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22話 セシル、限界を迎える

 


 サヤカはその日、いつものように塾終わりに復習してから帰宅するつもりで、自習室に向かった。ところが、自習室は空調機の故障で閉鎖されていた。

 仕方ない。いつもより早いけど帰ろう。

 サヤカが帰宅し、玄関のドアを開けると、大輝と母親の声が聞こえた。

 どうせ、また私の悪口でも言ってるんでしょ?

 母親は、大輝と二人きりのときに、いつもサヤカの悪い所をあげ、サヤカみたいになってはいけないよと教えていた。

 私が知らないと思ってるんでしょ?

 こんな家、本当にイヤだ。


「大輝。お姉ちゃんはまたクラスで2番だったのよ。あなたはお姉ちゃんと違って、いつも1番よね。私とお父さんの子供なんだから、当然よね。」


 やはり母親が、また私の悪口を言っている。大輝はそんな母親にいつも、あぁそう、と肯定とも否定とも取れるような返事をしていたが、今日は違っていた。


「お母さんさ。もうそういうの止めたら?お姉ちゃんはさ、頑張ってるよ。夜遅くまで勉強してるの、僕知ってる。僕は、そういうお姉ちゃんのこと、スゴイと思ってる。自分のことしか考えていないお母さんより、愛人のところに行ってて、家に帰ってこないお父さんより、ずっとね。」


 そんな大輝の言葉に、母親がキレる。


「だっ大輝。自分のことしか考えてないって!それに、愛人って!誰がそんな事!」

「お母さんだって、本当は知ってるんでしょ?お手伝いさん達が噂してるよ。」

 母親も父親も仕事で忙しい北条家には、通いの家政婦さんがいる。噂好きの彼女達の事だ。大輝が居ないと思って話をしていたのを、聞いてしまったのだろう。


「お母さんが僕達にクラスで1番を強要するのって、自分のプライドのためでしょ?」


「大輝!黙りなさい!お母さんは、あなた達の将来のことを考えて、勉強させてるのよ!そんな事もわからないなんて!まだ(しつけ)が足りないようね?」


 母親が激しく怒っている。


「また僕を閉じ込めるの?今度は屋根裏?庭の物置?お母さん、そういうの虐待っていうんだよ。弁護士なのに知らないの?」


 大輝の言葉にサヤカは、驚く。

 大輝も母親に閉じ込められていた?母親は誰かに見られる事を激しく嫌う。家に大輝しかいないときに、大輝を監禁してたんだ!

 大輝も私と一緒?


 母親と大輝のやり取りを、リビングに入る扉の前で様子を伺っていたサヤカは、気配が変わったことに気づく。


 バシンッ!

 何かを叩く音がした。

 母親が大輝を叩いた?


「そうやって、気に入らないことがある度に、叩くのは止めろよ。」


 バシンッ!


「お母さんにそんなヒドイことを言うなんて!まだ躾が足りないのね!」


「お母さん!そういうのは虐待っていうんだよ!」

 大輝が激しく言い返す。


「虐待じゃないわ!これは体罰よ!言っても分からない子には、体で分からせるしかないのよ!」


 母親がもう一度、大輝を叩く気配がした。


 サヤカはもう黙っていられなかった。リビングの扉を開けて、大輝の前に立つ。


 バシンッ!


 サヤカは、母親の平手を手で受け止める。


「サヤカ!あなた、帰ってきてたの?」

 母親が呆然とする。


「お母さん、これはどういうこと?これって虐待だよね?」


「こっこれは、(しつけ)よ!大輝が、私やお父さんを侮辱することを言うから!」


「お母さん。大輝は言葉で攻撃したわ。それなら、言葉で返すのが、公平というものでしょ。言葉で返さずに暴力を行使するのは、弁護士とは思えないわね。」


「なっ!何よ!これは躾だって、言ってるでしょ!」


「お母さん。『子供の権利条約』って知ってる?日本が批准したのは1994年。その中では、『子供には、あらゆる形態の身体的、精神的な暴力から護られる権利がある』ってことになってるわ。私は、暴力には暴力で、言葉には言葉で返すべきだと思ってる。お母さんがしているのは、躾じゃなくて、ただの暴力よ。」


