龍腎華の葉
翌朝早くから街を出た。
ヒカルはラヴィアとともに街にほど近い入口から山道へと入る。
今日1日かけて山を登るつもりだった。
夕方までには下山し、明日にはスカラーザードに帰る。明後日か明明後日からは学院に通えることだろう。
緑の少ない山で、半ば枯れたような低木が生えていた。
時折、くぼんだ場所に緑がある。高山植物かもしれない。希少な薬草ではないか一応確認している。
ヒカルは「魔力探知」を常に展開していた。魔力を感知すると、探知を切って肉眼で確認する。肉眼で見なければわからないものもある。これもひとつの訓練だった。
モンスター——というより動物はごく稀に現れる。鹿やネズミの類だ。
「ふぅ——さすがにちょっと疲れてきた」
「はぁ、はぁっ、はぁ……ほんとに。でも、わたしなんだか体力がついたように思うの」
開けた場所に切り株が置かれているだけだが、そこは休息所だった。
並んで腰を下ろす。
ラヴィアが言っている「体力」とはヒカルが「古代神民の地下街」で逃げる際に振ったソウルボード「スタミナ」1のせいだろう。
「ダンジョンで鍛えられたのかしら?」
「実は君にスタミナの能力を増やした」
ラヴィアは目をパチパチして。
「すごいわ……そんなこともできるのね」
と——なぜだかうっとりしたように言われた。
ヒカルとしてはソウルボードの能力であり、ヒカル自身が優れているのとはまた違うと思っている。
しかしラヴィアは違う。
この世界にはもともと「職業」というものがあり、それは本人の能力と不可分だ。ヒカルのソウルボードは、ヒカル自身の評価に直結しているのだ。
「ヒカル、見て。昨日の街がよく見えるわ」
振り返ると、眼下には小さな街が広がっている。
街道沿いの小さな街。
登山道があるものの、寂れている。
この世界では登山というレジャーは存在しない。みんな必要に迫られて山を登るのだ。
山菜を採る者、山の向こうに用がある者、動物を狩る者、それに——。
「! ラヴィア、伏せて!!」
ヒカルの「直感」が働いた。
ラヴィアの手を握って身を伏せる。「集団遮断」を発動する。
青い空の向こうに、ぽつり、と小さな黒い点。
それはしばらく黒い点だった。
だけれど——。
「あれは……鳥、ではないのかしら?」
「下等翼竜だ」
れっきとしたモンスターだ。
特に竜種は人間を捕食対象と考えており、見つけ次第討伐することが推奨されていた。
(ラッキーだな)
レッサーワイバーンの目撃情報があるとすぐに冒険者ギルドに「討伐依頼」が行く。だからヒカルはこの山で竜種に出会えるとは思っていなかった。
ワイバーンはこちらへと飛んでくる。
地面に伏せているヒカルたちには気づいていない。外套ですっぽり身体は隠れている。
突っ立っていても「集団遮断」があればおそらく見つかることはなかったが、念には念を入れたのだ。
モンスターに、人間の「直感」を超えるなにかがあったとしてもおかしくはない。
ワイバーンはヒカルたちからもほど近い稜線を超えた先へ降下していった。
「……ヒカル? 顔に『あそこへ行こう』って書いてあるけど?」
「そう見える?」
「ええ。不思議ね。今回は鉱山に分布している魔力鉱石、魔力化石の採取が目的だったはずだもの。ヒカルは魔力を視ることができて有利だから、って」
「まあ……そうだね」
立ち上がり、腰に手を当てたラヴィアはにっこりと笑う。
「『龍腎華の葉』を取りに行くのね?」
「……正解」
レッサーワイバーンを始め、竜種は「龍腎華」と呼ばれる花の香りを好む。特に巣の近くには種を運んでわざわざ植える者もいるらしい——高位の竜種限定ではあるが。
そのため竜種を見つけて行動パターンを確認すれば「龍腎華」の場所はすぐにわかるということになる。もちろん、竜種に見つかるという危険性と隣り合わせなのだが。
「よくわかったね」
「他にも近場でいい採取依頼はいっぱいあったのに、『龍腎華の葉』を採った実績があるこの山をわざわざ選んだんだもの。最初からそうかなとは思っていたわ」
