それは一滴の濁った水と同じように
「なあ、カイゼル。いいのか?」
「うん? 何がだい?」
マルセルの言葉に、カイゼルが首を傾げる。
あれやこれやと詰め込まれたこの倉庫はカイゼルにとっての一財産で、それを知っていてもマルセルにはガラクタに見える。
「あのアルマってねーちゃんのこと。本当に上客だって思ってんの?」
「思ってるさ。とても良いお客さんだよね、彼女」
マルセルの言葉にカイゼルがにっこりと笑って応える。
それに対して不満そうに口を尖らせたものの、マルセルはそれ以上何も言わなかった。
「まあ、連れてた妹のイザベラって子は上流階級の子っぽかったしなー。どっかのお嬢さまが庶民の暮らしを知りたくて冒険者雇ったとかそんな感じか」
「ふふ、そうかもね」
「なあカイゼル。悪いことは言わねえから妙ちくりんな連中と関わるのはよくねえよ。お前が声かけろっつったからあの店で俺が声をかけたけどさ、普通の商売をするだけなら」
「……マルセル」
「お前がお袋さんの件で焦るのはわかるけどよ、でも――」
言い募るマルセルが、突如として動きを止めた。
まるで糸の切れた人形のようにだらりと腕が力をなくし、今にも倒れてしまうのではないかというようなふらつきを見せている。
そんな彼に歩み寄ったカイゼルがとん、と軽く肩を押せば近くの木箱にマルセルはそのまま座り込み、微動だにしない。
「さあ、お喋り好きなのはいいけどお人形さんは休む時間だよ」
にこりと笑ったカイゼルだが、その目は冷たくマルセルを見下ろしていた。
普段は大人しく、内気な性格で堅実な商売をし、幼馴染を頼りにしているという面を見せているカイゼルのその顔は、町の人間が知るものではない。
だが、それを指摘する者はそこにはいない。
「彼女たちは色々と都合がいいお客さんなんだよ、マルセル。心配は余計なんだ」
「……」
「ボクには成さなきゃいけない大望があるんだ。先祖から受け継いでいる、大切な大望がね。これは大事な機会なんだ。逃すわけにはいかない」
囁くようなその言葉に、マルセルは応えない。
そんなマルセルの髪を乱暴に掴むようにして、カイゼルは彼の顔を上げさせた。
虚ろな目と、感情の抜け落ちた人形のような顔をしたマルセルを見下ろして、カイゼルは笑みを深くした。
「マルセルもわかってくれるよね? ボクらは幼馴染なんだから」
朗らかな声音で問いかけるその内容は、ごく普通のもののように思える。
だが、明らかにそれは異質な光景だ。
先ほどまで普通にしていた男が唐突に人形のように意思をなくし、それまで弱々しかった男が傲慢な笑みを見せるその光景は、彼らを知る人間が見れば目を疑う光景に違いなかったのだ。
それでも、やはりそこには他の人間がいない以上、誰にも知られることのない光景だった。
「古代王国の過ちを、ボクが晴らすんだ……! そして帰るんだ、正しき座に。そのためなら聖女すらも利用するんだ……!!」




