少年の成長
「違うわよ。そんな走り方しないで。バタバタ音がなってガチョウが歩いてるみたいだわ」
「達人は走っても髪の毛が床に触れたよりも音がしないっていうのよ」
「膝と足首全体をバネにしてすべての音を吸収するの」
「ふつうに歩いているときにも発動できるようにしなさい」
ミレイの「小剣講義」が本格的に始まっていた。
予想通りというべきか、小剣を使った攻撃手段などではなく、「いかにして立ち回るか」という一点に、講義の重点が置かれていた。
「いい?『小剣』の最大の短所にして最大の長所は『刃渡りが短い』ことよ。前にも説明したとおり、『携帯性の高さ』がまず上げられる。長距離の行軍においても体力の消耗を押さえられるし、断崖絶壁を上ったり、川を泳いだりという場合にも重宝される」
「つまり斥候向きである、と?」
「優れた斥候ならば武器すら携帯しない場合があるわ。耳と目を使うことを最優先にして、あとは逃げるのに全力集中」
「なるほど……ならば急襲部隊が小剣を使う?」
「そのとおり。夜陰に乗じて城壁を上り、敵兵を殺し、武器を奪う。そんな任務で小剣を使うのは理に適っているわ。武器を奪えばあとはそっちを使えばいいんだし」
「軍に入るつもりはないんですけど、参考になりました」
「あら? アンタ冒険者志望だったの?」
講義C棟は片づけられ——というかヒカルが強引に断捨離を実行し——今や小さな黒板ひとつに机と椅子が3脚ずつあった。
「まあ、そうですね」
「冒険者だったら長剣や長槍を使ったほうがいい——と言いたいところだけど、小剣も有利に働くことがある」
「狭いダンジョン通路などで振り回せる、ということですか?」
「……アンタ、わかってんなら講義を聞く必要ないじゃない?」
「いえ。自分が考えた内容が正しいのかどうか第三者に確認してもらうことは有用です。それに僕は頭でっかちですからね。実際の動きは直接教えて欲しいと思っていますよ」
「ふーん」
そんなやりとりもあって、ヒカルは講義C棟の前、裏庭で立ち回りの訓練をしていた。
足さばき、小剣の抜き方、重心の移動、立ち回り上の心得。
ミレイはなかなかどうして、自身の知識や経験を体系立てて説明する力があり、ヒカルはそれを吸収していった。
「ま——今日はこんなところでしょ」
「は、はい……ありがとうございました……」
みっちり2時間も動くと、ヒカルは動けなくなる。大の字になって地面に寝転んでいた。
汗が噴き出すように流れ、目に染みる。袖で目元を拭った。
スカラーザードが北方に位置する国とはいえ、夏がやってきた。陽射しはきつい。
「はぁ……一体全体どうして、アンタは小剣なんてやるのかね?」
日陰に折りたたみ椅子を出して、そこに座っているミレイが言う。
足を組んでいるものだからスカートの中が見えてしまうのだが、相変わらず色気は感じられない。
(見えそうで見えないのがエロイ、というのはほんとうなんだな……)
汗だくのヒカルはぼんやりとそんなことを考えていた。
今日の下着の色は黄色のようだ。
「僕が……隠密向きの戦闘スタイルだからですかね」
「はあ? アンタに隠密なんて向いてないわよ。大体、身体の動きは素人もいいところじゃない」
ソウルボードで「筋力量」と「瞬発力」を上げているものの、実際の身体の動きが素人じみているのはヒカルもよく理解していた。
それだけにこの講義は役に立つ。
まったくの素人のヒカルがソウルボード「隠密」の力で、達人にも気づかれずに立ち回れるのだ。
リアルな隠密の動きを覚えれば覚えるほど「隠密」にも磨きがかかるのは間違いない。
「教官は誰かに師事したんですか」
「まあね。アタシの生まれたジャラザックは、男が近接、女がサポート、そんなふうにはっきり役割が分かれていたから」
「え? ジャラザックだったんですか?」
「そうだけど。なにが意外なのよ」
「毛むくじゃらじゃない……」
「あれは男だけよ」
そうなのか。
「魔法も、斥候も、遠距離も、女の役目。まあジャラザックの男どもは脳みそまで筋肉だから、敵陣に突っ込んで得物を振り回すことしかできないのよね」
「へぇ……そんな文化が」
言いながらヒカルは、歴史学者にして古代ポエルンシニア王朝の血統者であるガフラスティ——彼とともにいたアグレイア=ヴァン=ホーテンスのことを思い出していた。
「直感」6という驚異的な数字を持っていた。
