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「天狗の子は天狗」2  作者: 西尾祐
1/1

2.いつか終わる夢(1/2)

 きーん、こーん、かーん、こーん……。

 昼休みを知らせるチャイムが鳴った。

 奈々は、教室の窓辺から校庭を眺めた。休み時間になったばかりだというのに、早くも少年たちの姿が見える。奈々は思わず、クスリと笑った。

 「(すぐに遊びたいもんね)」

 「なーな、あーそぼっ!」

 声に呼ばれて振り向くと、そこには三人の友人たちがいた。たれ目で背が高い博子。髪を左右で結び、勝ち気そうな笑顔を浮かべる真菜。やせっぽちで眼鏡をかけた杏。奈々と特に親しい友人たちである。

 「うん! 今日はなにをする予定?」

 「学級新聞の記事を進めたいから、取材させてほしいなー」

 博子がまず提案した。彼女は、奈々にとって一番の親友である。すると、真菜の手が真っ先に上がり、ここぞとばかりにアピールをし出した。

 「もっちろんいーわよ! スターを狙うあたしのダンス、とくと見なさい!」

真菜は本物のアイドルにも引けを取らない、見事なパフォーマンスを見せつけた。彼女は目立ちたがり屋だが、かなりの努力家でもある。杏は思わず、素直な感想を述べた。

 「うおっ、すごいキレ」

 奈々もそれに続いて声をかける。

 「真菜ちゃん、かっこいい!」

 真菜は、そうでしょと言わんばかりにニヤリと笑った。最後のターンを決め、ビシッと足を止める。最後までまったくミスもなく、本人としても納得のいくものだった。真菜は思わず破顔し、ピースする。

 「ふふ、なかなかでしょ?」

 彼女のダンスを見ていたクラスメートの女子、そして男子までもが思わず拍手した。後者は少し照れくさそうに。

 「真菜ちゃん、どんどん上手くなってる」

 奈々がそう言うと、博子や杏も同意した。三人とも嬉しげに。

 「相当練習してるよね。あたしも見習わないと」

 「同意ー」

 奈々、博子、真菜、杏。四人は性格も好みも違うが、奈々は三人をかけがえのない友達だと思っている。彼女自身は真面目で、どちらかといえばおとなしい方だ。優等生とからかわれたこともある。一人では殻に閉じこもりそうになる時でも、友人たちは彼女を引っ張ってくれるのだ。

 「(みんな、ありがとう)」

 口にするのは少し照れくさくて、なかなか伝えられないけれど。

 「新聞のトップは、真菜のダンスね! 頑張って書くよー!」

 博子は自分の机に戻って、は学級新聞のレイアウトを紙に書き出した。時折うんうんと唸りながら、文章も書いていく。真菜は嬉しそうにそれを眺め、杏は助け船を出す。

 「ワタシ、四コマ漫画描くよー」

 「ほんと!? おねがいっ!」

 思わず、奈々も言葉をかける。

 「私にもなにかできることってないかな?」

 「じゃあ、奈々はハル先生にインタビュー! 頼むね!」

ハル先生とは、奈々の養親であり六年一組の担任でもある、嵐山春樹のことだ。

 「が、頑張るよ!」

  そんな他愛もない、しかし平穏な会話が交わされ、昼休みの時間は過ぎていく。



 同時刻、職員室。奈々のクラス担任である嵐山春樹は、昼休み返上で仕事をしていた。六年一組の生徒が書いた答案に、赤いペンでマル・バツを付けていく。計三十三枚あったテスト用紙は、すでにほとんど採点済みだ。しかしそれは国語だけ。まだ理科と算数の二教科ぶんが残っている。

 「はあ、情けないです……」

 春樹は思わずため息をつき、首をすくめた。眼鏡もつられて下がり、あわててかけ直す。

 「嵐山先生、ファイト!」

 六年二組担任の徳間が、小さく拳を握って応援する。徳間はまだ若い女性教員であり、基本的には優秀だが、おっちょこちょいなのがに玉にキズだ。時折ドアに足を引っかけ、見事な転倒という形で教室に現れる。朝のホームルームでもそれは遺憾なく発揮され、男子生徒の間では「徳間先生が朝転ばないですむかどうか」という賭けが行われている。給食のメインディッシュやデザートは勝者への報酬になりがちだ。徳間友香二十六歳のあずかり知らぬことである。幸いなことに。

