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林檎と彼女と初恋と  作者: 0-0
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序章

家から歩いて十五分ほど、この林檎畠に来るのが少年の日課だった。時間帯は特に決まっているわけではなく、早起きして学校に行く前に、放課後に、月の美しい夜にだったり、とにかく毎日来ている。何か理由があるわけでは無い。なぜかその場所には惹かれるものがある、無理に理由をつけるとすればこんなところだろうか。というわけで、今日も例外なく彼はこの場所に来ていた。ちなみに時刻は午後五時ちょうど。いつもの景色、いつもの匂い、いつもの風、一通りこの場所を堪能し終え、さて帰ろうかと思ったそのときだった。


何か違和感を覚えた。


なんというかいつもと違う感じがした。

「・・・・・・?」少し気にかかり、あたりを見回してみると違和感の正体はすぐに分かった。畠の一角、他の林檎の樹とは離れた位置にどっしりとそびえる、この畠で一番大きな林檎の大樹。


 その下に一人の少女が立っていた。


 この畠は大変な田舎にあり、人の気配がほとんどないため、毎日通っている彼ですら、畠の中で従業員以外の一般人には会ったことはおろか、見かけたことすらない。そんな畠に少女が立っているのだ。距離にして約三十メートル、高校生くらいだろうか。少年は自分と同じくらいにに見えるな、と思った。といっても見えているのは少女の背中だけなので、あくまで憶測にすぎないのだが。

 後ろに垂らした長い髪、透き通るほどに白い肌、すらりとしていてなんとなくマネキンを連想させる細身の長身、まるで理想を形にしたみたいな印象だった。そのせいなのかは分からないが、昔どこかで見たことがあるような気もした。


 気が付くと、少年の足は自然と歩み始めていた。下心はなく、ただ、初めて自分と趣味を共有できる人物をみつけられたかもしれない、そんな喜びを感じていたからだと思う。

彼女との距離が縮まってくる。同時にだんだんと近づいてくる希望に心が躍りだしそうだ。いよいよあと数歩で彼女の元へたどり着きそうになった。しかし少年はそこで足を止めた。


 彼女は泣いていた。


さっきは遠すぎてわからなかったが、ここまで近づけばはっきりこえる。彼女がすすり泣く声が。はっきりと。高揚していた気持ちは急激に沈んでいった。なお、止まった足は動かない。しかし、驚いたからではない。彼女の泣く声に聞き入ってしまったからだ。聞き惚れたともいえる。まるで楽器の演奏を聴いているかのような錯覚に陥る。その極上ともいえる演奏に心打たれ、時を忘れてしまった。


              Δ    Δ    Δ


しばらくして少年は我に返った。依然として彼女は泣いている。このまま彼女のそばで泣き声を聞き続けるわけにもいかないので、引き返すことにした。

ザッと、足音が立った。大樹の落ち葉を踏む音が、人気のない畠に響く。

ピタリ、と泣き声が止んだ。それが何を意味するのかは自分でも分かった。出来れば気づかれることなく立ち去りたかったのだが、少々厄介なことになりそうだ。だが、嬉しくもあった。予期せぬことではあったが、彼女と関わるきっかけができたのだから。

眼だけが彼女と合っている。少し冷たい風が吹いた。彼女の髪が揺れる。このまま時間が止まってしまうんじゃないか、そんな幻想を抱いた。


しばし続いた沈黙を先に破ったのは彼女だった。

「聞かれちゃった、かな…?」

 少し意外だった。先までの沈黙の中、少年は彼女が怒っているのではないかと思っていた。しかし彼女は一つとしてそんな素振りを見せず、まだ若干涙の残った顔で笑顔まで作り出して、一言囁いた。続けて彼女は語り始めた。

「私ね、ここに来たの十年ぶりなんだ。もともと私はこのあたりで生まれたんだけど、両親が離婚してからは、実家に帰ることになっちゃって、ここに来れなくなっちゃったの。でも私はこの場所が大好き。多分あなたもそうなんでしょ?」

 ドキッとした。しかしなぜそんなことを話し始めたのだろう。

「大好きな場所だっただけに、当時はすごく寂しくてね。毎日ここを訪れては今みたいに泣いていたのを今でも覚えているわ。もう戻ってこられない。そんなわけないんだけど、そう思い込んでしまって…。でも私はまた戻ってこられた。失いかけた思い出を取り戻せた。こんなのって素敵だと思わないかしら?」

 何のことはない、割とよくある話だ。しかし、なぜだか少年の目からは一粒、たった一粒、心に溜まった感情があふれ出していた。

「僕もここが大好きなんです。だからその気持ち、よくわかります。」震える声でたったそれだけ告げた。

「やっぱりそうだったのね。」彼女はまだ笑っていた。そして唐突に聞いてきた。

「ところで君、名前は?」

「え…」困惑し、言葉を紡げなかった。

「あー、ごめんなさい、私が先に言わなくちゃね。私は仲伏明乃。十八歳。専門大生よ。」

 少年はいささか驚いた。思ったより年上だった。が、そんなことを考えている暇はない。聞かされたものは聞かせてやらなければいけないのだ。

「えっと、僕は夜持月立麻といいます。こ、高校二年生です。」

かくして二人は最低限の互いの情報を手に入れた。

「へぇ、たちまクンかぁ。よろしくねっ!」そういって明乃は夜持月の頭をポンポンッと叩くと、にっこり笑って見せた。少年はますますドキッとしたが、肝心なことを忘れているような気がして、明乃に尋ねた。

「あの、もしかしたら失礼かもしれないんですが、明乃さんは何でさっき泣いていたんですか?」

「いきなり名前で呼ぶなんて大胆だね~。しかも乙女の涙に疑問を持つときたか。」夜持月が年下だと分かったからか、明乃は先ほどよりも軽い感じで答えた。

「んー、あんまり言いたくはないんだけど立麻君とは仲良くなれそうな気がするし、いっか。」明乃は続ける。

「さっき泣いてたのはね、今日がここに来れる本当に最後の日だから、だよ。」

「!」立麻に衝撃が走る。その様子に気付いているのかいないのか、明乃はまだ続ける。この後立麻がどんなに驚くとも知らずに。


「私、病気で来年には死んじゃうらしいの。」


立麻は言葉を失った。沈みかけの夕日が、薄紅の林檎を真っ赤に染め上げていた。      序章 終わり


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