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9話 主人公、管理人になる

 

「トールくん、行ってらっしゃい。気を付けてね。」


  エレメンテから日本に帰ってきて、1ヶ月がたった。僕はセシルさまが所有しているマンションの一室に引っ越し、管理人業務をしている。


 戻ってきた次の朝、辞表を出しに行くと、あんなに怒鳴り散らしていた上司がいなくなっていた。どうやら、勤めていた会社に、外資系の大きな会社から好条件での買収話があったらしく、上司を含めた何人かが急な出張という形で辺鄙(へんぴ)な支社へ行かされたという。

 上司のパワハラで部下がうつ病になることが近年、社会問題となっているため、その外資系の会社ではパワハラの撲滅に取り組んでいるらしいのだ。一際大きな声で部下を罵っていた上司は、問題になる前に左遷されたと、元同僚が教えてくれた。


『そろそろ、潰しておくべきかのぅ。』


 あのとき、セシルさまが呟いていたが。いや、いくらなんでも、早過ぎる。偶然だよな。



 辞表を出しに行った僕は、とても清々しい顔をしていたようだ。元同僚が別人を見ているようだと苦笑しながら、話してくれた。中途入社した当初から、僕のことを気にかけてくれていた人だ。


 やはり、セシルさまが言っていたように、この会社では中途入社の人間を使い捨てのように扱っていたらしい。真面目だが、人付き合いが下手そうな人達ばかりが入ってきて、営業職なのに、どうしてこのような人材ばかり入社してくるのだろうと不思議だったという。


 営業に向いてないヤツは資料作りでもやらせておけ!という指示が、上司から出ていたこと。僕がオドオドしていて、話しかけづらい雰囲気だったこと。取引先との接待飲み会に僕が同行した際に、僕のノリが悪くて先方との取引に影響が出そうだったこと。


 どうしてこんな向いてない仕事を選んだのか不思議だったし、早く辞めた方がいいと思っていた、と語った。


 実際、中途入社の人は2、3年で辞めていくそうだ。


 そうか、だからみんな冷たい感じだったのか。どうせすぐ辞めるんだろ?と思って接していたんだ。


 再就職したときの僕は、やっと採用してもらったんだから、真面目にキチンとしなくては、と思って力が入り過ぎていたところがあった。それでは余計に話しかけづらかっただろう。


 飲み会の時も、相手にあわせて上手く話すことも必要だったんだな。真面目にさえ、やっておけばいいと思い込んでいた自分にも非があったと、気付いた。


『あの人(上司)も悪い人じゃないんだよ。自分も若い頃に上司から怒鳴られて一人前になって、それなりの成果を出して上にあがった人だから、怒鳴れば部下が育つと思ってるんだよ。こんなことくらいで、潰れるヤツが悪い。自分は育ててやってるんだ!って本気で思ってる人なんだ。

 確かに、営業やってるとな。理不尽な事で、取引先の担当から怒鳴られることもあるからな。急に怒鳴られると、思考が停止して、適切な対応ができなくなることもあるから。

 あの人は訓練のつもりだったんだよ。まぁ、ここ何年かは、やり過ぎだったけどな。』


 ふぅと、一息ついて元同僚は続ける。


『それにしても、田中は話しやすい雰囲気になったな。俺もここまで、話すつもりじゃなかったんだが…。まぁ、お前はこの会社、辞めて正解だったよ。いい顔してる。次の仕事は上手くやれよ。』


  そう言って、元同僚は僕を見送ってくれた。



 元同僚は僕のこと、何かと気にかけてくれていたんだ。それに、あの上司もそんな理由で怒鳴っていたんだな。知らなかった。この会社に勤めていたときは、全然周りが見えてなかったんだな、と改めて感じる。


 不思議な感覚だ。あれから3日しか経っていないのに、僕の考えはまるで違っている。


 あの時は本当に、『生きていていいのか?』と、真剣に考えていた。でも、会社を辞めようとは思わなかった。会社を辞めることは負けだ。逃げ出したと思われる事がイヤだった。辞めて負けるくらいなら、人生を終わらすつもりだった。


 でも、辞めた今なら言える。それは間違いだ!と。


『そんな精神状態になってまで、仕事をすることはないぞ』セシルはそう言っていた。


 そうだよな。


 もし、いま、仕事がツライのに、フラフラになりながら働いてる人がいたら、こう言ってあげたい。


 自分のことを助けられるのは、自分だけだよ、って。





 会社を辞めた時のことを思い出していた僕は、頭を振った。


 さぁ、今日も一日、管理人業務、頑張ろう!