 「ありがとうございます、徳間先生。どうにも要領が悪くていけませんね」

 「そんな。嵐山先生はしっかり仕事をなされてますよ。最近集中的にテストをやっていましたし、先生はとてもきちんと添削されてます。それで時間がかかるのは仕方がないですよ」

 徳間はそう励まし、春樹の手元にあるテスト用紙に目をやる。六年一組、嵐山奈々と書かれた用紙には、折り目正しい字で回答が記されている。算数も割に得意である彼女だけあって、ほとんどの問題は正解だ。途中の式まで余白へ丁寧に書き込まれており、彼女の几帳面で真面目な性格を窺わせる。

 唯一間違った項目に、赤い添削ペンで書き込んだ春樹の言葉がある。

 「この問題は難しい!でも、今までやってきたことを組み合わせればカンタンです。具体的には……」

 回答のヒントが丹念に記され、こう締めくくられている。

「きっとできるようになります。ファイトです!」

 徳間は思わずクスっと笑った。マルバツを付けるだけでなく、問題ができるようになるまで導き、応援だってしてしまう。それが春樹の性格をよく表していると思ったからだ。

 「(やっぱり素敵だなあ、嵐山先生)」

 徳間は心の中でつぶやいた――つもりだったのだが、どうにもその思いは、顔にも出てしまっているようだった。教頭の黒田が自身の顔を指さし、先生先生と小さく呼びかけるまで、徳間はそのことにまったく気付かなかった。黒田の指摘を受けて数秒後、彼女は恥ずかしさのあまり赤面した。

 「うう……」

 昼休み終了十分前。職員室での時間もゆるやかに流れていく。



 「きりーつ!」

 学級委員の細田と貞方が号令をかけた。生徒たちは各々立ち上がり、次の令を待つ。

 「礼!」

 「ちゃくせーき!」

 礼を終えて席に着くと、生徒達は担任である春樹の言葉を待つ。帰りの会が終われば後は自由だ。既に遊ぶ約束を取り付けた男子たちは、早くもうずうずしている。

 「よーし、今日はこれで終わりだ。みんな、気をつけて帰るんだよ」

 トントンと学級簿を揃えながら、春樹が放課後の訪れを告げる。すると生徒たちがわあっと騒ぎ出した。放課後がやってきたのだ。

 鞄を閉め、すぐさま駆けだしていく生徒たち。マイペースに机の中を片付けている少年。何して遊ぶか楽しそうに決めている女子たち。奈々がどうしようかな、と考えている時、放送が入った。

 「図書室の当番になっている委員の方は、これから図書室に集まって下さい」

 奈々と、隣の席に座っている少年が反応した。

 「あ、当番だったね」

 「俺、忘れてたよ。アキラに謝ってこなくちゃ」

 彼は香川光彦という。奈々と同じ図書委員で、結構な読書家でもある。冒険小説や推理小説が好きで、同じく本好きな奈々とは話が合う。青いフレームの眼鏡をかけており、視力はあまり良くない。奈々に「目がいい奴ってうらやましい」と時々言うのも彼だ。

 光彦は先ほど号令の合図をしていた貞方明の所へ行き、今日は行けないと謝っていた。貞方は、光彦が当番だったことに薄々勘づいていた。

 「やっぱそうだったんだ。僕、遊ぶって決めた後に気付いたんだ。あれ、光彦は今週当番じゃなかったっけ、って。いや、僕こそ悪かったな。言わないでいてさ」

 「そんな、謝るのは俺の方だって。また今度な」

 「ああ。また遊ぼう!」

 手を振って貞方と別れると、光彦が振り返って言う。

 「待たせちゃったな。行こうぜ、奈々」

 「うん、急がないとね」

 学級新聞を書く博子たちに笑顔で手を振り、奈々は光彦の後を追った。多少遅れる程度なら問題ないが、早く当番の仕事に取りかかりたかった。サボっていると思われないためにも。