 サヤカの言葉に、母親がさらに手を振り上げた時だった。リビングの扉が開き、父親が入ってきた。


「何をしているんだ!」

 サヤカと大輝を叩こうとしていた母親を止める。

「お前は子供達に暴力を振るっていたのか?」

「何よ!あなたこそ、普段帰ってこないくせに!どうせいつもは、あの女のところでしょ!愛人の話が家政婦達の噂になるなんて!どんどん噂が広がったら、私も困るのよ!」

「あっ愛人って何のこと…。」


 母親と父親の言い争いが始まった。

 サヤカは大輝の手を引き、二階の自分の部屋へ連れて行く。


「大輝。大丈夫?」


「うん。お姉ちゃんがかばってくれたから。それに、お姉ちゃん凄かったよ!『子供の権利条約』って何?弁護士さんみたいだった!」

 大輝が目を輝かせて、見てくる。


「私、将来、弁護士になろうと思って。司法試験に一発で合格して、弁護士として働きはじめたら、すぐに辞めてやろうって。お母さんに、『お母さんと同じ仕事なんか、やってられないわ』って言ってやろうと。」


「あはは!僕も同じこと考えてた!医師免許とったら、医者にはならない!って言ってやろうと思って。」


 サヤカと大輝は、お互いを見て笑う。


「私達、似てるわね。」

「そりゃそうだよ!僕達、姉弟じゃん!」


 そうか。そうだった!大輝は私の血の繋がった弟。あの母親に苦しんでいたのは、自分だけじゃなかったんだ。


 私は母親に逆らえず、同じ中学生の陽子をイジメることで、不満を解消してきた。本当は母親と戦わなければいけなかったんだ!今日の大輝みたいに!





「今じゃ!」と、セシルが指示をする。

 その言葉に陽子が集中すると、銀色の髪がキラキラと輝き、光りが集まってくる。

 陽子はサヤカの中から、グールを引き剥がすと、結界の中に入れた。

「タイミングはバッチリじゃ。」


 陽子達はサヤカの自宅の上空にいた。球体の結界の中には、ノアと双子が待機している。


 結界の中に入ったグールを、ブラックノアが切り刻んでいる。やはり、普通のグールとは違うようだ。触手のようなものが具現化している。


 ノアが切り刻んだグールは、双子が展開した術によって、閉じ込められ、その中で消滅していった。


「消えちゃいましたね。」

 タクミが素直な感想を言う。

「ヴォルケーノスフィアは、言わば小型のブラックホールじゃ。対象物を閉じ込め、内側へ圧縮、そして焼却消滅させる。まぁ、そんな術じゃよ。」


 わかったような、わからないような顔のタクミに、エルから鋭い指摘が飛んでくる。

「田中!理解していませんね!せっかくマスターが説明してくれているのに!」


 そんなエルから逃げるように、タクミは陽子と月子に話しかける。

「上手くいったね!」

「はい。これで北条さんの心も落ち着くかと。」

「少し操作し過ぎじゃない?サヤカ、とっても良い子になってたよ。」

「元々、北条さんは悪い人じゃないもの。ただ少し流されやすいだけ。」

「なるほど!友達が悪口言ってたら、自分も一緒に悪口言うタイプね。」

「私の事をイジメてたのは、お母さんのプレッシャーに耐えられなかっただけだし。」

「でも、もう大丈夫。大輝くんが味方だって、気付いたと思うから。本当に戦わなければならないのは、母親だともね。」

「大輝くんも頑張ってたね。」

「大輝くんの心の中の大輝くんにね。お姉ちゃんを助けてあげてってお願いしたの。」

 ???

 月子の言葉が理解できず不思議顔のタクミに、陽子が補足説明してくれる。

「大輝くんも母親には逆らえなかった。でも、母親のことで北条さんが悩み苦しんでいることを分かっていたから、何とかしたいって心の中で強く思っていたの。それを少し操作しただけ。」

「そっかぁ。でも上手くいって良かったね。」


「我のシナリオもなかなかじゃろう?」

 セシルが話に入ってくる。

「サヤカの塾の空調への干渉と、父親の帰宅時間の調節は大変じゃったよ。じゃが、父親の登場するタイミングは、バッチリじゃったな!

 グールも討伐できたし!では、皆、帰るぞ!」

 セシルが、鼻高々の顔で宣言したのだった。



 戻ってきたセシルは、早速いつもの定位置に向かう。

「あーもう、何もしたくない〜。我、今回はとっても頑張ったと思うのじゃが〜。」

「さすが《怠惰》のセシルねえさま。お疲れのようですね。僕はお留守番で疲れてないので、僕が陽子と月子へ説明しましょうか?」

「じゃあ、トールに頼むかのぅ。よろしく〜。」

 そう言うと、ソファーにゴロリとなる。


「ふふっ。セシルねえさまは困ったものですね。では、陽子さん、月子さん。調査結果をお話ししますね。」


 大きなダイニングテーブルには陽子と月子、タクミが座り、千代が用意してくれたお茶を飲みながら、トールが話し出すのを待っていた。


「陽子さん、月子さん。あれからの生活はどうですか?」

 トールが、当たり障りのない話から始める。

「生まれ変わったような感覚です。精霊が、こんなにも周りにいたなんて。」

「毎日、楽しいよ!