 僕は生まれ変わった気持ちで、管理人業務に励んでいる。いや。実際、生まれ変わったみたいなものなんだけどね。僕、ドラゴンだということがわかったし。


 はぁ、それにしても、大きいよね。


 マンションを見上げる。セシルが所有しているマンションは、かなりの大きさだった。基本は単身用だが、角部屋はファミリータイプ。最上階はワンフロアすべてがオーナーの居住スペースになっている。


 僕に与えられた部屋は一階の単身用。


 荷物の受け取りやマンション全体の修繕が僕の仕事だ。朝の掃除をしながら、トール達を送り出すのが日課になっている。


 そう。トールくんは8歳。なんと、小学校に通っているのだ。あれだけ知識があるなら、通わなくても大丈夫だと思うんだけど。


『アースには社会勉強で滞在しているのですから、小学校に通うのは当然です。いろいろ勉強になることも多いのですよ。ふふっ。』


 トールくんは、微笑んでそう言っていたけど。その笑みに、何やら不穏な感じを受けたのは、気のせいだろうか?トールくんって、とても良い子なんだけど、たまに、ブラックな一面が見えたり見えなかったり…。気のせいかな。


 さぁ、とりあえず朝の掃除も終わったし、セシルさまに会いに行くかな。


 最上階のセシルの部屋に行くと、セシルがリビングのソファーでゴロゴロしている。


「セシルさま、おはようございます。今日も小学校はお休みですか?」


「おはよう。田中。今日は持病のため、お休みじゃ。学校には欠席の連絡をしてあるぞ。問題無しじゃ!」


 そう。セシルは10歳。トールと同じように小学校に通っているのだが、何かと理由をつけて、よく休んでいる。どうやら、持病持ちで病弱という設定らしい。


 セシル達には、アースで暮らすための決まり事がいろいろあるという。引っ越してきた日に、セシルから、ここで暮らすための注意事項をいくつか教えられた。


 まず、アースでは精霊の力が弱いので、精霊を介した会話は成立しない。そのため、セシル達は日本語を話しているのだが、変な言葉になってしまうことがあるので、大目に見るようにと言う。


 どうやら、日本語は難しいので、エレメンテの言葉を日本語に当てはめようとすると変な言葉使いになることがあるようだ。


 次に、セシルとエルとトールの関係だが。

 なんと!家族として、暮らしているという。エルが母親。セシルが姉。トールは弟。父親は外国人で、海外に単身赴任中、という設定だ。


『父親が外国人ということにしておけば、少しくらい変な日本語を話しても大丈夫じゃろう?』


  セシルは、我の考えた設定はスゴイじゃろう!とドヤ顔で語った。


 そして呼び方にも注意があるという。

『日本にいる時は、トールくん、セシルちゃん、と呼ぶように!郷に入っては郷に従え、じゃ!』


 日本ではセシルのような小さい女の子に"さま"が付いてたら余計に目立ってしまう。その土地の習慣に従いなさい、ということだね。了解です。


 セシルちゃん、かぁ。エルに怒られないか、心配だ…。注意事項を思い出していると、キッチンの方から声がかかる。


「タクミさん、おはようございます。今日の朝食は和食にしてみましたよ。ほら、セシルさまも食卓に座って。」


 優しそうな顔立ちの女の人が朝食を運んでくる。


「いつもありがとうございます。千代さん。」

「いっぱい食べるんだよ。おかわりあるからね。たくさん食べないと大きくなれないよ。」


 いや、もう僕は30代なので、これ以上は大丈夫ですって。


 こんな風に世話を焼いてくれているのは、千代さん。千代さんは、セシルの国で料理担当をしている、見た目は60代くらいのイヌ科のご婦人だ。


 セシルの話によると、マンションの中は、エレメンテと同じような空間にしてあるという。

『我らは精霊が少ないと、息苦しいのでな。日本も昔はもっと精霊がいたのじゃが。年々、少なくなっておるのぅ。寂しい限りじゃ。』と、セシルは言っていた。だから、マンション内では、皆、エレメンテの姿で生活している。

 マンションを一歩出ると、犬耳も尻尾も見えなくなる術がかけてあるらしい。犬耳の無い千代さんの姿は上品なおばあちゃんだ。


「ほらほら、セシルさまもたくさん食べて。大きくなれませんよ。」

「チヨ〜、味噌汁にナスが〜。我、味噌汁のナスは苦手じゃ〜。」

「ワガママ言わないで、食べてください。大きくなれませんよ。」


 そう、千代さんの口癖は"大きくなれませんよ"。そう言って、いつもたくさん食べさせようとする。ここに居たら、ドンドン太ってしまいそうだ。


「あれ?そういえばエルはいないのですか?」

 いつもセシルの傍らにいるエルがいない。

「エルはいま、エレメンテに行っておる。我の使いでな。だから、今日の我の護衛はノアじゃ!」

「で、そのノアくんはどこに?」

「ニャンじゃと!ノアがいない?」

 セシルがキョロキョロしている。

「セシルさま。ご飯を食べているときはお静かに。落ち着いて食べないと大きくなれませんよ。それに、ノアはそこにいますよ。」


 千代さんが、先程セシルがゴロゴロしていたソファーを指差す。


 ん?どこに?

 あっ!いた!