 「お熱いねえ、二人」

 「ほんと、仲いいわよねー」

 「同意ー」

 奈々と光彦が教室を出てすぐのことだ。博子、真菜、杏が口々に二人の仲をからかった。それも、至って楽しそうに。

 奈々を下の名前で呼ぶ男子生徒は、光彦ただ一人である。



 「失礼しますっ」

 図書室の扉を開けながら、奈々と光彦は声を合わせた。放課後も図書室は生徒に開放されている。読書の邪魔にならないよう、ボリュームは抑え気味にした。

 「よろしくね、お二人さん」

 司書の岡本がニッと笑いかけた。彼女は四十半ばで、ガッチリとした体格の豪快な女性だ。二児の母でもあり、肝っ玉母さんという言葉がよく似合う。

 「んじゃ、さっそくやってもらおうかな。まずはカウンターに座って。貸出時間が終わったらカードを数えて、帳簿に付けてね」

 二人はさっそくカウンターに向かった。知切小学校の図書室は利用者が多く、放課後も本の貸出や返却の作業に追われる。奈々の元にも、さっそく女子生徒がやって来た。

 「えっと、本を返したいんですけども」

 「ありがとうございます。返却ですね」

 奈々は「たそがれの棋士」という本を受け取り、裏表紙の内側に付いているポケットからカードを抜き出す。「返却」の項目にマル印の判子を押し、女子生徒が差し出した図書カードにも同じくマルを付ける。返却期限日を見ると二日後だった。彼女は余裕を持って返してくれた。全く問題ないことを確認し、奈々は彼女に笑顔で応対する。

 「ありがとうございました。また利用して下さいね」

 「は、はいっ」

女子生徒は若干照れながら礼をし、図書室奥の本棚へ向かって行った。奈々は、ふう、と息をつく。

 「ちゃんとできてた?」

 「もちろん。すっごく丁寧だったし」

 奈々が不安げに尋ねると、光彦は励ますように返した。

 「よし、俺も頑張らなくちゃ」

 「すみません、貸出お願いします」

 「あっ、はい!」

 気合いを入れてすぐに、背の高い男子生徒が来た。光彦は少し慌てつつも、きちんと仕事をこなしていく。そんな調子で何人もの生徒に応対しているうち、閉館時間になった。

 「閉館時間になりましたー!」

 「早めに帰宅して下さい!」

 二人は少し大きな声で呼びかけた。残っていた生徒は一人二人と図書館から出て行き、やがて全員が帰った。

 「よっし、じゃあ帳簿をよろしくね。付け方は分かる?」

 「はいっ」

 返事をし、奈々は傍らにあった帳簿を開いた。ここにクラスごとの貸出冊数と、本の分類番号を書いていく。本の背表紙下部に貼られたシールに記載されたそれを確認し、次に図書カードの最後に記入された文字を追う。

 奈々が手に取っている「まだらの紐」なら、分類番号は933。90は文学、930は英米文学、933は英米文学の小説・物語であることを指している。したがって、帳簿の90列にチェックを入れればいい。

 次に、本を借りた生徒の学年とクラスを参照する。この場合は、五年三組の香川みつき――奇しくも光彦の妹だった――と記入されていた。そこで五年三組の90列に、1と書き加えれば完了だ。これを一日の貸出冊数分、すべて付けていく。地味で割合根気のいる作業だ。

 冊数が多いほどチェック回数は増え、疲れてくると精度が落ちやすくなる。ミスは厳禁。一つの間違いが全体に影響を及ぼし、総貸出冊数にズレが生じてしまうのだ。奈々は慎重に、一冊一冊確認していった。

 「ふう」

 しばらくの後、記入作業がすべて終わった。隣の椅子に座っていた光彦に帳簿を手渡すと、彼は電卓をたたき始めた。

 「お疲れ! 計算は全部俺がやるよ」

 「ありがとう~」

 しばし脱力する奈々。対して光彦は集中し、帳簿の貸出冊数に目をやった。電卓のキーをたたいて、これをひたすら計算していく。1、3、2、3などの数字をひたすら足し、合計を出し、結果を合計の欄に書く。

 作業を繰り返し、各目録ごと、クラスごとの合計を算出する。そして、総貸出冊数を最後の欄に書き込んだ。どこにもミスはない。これも帳簿の記入と同じで、一つ間違うと全体の計算が狂ってしまう。簡単なようで、案外神経を使う仕事だ。

