1章 1-1
肩まで伸びた金色の髪に、深紅の瞳を宿したアーモンドアイ。年齢にしては鼻筋もうっすら通っていて、将来美人になるだろうことを予感させる。
現時点でもかなりの美少女……いや、美幼女。それがレイン・ショーメイカー。
「つまり俺……じゃなかった。わたくし」
凪いだ水面に映し出される自分の顔を見ながらそんな言葉を漏らす。
今年で齢三歳。ふとした時に安久谷怜二時代の言葉遣いに戻ってしまうこともあるけれど、お嬢様言葉というものにもある程度慣れてきた。
そう、なにせあのわけ分からん事態に見舞われてから早くも三年の月日が流れているのだから。
自分の成長っぷりに思わずふっと笑いがこぼれてしまう。
そして想いの丈を舌足らずな言葉に乗せて静かな湖畔に叩きつけた。
「三年も放置はさすがにひどいですわー!」
わぁぁぁぁ……という物悲しさに満ちた残響も空気に溶けるように消えていく。
天使だか占い師だか知らないけれど、できる限りサポートするって言ってたじゃん!それで三年も放置ってどういうこと?もうサポート期間終了してません?
明日で俺も三歳。ショーメイカー家では例年のように今年も盛大な誕生パーティーが開かれる予定になっている。
いや、嬉しいけども。両親も使用人も蝶よ花よと大切に愛してくれているけれども。
結局自分がなんのために新たな生を受けたのか全く分からないままなのが如何ともしがたい。いっそ安久谷怜二の記憶を持たないままの方が楽だったとすら思う。
「……まあそうだったらそれはレインであってわたくしではなくなってしまいますけど」
どちらがいいかと聞かれれば微妙なところだった。
ただ安久谷怜二はレイン・ショーメイカーの核であり、彼に『TS悪役令嬢として振る舞う才能』があったからこそ意識と記憶を保持したまま生まれ変わったんだろうと最近は考えている。
だからもうあの自称天使に対してこんな事態に巻き込んだ文句は言うまい。それよりもただひたすらに、自分がここにいる意味を知りたかった。
「お嬢様ー、レインお嬢様ー?」
しばし水面を眺めて黄昏れているとわたくしを呼ぶ聞き慣れた声が近づいてきた。
使用人のマリーが探しにきたらしい。
「あ、やっぱりここにいましたね。今日も読書ですか?」
「おやしきは騒がしいの」
わざわざ湖畔に設置されたガゼボに避難する理由はそれもありはするけれど、屋敷内にいると常に誰かしら構ってきたり少し離れたところから見守られたりで落ち着かないというのが大きい。
一人の時間というものがどうしても恋しくなる。その点、屋敷の裏に湖があるということに最初は度肝を抜かれたりもしたが、ここはベストプレイスだった。
「しかもまた魔法書なんて小難しいものを」
「絵本はわたくしのこのみに合いません」
「そのお歳で魔法書を読めるのはすごいですが、もう少し遊びを覚えてもよいと思いますよ」
言いたいことは分かる。客観的に見てわたくしに子どもらしさは皆無だものね。
でも積み木やぬいぐるみで遊ぶことに面白さは見出せないし、同世代の幼児と話が合うわけもない。一人で読書をしているのが何よりも楽しく、気が楽だ。
「これが息抜きなのよ」
「ではひとまず息抜きはやめて屋敷に戻りましょう。奥様がお探しでしたよ」
「わかったわ」
きっと明日のパーティーで着るドレスの話か何かだろう。ふぅ、と小さなため息をつく。
その日は結局、予想通り夕食の時間になるまで母親を始め使用人達の着せ替え人形にされることになった。
そんな極めて平穏な一日の夜。
意識は高校生だった安久谷怜二を引き継いではいても、体は三歳のレインのもの。
夕飯を食べ、日も暮れる頃には強烈な眠気に襲われ起きていることが困難になる。うつらうつらとしながら着替えを済ませ、倒れるようにベッドに潜り込む。
これはもう、目を閉じた瞬間に夢の世界へ旅立つやつね……お休みなさ~い……。
「おめでとうございます怜二さん!いえ、レインさん!実績が解除されたのでやっとこうしてお話しすることができますよ!お久しぶりです!」
