断罪の時②
乾いた音の正体は、空がした平手打ちだった。
涙目の空は、三橋を睨みつけている。空は優しさを踏みにじられたことに怒っているわけではなさそうだった。
「なんで……」
空は三橋を睨む。
「なにするのよ!」
突然の平手打ちに三橋も戸惑いと怒りを隠せない。
なにより、ぶたれた。そういうことが一番怒っているのだろうな。今にもつかみかかりそうな勢いである。
「なんで貴女はそんなに愚かなの……? 醜い。正論を聞き入れない耳をして、まだ希望はあると希望に縋って。みじめでみっともない。そんなことをなんで認めないの?」
空が正論のナイフを振りかざす。
「はっ。私が愚か? そんなわけないわ! 私は賢い。希望はいくらでもあるし、縋りつくほどじゃないわよ」
「いや、もう、貴女には希望というものはないよ。自分の愚かさに気づいてないだけじゃん」
空も、庇うことを放棄した。
俺が敵と認定して、空も敵と認識し始めた。最初は躊躇もあったんだろうけど、哀れみ入らないといわれて、もう、哀れむのをやめたのだろうな。
「世界は貴女中心には回ってない。回っていたら、久太くんは今君のものになってるし、なにより、こういうことなんてされないんだよ」
「……すこし予定調和から外れただけ。いつの時も予想外ってことはあるの」
「たしかにある。でも、貴女……三橋さんは、予想外ということを経験したことがある?」
「あるわ。今よ」
「今を含めない昔だよ」
「……貴女にはどうでもいい話でしょう!」
と、答える気はない。だけれど、その態度が肯定とみなされた。
「ないんなら、今まではすべて予定調和だったの?」
「そうよ! 私に従う下僕も、なにもかも手に入るのはすべて予定調和!」
そう叫んだ。
ああ、もうだめだ。予定調和で何事も進むということはない。俺もないのだ。夏休みの計画を立てても、大体実行に移したことはない。それと同じ。
計画と実行は別。
実行して計画を立てるわけではなくて、計画を立ててから実行するのだ。
三橋は、実行して、後付けで計画を立てている。それは単なる装いでしかなくて。メッキでしかなくて。すぐにはがれてしまう皮でしかない。
「計算違いなのはあんたらよ! 私は西園寺より可愛いのに、なぜ、小鳥遊くんは私に見とれないの! 男はみんなちょろいのに! バカで愚直なのに! なんでそんな一心に思い続けられるのかわかんない! なんであんたらはそんなに思い続けられるのよ……!」
と、三橋は泣き出した。
こいつ、本当は羨ましかったのか? 俺らが。一心に思い、思われる。それが羨ましくて奪いたくなった……? いや、違う。本当は……。
おかしい。なんで俺は迷っているんだ? こいつは悪者のはずなのに。なんで、情をかけているんだろう。わからない。
最初は多分、私がヒロインだからと思って、ほしいものを手に入れようとした。だけれど、噂話では俺らの仲を切り裂くことはできず、うわべだけの関係ではない。そう気づいて、本音を隠し、今まで通りに演じてきたのではないだろうか。
お互いがお互い好きなんだと。そう実感させられたのではないだろうか。
「……どっちが本音なの? 三橋さん」
空はそう聞いた。
その質問をされると、黙ってしまう。そして、観念したのか知らないが、重々しく口を開いた。
「最初は……小鳥遊くんと付き合いたかっただけ。イケメンはすべて私のものにしたかったから。でも、あんたという彼女がいるって知って、奪いたくなって悪口を流した。でも、あんたらは別れなくて、それが羨ましくなったのよ。だけれど、私のちっぽけなプライドがそれを許さなかった。やるなら最後までやろうと思った。それだけよ。さっきまでの醜い言動は、私の自尊心そのものよ」
そう、包み隠すことはしなかった。
最初は奪おう。そう思っていたのに、どんどん気持ちが変わっていった。俺らが羨ましくなって、奪うことから引き裂くことにしたのに。それでも、別れることはなかった。そのことが不満だった。
都合のいいことばかり述べている。
羨ましかったからといって今までの行動は許されたものじゃない。俺は、まだ怒っている。それは変わらない。
「悪かったわね。さあ、殴るなりしていいわよ。私はあんたにそれほどのことをしたんだから今更文句は言わないわ。ほら、やりなさい」
と、手を後ろに持っていった。
抵抗する気はないという意思表示だと思う。
だけれど、空は殴ることはしなかった。
「……ほら、殴りなさいよ。それがけじめでしょ」
「……うーん、私って暴力って苦手なんだよね」
「そう。じゃあ、小鳥遊くんでもいいわよ。ほら、やりなさい」
「俺も女を殴ることはしない主義だ」
空も殴らないのに俺が殴るわけないだろ。
「そう。なら、私はどうやってけじめをつければいいのよ」
「けじめ以前にお前はするべきことしてないだろうが」
「するべきこと?」
わからないのか首をかしげている。
「することはあれだろ。子供でも分かるぞ。悪いことしたら何するんだ?」
「……謝罪、ね。小鳥遊くんも紛らわしく言わないでよ」
「紛らわしくないと思うけどな」
俺は冗談交じりにそう言った。
三橋は、空のほうを向く。
「ごめんなさい。私が悪かったわ。許してとは言わないわ。ただ、私が謝ったってことだけは覚えておいてほしい」
意外にも素直に謝れるものだ。
なんか、俺の描いていたラストとは違うんだが。終わり良ければ総て良しとはこのことだろうか。
違うな。うん。
優しい世界だなあ