 「よっし、終わった!」

 「お疲れさま!」

 重大任務が終わった嬉しさからか、二人は思わずハイタッチをした。少し経つとそれが気恥ずかしくなって、えへへ、ははは、と照れ笑いをする。

 「お二人さん、仲がいいねえ」

 司書の岡本が茶化すと、口々に言い訳が飛ぶ。

 「ななな、そんなことは……ね?」

 「そ、そーですよ。ナンデモナイデスよ」

 「あらら、かわいいねえ」

 「俺、窓閉めてきます!」

 光彦はごまかすかのようにその場を離れ、窓の鍵を閉め始めた。奈々も慌てて手伝う。岡本は思わず、ぷっと吹き出した。

 「青春だねえ」


 「今日はありがとね。また頼むよ」

 「はい!」

 図書室の前で岡本と別れ、奈々と光彦は下駄箱へ向かう。踊り場の窓から外を伺うと、まだ少し明るかった。

 奈々の家は学校から徒歩十五分ほどの場所にある。道草をくわなければ、暗くなる前に十分帰宅できる。光彦の家は五分程度で、奈々よりもずっと学校に近い。ただ二人の家は別方向にあり、一緒に帰ることはできない。

 「(同じ方面だったらいいのにな。そうしたらもっと話せるのに)」

 奈々の思いも空しく、下駄箱で靴を履き替えてから、二人は玄関の前で別れることになった。光彦は頬を軽くかき、照れながら話した。

 「じゃあ俺、あっちだから……あ、明日またな!」

 「うん、バイバイ!」

 「明日は図書委員の仕事、忘れないからー!」

  光彦は手を振り、南門へ走っていく。

 「わかったーっ!」

 応じて奈々も手を振る。一人きりになると、急にさみしくなってしまった。校庭で遊ぶ生徒の姿もまばらで、日中の騒がしさが嘘のようだ。

 東門を出て奈々は一人、家に向かって歩き出した。暮れかかる夕日の光がまぶしい。



 「薄気味の悪い情景だな」

 奈々たちの住む町を一望し、男はつぶやく。何かをひどく憎んでいるような、禍々しい響きを伴って。切れ長の目、やや高く筋の通った鼻、わずかに大きな口。全体的に整った顔立ちをしているが、厳しい表情も相まり尖った印象を与えている。

 「……大罪を犯しながらなお生きながらえ、あろうことか人に道を説いているなどとはな。忌々しく汚らわしきことよ」

 電柱の上に立った男は、静かに独り言葉を紡ぐ。誰に伝えるためでもない、自分自身にのみ向けられた旋律だった。己を定め、どこかなにかへ導くためのものである。

 「奴を育てたのはお前だ。その責任、お前の命で賄って貰おうではないか」

 そこまで言い、男は沈黙した。自分の目的を果たすための言葉はすべて尽くした、とばかりに。彼は目を伏せ、ひたすらに過去を追想する。

 若い頃、周りには多くの人々がいた。彼らは男に対して、楽しげに話しかける。お前はここの長にだってなれるさ、と白髪の天狗が笑う。背の低い白狼天狗は、おれもあなたのようになりたい、と目を輝かせていた。まぶしいほどまっすぐな思いをぶつけられ、当時の男は照れくさくなりながら、ありがとうと喜んだ。すると彼は大げさなくらいに喜んでいた。

 「(……もっと稽古をつけてやればよかったか)」

 記憶を辿るなか、一人の女性が現れた。傍らには二人の烏天狗が立っている。片方は痩身、もう片方は筋肉質で大柄。特徴だけを挙げれば対照的だが、面立ちはどこか似ている。

 思い出したくない顔だった。彼らは男に対し、親しげに笑いかける。男もまた、彼らを信じていた。どのようなことが起ころうとも、彼らと共にありたいと誓ったこともあった。

 しかし後に、男は女性の首に手をかけることになる。

 しかし後に、男は烏天狗たちから裏切られることになる。

 すべてはままならないものだ、と男は思う。しかし、ただ一つ成し遂げなければならないことがある。そのために男は今まで生きてきた。ただそれだけのために。

 「殺されるその時まで、贖ってくれよ」

 男は吐き捨てるように、標的の名を呼ぶ。

 「――嵐山春樹。そして、奈々」

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