「うるせぇ……」
「うわ、令嬢らしからぬ言葉遣いですね……」
「おうるせぇですわよ」
眠りに落ちたと思ったら唐突に待ち望んでいた声が聞こえてきた。
待ち望んでいたはずなのにテンションの高さがウザすぎて気持ちがガン萎えしていく。せっかくの再会なのにあんまり嬉しくない。
渋々体を起こすとそこは床も天井もない真っ白な空間で、寝ていたベッドがぽつんと置いてあった。この白さはあの天使が祈りを捧げた時に発生したものとよく似ていた。
「まあまあそう言わずに。まずは再会を喜びましょうよ」
「もうすこし再会が早ければよろこべたんだけれど」
「そうしたいのは山々だったんですけど、実績解除のタイミングがこの設定だったので……」
「その実績解除というのはなに?」
「あ、わたしが言ってたサポートの一環です。転生にあたってレインさんにはいくつもの実績設定をさせてもらいました。条件を達成して実績を解除すれば様々な特典をゲットできます!」
「まるでゲームみたいね」
「その方が実感しやすいかと思いまして。レインさんの持つ概念に合わせるなら『運命』という言葉で表されるようなものです。ただ運命というと人間はどうしても大きなものとして捉えてしまうようで……」
彼女曰く運命とは大きなものから小さなものまで様々であり、人々は日夜それを知らず知らずのうちに乗り越えたり屈したりしているらしい。とても小さなことでもわずかな違いがのちに大きな影響を与えることもあるという。
今回の実績解除は『三歳になること』だった。
大げさに「運命を乗り越えて三歳になった」と言われるより「三歳になったので実績が解除されました」と言われて受け取る印象の方が捉え方としては正解に近いとのこと。
「あなたなりの配慮というのは理解できたわ。それで今回の特典は?」
「もちろんわたしとの再会です!より正確に言うならわたしから得られる情報が、という感じですが」
「情報……」
確かに聞きたいことも知りたいことも山ほどある。
しかし何から聞いたものか……。
「そうですね……まずレインさんが一番聞きたいと思っていることをお話します」
話せば長くなるんですが、と前置きしてから天使は語り出した。
「まずわたしは天使であり、とある神様に仕えています」
こんな経験をしていなければそんな話は一蹴していただろう。
しかしこうしてレインとして転生した今となっては神様だの天使だのそれに準ずる何かだのと言われても納得できてしまう。
「当然わたし達が住まう天界が存在するのですが、今はそこである問題が発生してまして。それが今回のレインさんの件にも関わることでした」
「その問題って?」
「簡単に言えばルール違反です」
天の世界、神様にもルールがあり、神様達はそれに則って自分の役目を果たしている。
しかし最近、一部の神様がルールを破って本来その運命にない人間を強制的に異なる世界に転移・転生させているというのだ。
「人々が異世界やパラレルワールドと呼ぶ世界へとはそう簡単に移動させていいものではないんです。そういう運命にある者ならばしかたのないことなんですが、それを無視すると転移・転生した人間の魂が輪廻から外れてしまうんですよ」
「そうなるとどうなるのかしら?」
「人間の魂は死ねば一度天の世界に召され、そこで生前の行いを鑑みて来世へと生まれ変わるのですが……」
「いやな間合いを作らないで。まさかわたくしもそうやって転生を……?」
「いいえ、レインさんの場合は特別措置の結果です!あなたは異世界に転生する運命を持ってはいませんでしたが、強制的に転生される前にこの世界――わたしが仕える神様の管理する世界に転生してもらいました」
話のスケールがとにかく大きい。とりあえずわたくしが助けられたということだけはなんとなく分かる。
「ちなみにそうされなかったらどうなっていたの?」