 ソファーと壁の狭い隙間に、小さくなって、ノートパソコンをカタカタと叩いている姿が見える。


「ノア、食事はいいのかのぅ?」

 セシルがノアに声をかける。

 ノアはセシルの方を見向きもせず、一心不乱にパソコンを操作している。

 そして一言。「…、食べた…。」


「まったく、ノアにパソコンを買い与えたのは間違いじゃったかのぅ。」

「セシルさま。ノアくんは一心不乱に何を?」

 すると、セシルが困ったような顔をする。

「聞かない方がいいと思うがのぅ。捕まるようなヘマをしないといいのじゃが。」


 捕まるってナニ?

 聞かなきゃ良かった…。


「タクミさん、大丈夫ですよ。ノアは出来る子ですからね。タクミさんの会社に書き置きを置いてきたのも、ノアですよ。」


 えぇっ?あれはノアくんだったんだ!

 前の会社は防犯カメラもあったし、部外者が入れるところじゃないのに。

 しかもノアくんって華奢だけど180cm以上あったよな。そんな大柄のノアくんがどうやって?そう、ノアくんはオーガ族の血が濃いらしく、頭には鬼のようなツノ、身体は細身だが、しっかり筋肉がついている。ただ、気配を消すのが得意で、思わぬ所に居る事があるから、見つけたときはいつも心臓に悪い。


 前の会社への侵入の件は、なんだか非合法の香りがするから、これ以上は聞かないでおこう。


「で、田中よ。ここでの暮らしは慣れたかの?」

「はい、おかげさまで、何不自由なく生活しています。会社に勤めていたときより、健康的な生活ですよ。」


 会社に勤めていたときは、早朝に出社して、朝食はコーヒーのみ。昼食は近くの定食屋でランチを頼み、夜は深夜まで残業。残業しながら、コンビニのおにぎりを食べる。そんな生活を2年くらい続けていた。


 いまは毎食、千代さんが美味しいご飯を食べさせてくれる。


「ただ、前より食事の量は増えてるはずなのに、食べても食べてもお腹が空くんですよね。なんでだろ?」

「うむ。ドラゴンは燃費が悪いからのぅ。トールも大食漢じゃぞ。」


 そうなんだ!

 トールくんとは食事の時間がなかなか合わないから、知らなかった!良かった。病気かなって、思ってたよ。


「田中よ。ところで、今日の予定はどうなっておる?」

 うーん、そうだな。

 少し考えてから口に出す。

「朝食の後は、表口にある植栽の草むしりと剪定をしようかと。午後からの予定はまだ決めてないです。」

 毎日、目に付いたところを掃除したり、修繕したりしているが、実際やる事はあまりなかった。

 指示されずに行動するって意外と大変だな。会社勤めの頃は指示された事を黙々とこなしているだけだったから、仕事を自分で探すことに慣れていない。自分の好きな仕事をするって、僕に出来るだろうか?少し不安になる。


「では、5階の部屋を2つ用意してくれるかのぅ。」

 エレメンテから誰か来るのかな?

 このマンションはエレメンテからアースに来る人達が滞在する施設だ。こうして、誰かが来るときは、僕が部屋の確認をしている。

 まぁ、家具や家電は揃ってるから、不備が無いか確認するだけなんだけどね。何にせよ。やる事があるのは、有難い。

「はい、わかりました!」

 僕は元気良く返事をする。


「では、タクミさん。部屋の用意が終わったら、夕飯の買い物に付き合ってもらってもいいかしらね?」

 千代さんにお願いされる。

「はい。もちろん、大丈夫です。」



 夕方、千代さんと特売のスーパーに行く。

 マンションの住人は基本的に最上階のセシルの部屋にある大きなダイニングで一緒に食事することになっている。

 時間が合うもの同士で食べているので、朝早くはトールとノアと千代が。朝の掃除が終わってから行く僕は、セシルとエルと朝食を食べる事が多い。セシルが学校に行く日は、ノアとセシルが入れ替わるが。


 毎日ちゃんと学校行こうよ。セシルさま。


 千代さんも大変だよなぁ。まるで食堂のおばちゃんだ。毎日の買い物も多いし。


 今日も両手にいっぱいの荷物を抱えてマンションに帰る途中、この辺りでは一番大きな公園の前で立ち止まる。


 なんだ?この感覚?

 今まで感じた事の無い感覚に襲われる。身体に纏わりつく、ゾワゾワする感じ。


 ふと、そちらを見ると、公園にトールの姿がある。


 あれっ、トールくん。

 いつもは寄り道しないで帰ってくるのに、どうしたんだろう?


 トールに声を掛けようと、公園の中に入っていく。


 すると、赤いランドセルが見えた。

 1人の男の子がランドセルを地面に乱暴に叩きつけて、赤いランドセルの中の物が散乱している。


 何をして…?


 男の子の向こうに、何人かの女の子が見えた。1人の女の子を囲んでいる。


 まさか、イジメ?


 囲まれている女の子は泣くでもなく、無表情だ。


 イジメじゃないのか?


 が、その女の子の回りに黒いモヤが見える。


 まさか!グール!




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