 でも、まだここ以外では大きな声は出せなくて。このマンションの中だと大丈夫なのに。」

 陽子と月子が、口々に答える。

「ふふっ。そうですか。楽しいのは良いことです。

 ここの中では大丈夫というのは、精霊が多いからでしょうね。月子さんは今、心の傷と戦っているのです。声もそのうち出せるようになると思いますよ。」

 この中で一番年下のトールに励まされる、という不思議な状況に違和感を感じるが、トールはかまわず続ける。


「では、お母さんに関して調査した結果をお話ししますね。まず、学校で少し噂になっていた、男の人と歩いていたというのは本当です。でも、それは会社の上司。たまたま帰る方向が一緒だっただけですね。」


「ほら、やっぱり何でもなかった。お母さんはそんな人じゃないもの。」

 陽子と月子が、顔を見合わせて喜んでいる。


「ただ、その会社の上司という人は、お母さんの元恋人です。学生時代に付き合っていたようで、偶然、会社で再会した。お母さんもその元恋人も、共に子供が欲しかった。子供が出来ない身体のお母さんは、身を引いた、という訳です。」


「じゃあ、嫌いになって別れた訳じゃないんだ。」


「その人は、お母さんと別れた後に、結婚して、男の子が生まれた。いま、ちょうど月子さんと同じ年です。そして、その子の母親は2年前に交通事故で亡くなっている。」


「じゃあ、その人は男手ひとつで、その男の子を育てているってこと?」


「そうです。そして、陽子さんと月子さんのお母さんが同じ会社に入ってきた。お母さんも一人で陽子さんと月子さんを育てていることを知ったその人は、何かとお母さんを手助けしているようです。そして、お母さんも。」


「あっ、もしかして?」

 月子には心当たりがあるようだ。

「前にね。お休みの日に、お母さんのお友達だっていう人のお家に行ったことがあるの。その人は、どうしてもその日お仕事に行かなくちゃいけなくて。でも、私と同じ年の男の子が風邪で寝込んでるから、困ってるって。だから、お母さんが代わりにお世話しようと思うから、月子も一緒に行こうって。その時は、お母さんのお友達って、女の人かなぁって思ってたんだけど。」


「そんな事があったの?」

 陽子は知らなかったようだ。


「お姉ちゃんが、図書館で勉強してくるって言って、出掛けてた日だよ。」


 確かに、テスト前とかは、母親が休みの日に図書館に行くことがあった。


『陽子。いつも月子のお世話してくれてありがとう。今日は、お母さんがいるから、好きなだけ勉強してきなさい。陽子は勉強が好きなのよね。お父さんも言ってたわ。陽子は知識を吸収することが大好きで、知らないことがあったら理解できるまで、調べてくるんだぞって。きっと、頭が良かったひいおばあちゃんに似たんだよって。』