「……ご慧眼、恐れ入る」
「でもどうして? 急に学院長を救う気になったの? あんなに失礼な学院長は助ける必要がないと思うけれど」
「ん……まあ、それはそうなんだけど」
理由があった。
あの緑髪のリーグと話してヒカルは知った。この連合国が7つの小国の微妙なバランスの上に成り立っていることを。
学院長の出身であるツブラはとりわけ小さく、学院長が失脚することは非常にマズイことを。
「龍腎華の葉」を渡すことでそれが大きく改善されるはずがない。だけれどリーグはそれを必要としていたし、もし彼に覚悟があるのなら、彼に賭けてもいいのかなとヒカルは思っている。
この国のバランスを整えるために。
そう、ラヴィアにも説明した。
「ヒカル……自分の得にもならないことを、どうして?」
「僕はこの世界にずっといることになる。君と過ごすこの世界を、少しでもいいものにしておきたいんだ。だから、割と自分勝手な理由だよ」
「ヒカル」
ラヴィアがヒカルの手を取って握りしめる。
「わたしも手伝うわ」
「ありがとう。……まあ、街に帰ってみてみないとわからないけどね。アイツがちゃんとコトビの先生に弟子入りしたかどうか確認してから」
「彼が、本気でこの国を変えようとしているか、覚悟を見るのね」
「そのとおり」
ヒカルは不思議なくらい前向きな気持ちで、この世界に向き合うつもりだった。
ラヴィアにすべてを話したからだ。そして彼女が受け入れてくれたから。
彼女のためになるならなんでもしてあげたいし、この世界の平穏を壊しかねない要素は排除することもいとわない。
「さて、それじゃレッサーワイバーンを追いかけてみようか」
ヒカルはラヴィアとともに丘を超えていく。
すると——斜面を下ったずいぶん先に、こんもりと緑の茂っている場所があった。
そこにレッサーワイバーンが身を横たえている。
「……眠っている?」
「そうみたい」
「ラヴィア、そこの岩の陰で待っていてくれるか?」
「まさかひとりで行く気?」
「ひとりのほうが楽だ。ラヴィアも隠れながら『隠密』は常時展開で。ただ、もしも僕が合図をしたら最大火力の魔法をぶっ放してくれ」
「……わかった」
ラヴィアを岩の陰に送り出すと、ヒカルはひとりで斜面を下りていく。
小石が多く、滑りそうになる。ころころと足下から石が転がっていく。
石がレッサーワイバーンに当たると問題なので、角度を調整しながら歩を進めた。
ふと振り返る。
岩陰からラヴィアがこちらを見ている——はずだ。だけれどヒカルからは見えない。「隠密」が発動しているからだ。じーっと目を凝らすと、そこにいるのがわかる。さっきからラヴィアはそこにいたのに、勝手に頭が風景の一部とみなしていたように感じられた。
(こんなふうに見えるのか。心強いな)
じっと見つめるとわかってしまうあたり、所詮は1レベル相当だろうか。
ともかく、ヒカルはレッサーワイバーンへと向かう。
近づくにつれてその大きさがわかる。
胴体はスクールバスのような大きさだ。
それに巨大な翼が生えている。
(これで下等ね……)
ふつうのワイバーン、あるいはドラゴンといったモンスターはさらに大きいのだろうか。
それに、「古代神民の地下街」で見たあの龍——「龍」と「竜」ははっきり区別されているようで、巨大な蛇のようなうねっているものが「龍」と呼ばれているようだ。
トカゲに羽根が生えているようなものは「竜」だ。
「——ズゥゥ……グウウウウ…………」
どうやらほんとうに寝ているらしい。
生臭いニオイが漂ってくる。
レッサーワイバーンの口元が赤く濡れている。なにかを食べたらしい。
その胴体の下には——龍腎華が生えている。
血のように赤い花。花弁が反り返ったり跳ねたりしている、変わった花。
葉は地面に沿うように広がって生えている。
(このまま行けば楽勝だな)
ヒカルはレッサーワイバーンへと近づいていく——。
ヒカル、フラグを立てる。