといい為政者になれたのだろうと思う。
だけど、同時に優しすぎるから、今回のことがなくてもいつか潰されていたんだろうなと思う。
「いいんだよ、今までちゃんと務めは果たしてきたんだから」
「……果たしてきた? ですが、わたくしは何も……」
「遊びたい時期に我慢して、立派な淑女になって周囲の期待通り王子の婚約者として振る舞ってきた。自由を代償に、責任を果たした」
そしてそれを『要らない』と王子は捨てたのだ。
誰も庇わなかったし、守らなかった。ボロを着せて、地方へと行かせた。
今だって、私の庇護下にあるから大丈夫だとでも考えているんだろうか?
謝罪もなければ、彼女を案ずる声すら届くことはない。
所在地を隠したりなんかしていないのにも拘らずだ。
こっそりディルムッドを通じてライリー様に問い合わせたけれど、来ていないという話だから確かに何もないのだ。
つまりは、それが答えなんだろうと私は思っている。
「だから、今までちゃんと務めを果たしたんだからこれからは自分の責任で生きる番なんだよ。大丈夫、どんなことがあろうとおねえちゃんが守るから」
「……アルマ姉様」
「この一件が終わったら、どこか旅に出ようか。どこに行きたい?」
「でしたら、わたくし」
イザベラちゃんが笑う。涙がぽろりと零れたけど、見なかったことにした。
頭を撫でると心地よさげに目を細めて笑うイザベラちゃんが可愛くてたまらない。
「わたくし、姉様とあちこちを見て回りたいです。姉様ほどではございませんが、わたくしも魔法が使えますもの。お役に立てるよう努力いたします」
「いてくれるだけで元気百倍だけどなー」
「……これからも、このような生活がしたいです。姉様と一緒に、わたくしがわたくしであれる生き方を」
「うん」
大丈夫だよ。
私はそれを言葉にしないで、ただ頭を撫でた。
可愛い妹だもの、守ってみせるに決まってるじゃん?
来るなら来いって話だけど、場合によっちゃ覚悟していただきましょう。
この子との平穏生活、守りきってみせるとも!
青真珠の名にかけて!!
……なーんてね。
この後2話番外編を挟んで三章突入です!