「教官。アグレイア=ヴァン=ホーテンスという人物のことはご存じですか?」
「ああ——筆頭大臣の従姉妹だっけ? 変わってる人だって聞いたけど。確か邪神信仰に由来する魔法を使うとか?」
「あの人も腕が立つんですか?」
「それは知らないわ。アタシが師事してたのは回復魔法を使える人で、呪魂魔法は大嫌いだったから」
回復魔法の使い手はアンチ邪神だ。
「もしかしてアンタ、アグレイア=ヴァン=ホーテンスのツテで筆頭大臣と知り合ったの?」
「…………」
「だからにっこり笑わないでよ! 地面に寝転がってるくせに!」
「この時代に隠密タイプは珍しいんですか?」
「珍しい……そうね、小剣をメインとする使い手は少ないわ。さっき言ったとおり夜襲戦で使えるからたしなんでいる、という人間は多いでしょうけど」
「なるほど。あくまでもメインの武器が使えないときのサポートとして、というわけですね」
ヒカルはうなずきながら考える。
(僕の場合は小剣の持つ「立ち回り」が必要なんだよな。今のところ「小剣」を上げるつもりはないし……というかすでに「投擲」がMAXだし)
えー、ごほん、とミレイが咳払いした。
「それで? ヒカルくん……今日の講義はおしまいよね?」
「はい、わかってます」
のそのそとヒカルは立ち上がる。
講義を進めるにあたってヒカルはミレイと約束したことがあった。
ひとつは、ミレイが酒浸りにならないこと。
これは守られている。ヒカルが環境をむりくり改善したというのもあるが。
しかし一方で、酒を飲めないミレイのフラストレーションがどんどん溜まってしまう。
なので、
「じゃあ、着替えてくるので、いつものランチの店で」
ヒカルの目の届く範囲で酒を飲ませることにしたのだ。
「はーい!」
語尾にハートでもつきそうな声色でミレイが手を挙げた。
家に戻って風呂で汗を流し、着替えたヒカルは繁華街へとやってきた。そこから奥にある、ミレイを見つけた隠れ家的酒場にやってきた。
ちなみに店の名前は「酒万歳」という。なかなかストレートな名前だ。
ここは昼も1種類のメニュー限定で営業しており、混みすぎもせず、ガラガラでもなく、というちょうどいい混み具合だった。
「こんにちは」
「おっ、ヒカル。来たな」
「ヒカル、早く早く!」
カウンターの向こうで店長がうなずき、すでにカウンターに座ったミレイがはしゃいでいる。
すると他の客たちがざわついた。
「おい、アレが……」
「マジだ。あの泥酔姫を手なずけたっていう」
「あんなに楽しそうなシラフのミレイちゃんなんて初めて見た」
ヒカルはため息をつきたくなる。
(教官が喜んで待ってたのは僕じゃなくてアルコールなんだよね)
ヒカルはそのままカウンターを通り過ぎてその向こう側、店長と同じ側へとやってくる。それをニコニコとミレイが見送る。
「マスター、今日のランチメニューは?」
「ああ。シーフードのパスタだが……その『マスター』って呼び方はどうもこそばゆいな」
「いいじゃないですか、『店長』より小粋な感じで」
「こんな小汚ねぇ店だから『店長』でいいんだよ」
「小さくとも夜はぎっしり満員で、食べ物も美味ければ備えている酒の種類も豊富。なかなかお目にかかれるレベルのお店じゃないですよ。ま、僕だって全世界回ったわけではありませんけどね……っと。これがいいな」
ヒカルは冷蔵庫——魔導具によって冷やされている冷蔵庫から、封の切られた白ワインの瓶を取り出した。キャップを取って香りを確認する。爽やかな香りは、単体で飲めば飲み足りなさをちょっと感じそうだ。アルコールも弱めである。
「マスター、これは辛口ですか?」
「ああ。キレッキレの辛口だ。俺の口には合うんだがな、いやがる客も多い」
「あとカシスリキュールが欲しいんですがあります?」
「カシスリキュール?」
「黒スグリを蒸留酒やワインに漬けて、そこに砂糖を加えたものです」
「あぁ……黒スグリじゃないが、似たものでブラックプランツベリーというのがあってな。それに氷砂糖と蒸留酒をつけたものがある」
小皿に出してもらい、ぺろりと舐めてみる。
カァッとアルコールが舌の上で熱くなるが、
「ふむ……甘さとアルコールが結構きつめ。でも、味わい的にはちょうどいいかな」
ヒカルがカウンターで準備をしているのを相変わらずニコニコとして見つめているミレイ。
