4月9日の桜 AM.7:45
銘尾友朗さま主催『春センチメンタル企画』参加作品です。
「春眠、暁を覚えず」とは、よく言ったものだ。
むかしの中国の詩人だっけ。尊敬するよ。まさに、そうじゃないか。
溜まった疲れが、睡眠を要求する。つい2~3週間前までは、三寒四温とか言って、油断ならない気候が続いていたというのに、一気に春がやって来た。
季節は変わったが、その変化に身体が追い付かないっての。28歳にもなると、トシかねぇ。言いたかないけど。
若い頃のように、浮かれまくってもいられないしさ。
第一、無理が効かなくなった。哀しい実感。
おかげさまで仕事は順調だけど、順調だからって、疲労やストレスが溜まらないってことはない。
仕事の量も減りはしない。むしろ、増えたし溜まった。
なんでだよ。
おかげで降り注ぐ暖かな日差しと、いっせいに咲き出した花のうららかさが眠気を誘いまくる。
思わず、あくびが出てしまうじゃないか。
おっと、ここは自分の部屋じゃないぞ。往来だった。
バス停でバスを待っているというシチュエーションもすっかり忘れての大あくび。
とっさに口元は抑えたが、その拍子に隣に並んでいた女子高生と目が合ってしまい、クスリと笑われるという恥ずかしい目に遭ってしまった。
朝から、なんだろうね。
数年前、区画整理の拡張工事で開通したこの通りには、一定間隔で桜の木が植えてある。桜並木を作ろうという意向らしい。
一応、それは成功しているんじゃないの。
桜並木って言うにはまだお粗末だけど、年々桜の木は大きくなり、鈴なりの花をつけるようになっている。
ソメイヨシノ――。
今じゃ、サクラの花って云えばこの花を連想する程、日本人にはお馴染みの品種だ。エドヒガンとオオシマザクラの雑種が交配してできた品種らしいんだが、驚くべきは、こいつらはそのできた単一の樹を始原とするクローンなんだとか。
日本中のソメイヨシノがみんなクローンだって聞いた時には、正直ビックリした。しかも園芸品種として確立されたのは、江戸時代中期から末期頃だっていうじゃないか。
まあ、当時の園芸家にクローンなんて概念があったとは思えないが。なんでも挿し木をして、増やしていったらしい。
それで街路樹として植えられたソメイヨシノだが、若木の頃は貧弱な感じで、春の強風にあおられる姿はかわいそうだった。
けれども植物と云うのは強いもので、自分が社会人として経験を重ねていくのと同じように、ソメイヨシノも成長していったようだ。気が付くと、7~8メートルは樹高がある。
成長が早い品種なんだろうか。植物に興味がある訳じゃないので、その辺は適当になってしまうのは、勘弁してほしい。
若木の頃から花をつけていたと思うが、枝ぶりが良くなって見栄えするようになったのは、ここ1~2年のことだと記憶している。
さすがに満開の桜には目が奪われるし、美しいとも思うよ。
でも桜ってのは、すぐに散ってしまう。
ああ、きれいだな……って堪能できるのは、ほんの2~3日じゃないか。
バス停横の桜も、ここ数日の日差しを浴びて新緑が勢いを増し、もう葉桜になっている。すぐに初夏がやって来きそうな勢いだ。
「なんで桜の花って、すぐに散ってしまうんですかねぇ」
花見の席で、先輩に尋ねたことがある。
「そりゃ、簡単だ。桜の花が1か月も咲き続けてみろ。日本人は花見を繰り返して、酒喰らって、馬鹿になる。日本って国は、即刻滅亡するぞ!」
そりゃないだろう。
「桜ってのは、人を酔わせるんだ。じーっと見ていると、酔い痴れていい気分になってしまう。いやなことも、すべて忘れさせてくれるのさ。だから俺は、うっかりこの季節に結婚しちまったんだろうな」
そういえば、先輩の結婚式って桜の季節でしたねえ。あれ、一人娘の名前も、「さくら」ちゃん。
先輩、相当桜に酔っているでしょ。
ビール片手のそんな会話したの、1週間前だよ。
あの時は、まだ八部咲きだったんだぞ。夜気も冷たくて、桜の花も震えていた。
ところが仕事に追われ、気が付いたら、満開は過ぎていた。だから、桜は嫌いだよ。この気の早さ、なんとかしてくれってぇの。
別れた元カノに似ている。
ああ、朝から嫌なこと思い出しちまった。
今度はため息。あくびの次は、ため息か。春から、おもしろくないね。
隣では、さっきの女子高生とその友人が、楽しそうに会話をしている。それが何となく耳に入って来た。
「……桜ってさ、満開の時はきれいだなぁって思うんだけど、葉っぱが出てきた途端、きれいじゃなくなっちゃうのよね。なんだか中途半端な感じになって……」
「うんうん。それって、ソメイヨシノの話でしょ」
「山桜なんかは、まあ、そんなカンジかな~って見られるんだけどさ。ソメイヨシノだけは散り遅れた花が、葉っぱの陰に残っているのが、なんだか美しくないのよね」
「わかる~。この木なんて、まさにその状態よね」
ふたりはバス停横の桜を見上げる。
「ソメイヨシノだけは許せないわ~」
おいおい、そりゃないだろう。ソメイヨシノだって、精一杯咲いているんだぜ。ちょっと数輪咲き遅れたからって、その言われようは無いだろう。
むしろ健気に咲く花を見守ってやれよ。
余計なお世話のツッコミを入れたくなった時には、彼女たちの会話は、もう別のことに移行していた。
残酷な会話の内容が聞こえてしまったのだろうか。
枝先に付いたちいさな花の一群は、無情な風に揺られ、残っていた花びらをまたひとつふたつと散らした。
ソメイヨシノはクローンだ。だから一斉に咲き、一斉に花を散らせるらしい。
桜にだって、それなりの理由があるし、それは桜が望んだものではなく、その生い立ちから生じた一つの個性に過ぎない。
だから、それを責めるのはお門違いってもんじゃないかい。
「やだー」
「そんなふうに考えることが、おじさんなんだよー」
と、彼女たちは笑うのだろうか。
でもねえ。願わずにはいられない気分なんだよ。
桜よ。それでも、また来年もきれいに咲いてくれって。
ガラにもなく、過ぎゆく春ってものを感じてしまった。
ははは……。なんだよ、この感傷は。
まったく、……なんなんだか。
時計を見れば、7時45分。
もうすぐバスがやって来るようだ。