「あの後転生トラックにはねられて即死。見事チート能力を与えられ剣と魔法の世界でやれやれと言いながらも無双してはハーレムを築いていたでしょう」
「とても具体的ね……」
なんだ、転生トラックとかいう物騒な代物は。そんなの聞いたこともない。
いやまあ天界用語でしょうけど。
「今はそう言うのがトレンドなんです……異世界に転生してチーレムしたいという願望を持った人々が多いせいで、ルールを破る神様が『ほら、人間が望んでることだから!』という建前に使われる始末……」
これまでずっと明るい表情を崩さなかった天使の顔が陰る。
どうやら相当頭を悩ませている問題らしい。
「あ、話を戻しますね。そうやって異世界に行った人達って何かしらの特典が与えられる方がほとんどなので結果的に幸せにはなるんですけど、死んでしまうと魂が天に召されなくなってしまうのです」
「つまり転生ができなくなる、と」
「はい。そしてその魂は転生させた神様が管理している状態なんです」
「それはつまり天に召されているということではないの?」
「似て非なる状態ですね。輪廻から外れ、神様に管理されてしまった魂はもう個というものを失ってしまいます」
神の定めた運命に翻弄されようと天の世界で輪廻転生しようと、魂とはその人しか触れられない大切なもの。
しかし輪廻から外れた魂は新たな命に生まれ変わることもできず、やがて個を失い、永久的に一柱の神様に隷属することになる。
「もちろん生まれ変われない、というのも深刻な問題なんですけど最大の懸念点はそこじゃないんです」
「え?」
「そういった魂は個こそ失いますが、生まれ変わる前なので生前の力は有したままなんです。そして彼らのほとんどは転生特典というものを与えられ様々な意味で規格外の存在へと至っていることが常です」
単純に戦闘能力が高いとか、死者すら蘇らせるとか、王道から変則まで強い、厄介のオンパレード。
そんな魂を好き勝手に操れてしまう。
「通称『亡魂の尖兵』。天の世界の平穏を脅かす戦力になるのでは危惧されているんです」
天界戦争なんて下界にとんでもない影響が起きそうなんですが……。
あれ、でも待って。
「彼らの力は神様が与えたものでしょう?そこまで脅威になるのかしら?」
「正直相手にもなりませんよ。借り物の力で神様に歯向かったところで歯牙にもかけられません」
「ではなぜ危険視を?」
「天の世界には神様以外の存在もいるんです、わたしのような天使を含めて」
「……失言だったわね」
「そんなことないです。天の世界を知らないんですからわりと普通の発想だと思いますよ?」
だから暗い顔しないでくださいよー、と彼女は笑う。
わたくしが転生トラックとか言うのにはねられそうな時はあんなに焦っていたのに、自分の命が脅かされるかもしれない状況でも笑顔を見せる。自分より他者を想うような言動は天使だからこそ、なのだろうか。
「つまりお話を要約しますとルール違反の神様に転生させられそうになったレインさんをインターセプトして、特例的にこの世界に転生してもらったということです。死後はちゃーんと魂も天の世界に召されますよ」
「あなたには足を向けて寝られないようね」
元の世界への執着がないわけでもないが、無理やりレインに転生させられてなくても結局死んでたんならこっちの世界に転生した方が断然よかった。
死んでから戦争の駒にされるなんて、それこそ死んでもごめんだ。
「言ってしまえばこちらも自衛ですからお礼はいりません。それよりも次はレインさんのこれからについてお話ししましょう!」
気分を入れ替えるように彼女はそう言った。
そういえば……
「そのまえにあなたの名前を教えてもらえるかしら」
「あ、これは失礼しました。わたしはアニス、天使のアニスです!」
「レイン・ショーメイカーよ。あらためてよろしくおねがいするわ」
差し出されたアニスの手を握る。
天使というものがどういう存在なのかはイメージでしか知らないけれど、握った右手は人間の少女となんら変わりのないような温かさと柔らかさだった。