 お母さんは、そう言ってくれた。

 でも、本当は一人になる時間をくれていたって知ってる。月子と一緒にいて、家事をするのもそんなに嫌いじゃないけど、やっぱりたまには一人で好きな事をしたい。

 お母さんは、それを分かってくれていた。そんな優しいお母さんには、絶対幸せになってほしい。


「その男の人は、どんな方ですか?良い人ですか?」

 陽子が、単刀直入に聞く。


「会社での評判は、悪くないですね。借金も無いようですし、資産状況も良好です。これは、ノアに調べてもらいましたから、間違いないと思いますよ。」


「ノアくんが調べたということは。少し非合法な香りがしますが、絶対間違いないということだね。陽子ちゃん、良い人そうじゃない?どう?」

 タクミが、陽子にオススメしている。


「ふふっ。僕達の調査に間違いはないですよ。ただし、その男の人には一点だけ問題が。」


「なっ、何ですか?」

 トールの勿体ぶった言い方に、陽子とタクミは不安になる。


「その男の人は、本社に戻って来ないかと、ずいぶん前から誘われているそうです。」


「えっ?良い話じゃないですか?本社に呼ばれるってことは、期待されてるってことですよね。その人は、出来る男なんですね!」

 会社員の経験があるタクミには、本社勤務の意味が良くわかっていた。


「お母さんが勤めてる会社の本社は、◯△県です。問題ってその事ですね?」

 陽子が指摘する。


「そうか。本社に行ってしまったら、もうお母さんとは会えなくなってしまう。」


「その人はね。陽子さんと月子さんの事情も良くわかった上で、お母さんに、再婚しようって言ったようです。でもお母さんが、それを断った。月子さんが男の人をまだ怖いと思っていること、陽子さんは思春期で、そんな時期に知らない男の人と一緒に暮らすことになるのは、陽子さんの負担になるから、と。」


「でも、その男の人もすごいですね。いきなり再婚だなんて。お付き合いから始めるものでは?」


 タクミの疑問に、何故か陽子が答える。


「その人は、本当にお母さんのことが分かっているのだと思います。お母さん。本当は身体があまり丈夫じゃないの。毎日、夜遅くまで働いてるから、いつか倒れてしまうんじゃないかと、私、心配で。」


「そうか。その人は再婚して、お母さんを経済的にも精神的にも助けたいんだ。そんな夜遅くまで働かなくちゃいけない仕事は辞めてほしいんだよ。だから、再婚なんだ。」


「お母さんは、責任感の強い人だから、私達を育てるために、無理してると思うの。本当は、お父さんの保険金とか、お金はあるのよ。でも、そのお金は陽子と月子が将来、結婚する時まで取っておきなさいって。あなた達が大きくなるまでのお金は、お母さんが頑張るからって。」


「たぶんね。お母さんは、あの事を覚えてるんだよ。」

 月子が、唐突に話し出す。

「あの事?」

「お父さんのお誕生日の時だったかな。お父さんが、陽子は将来何になりたい?ってお姉ちゃんに聞いたの。そしたら、お姉ちゃんは、将来は学者になりたいって。もっといっぱい勉強して、みんなが知らないことを、分かりやすく解説する本が書きたいって言ったの。お父さんは笑いながら、学者になるなら、海外留学しないとなぁって。いろんな世界を体験して、大きく成長しないとなって。」


 月子の話で思い出した。

 昔、そんな事をお父さんが言っていた。だから、大きくなったら、海外留学もいいなと思っていた。あの事件があるまでは。


「だからね。お母さんが、夜遅くまで働いてるのは、お姉ちゃんを海外留学させてあげるためだよ。お母さんはいつも言ってるの。お姉ちゃんには、広い世界を見てほしいって。お父さんもそれを願ってたからって。」


 お母さんが、夜遅くまで働いてるのは私のため?陽子は、母親の気持ちを知って、泣きそうになる。


「良いお母さんだね。」

 タクミが、心の底からの気持ちで言う。

「はい。だから、お母さんには絶対幸せになってほしい。その男の人が本当にお母さんのことを心配してくれてるなら、私はその人にお母さんを任せたい。私達が居なくなっても、大丈夫だと思うから。ねっ、月子。」

「うん!その男の子とお母さんは、仲良しだったよ。上手くいくと思うの。」


「でもお母さんは、陽子ちゃんと月子ちゃんのことをものすごく好きなんだよね。逆にお母さんの方が、離れたくないって言うんじゃない?それに、異世界に移住するから、お母さんは再婚してください、なんて言えないし。言っても信じてくれないと思うよ。」


 タクミのそんな言葉に、ソファーでぐうたらしていたセシルが口を出してくる。

「陽子、月子。話は聞いておったぞ!

 (われ)、とっても良い案が浮かんだのじゃ。母親の事は、我に任せてほしい。完璧なシナリオじゃ。我、自分の才能がおそろしい。」

 と言いながら、フフフフッと不気味な笑い声をあげている。


「セシルさま、どうしたの?壊れちゃった?」

 タクミが、ヒソヒソ声で言う。


「ねえさまは、疲れがピークに達するとテンションがおかしくなるのです。あれはかなり、キテますね。」

 トールもヒソヒソ声でかえす。


「陽子ちゃん、月子ちゃん。セシルさまに任せてもいい?」

「はい。セシルさまのこと、信頼してますから。でも、あのテンションは不気味ですね…。」

 タクミの言葉に、陽子もヒソヒソ声でかえす。


 こういう時は、従っておいた方が間違いないだろう。セシルの不気味な笑い声が響く中、タクミ達は、セシルに任せることを選択したのだった。




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