店長——マスターは横でミレイとヒカルのぶんのパスタを作り始める。
またも客席がざわつく。
「おいおい、あのガキ、店長のとこでなにやってんだ?」
「知らねぇのか。店長が昼時だけ雇ったバーテンだぞ」
「ここの店長、自分でなんでもやらなきゃ気が済まないタチだろ」
「夜のメニューで最近流行ってる『バクダン』ってのはあのヒカルってガキが考案したって話だ」
「マジかよ……」
そうこうしているうちにヒカルがカクテルを作り終わる。
同時に、マスターが木皿にパスタを載せた。
「白ワインにカシス——今日は代用でブラックプランツベリーのリキュールを加えた、キールです」
「シーフードパスタ、お待ち」
「うわぁあぁ〜〜〜〜い!」
小学生みたいな歓声を上げてミレイが銀製のタンブラーをつかむ。
パスタを受け取ってもらえず、マスターが眉根を寄せながら腕を伸ばしてカウンターに置いた。
「ほんとはワイングラスがよかったんですけど」
「おいおい、ヒカル。ガラス製のものなんていくらすると思ってんだ。ここじゃあ酔っ払いに割られるのがオチだ」
「それもそうですね」
ヒカルがカウンターのスツールに戻ると、ちょうどミレイがぐいっと飲んだところだった。
「んん〜〜〜冷たくて美味しい! 口の中に果実の香りと甘さがいっぱいに広がるわ!」
「マスター、今日のパスタも絶品ですね」
「おう、そりゃどーも」
美味い料理を提供する人物には敬意を抱くヒカルである。
実際、このパスタはとても美味しかった。ポーンドにあった、クマのような店長がいる「パスタマジック」もよかったが、あそこは素材の良さをそのまま出してくる店で、価格も高かった。
ここは違う。マスターの工夫を随所に感じる。塩気が多いのは肉体労働者が多いからだろう。ニンニクをがつんと利かせているにもかかわらず、魚介類の味が消えることもない、ギリギリのせめぎ合いになっている。
それで価格は50ギラン。安すぎるが、もちろん赤字になっているわけでもない。
「おかわり!」
「……教官、わかってますね? 3杯だけですよ?」
「わかってるわよ〜……おかわり!」
「はいはい……」
ヒカルはパスタも途中に、スツールを下りようとするが、
「待て、ヒカル。これならすぐに俺でもできる。やらせてくれ」
「お願いします」
マスターは慣れた手つきでワインとリキュールを合わせる。
ヒカルはマスターと取引し、カクテルメニューを教える代わりに、ランチでアルコールを無料で提供してもらっていた。
エールは昼も夜も出るし、きつめの蒸留酒も売れるが、他のリキュールやワインがなかなか売れずに死蔵させていたマスターはこの取引を喜んだ。
相変わらずキツめのカクテルしか売れないが、それでも少しずつ、女性が飲んでも美味しいカクテルが売れ始めている。客層にも女性が増え、「酒万歳」は華やぎ始めていた。
この世界にもカクテルの概念はあったが、1種類の酒を果実のジュースで割るといった程度だ。
だからこそ、酒と酒を組み合わせる発想は新しかったようだ。
「ぷはーっ。おいしい!」
「教官……パスタも食べてください。パスタと合わせるためにキールにしたんですから」
「ヒカル。これはキールというのか?」
「ええ。キールという名前の方が作ったカクテル、ショートドリンクですね。白ワインをスパークリングワインにしたものをキール・ロワイアルといいます」
「んー。パスタも美味しいわ。労働したあとには最高ね!」
「……労働、ね」
座って口出ししていただけではないか、と思ったが、ヒカルはなにも言わなかった。
「おい、店長! こっちにもそのキール、くれよ!」
「俺たちも人数分!」
「へいへい……1杯、いくらにするかな?」
ちょっと悩んで、マスターは、
「ま、30ギランってところか」
「安っ」
ヒカルが思わず言ってしまう。
「ははは。儲けすぎる商売は長く続かねぇんだよ。ヒカルも覚えておきな」
「…………」
商売っ気のないマスターの好感度はヒカルの中でうなぎ登りである。とはいえ商売っ気があれば、ツケまくって一向に支払いをしないミレイの相手なんてできないだろうが。
そんなふうに食事を楽しんでいたときだ。
「おお、ほんとうにここにいるとはな!」
店の扉が開いて、大剣教官ミハイル=ジャラザックが姿を現した。
オッサンたちには「バクダン」(30ギラン)が大人気。





