北方の学術都市
名称を「国立学術研究院」に変えます。学務、じゃあ、学術事務ですよね……。
「え……と、あ、あの、これって思っていたよりずっと派手というかっ……」
「よくお似合いですよ?」
「で、でもわたし、今までこういうお洋服は着たことがっ……」
「これからすぐ慣れます。お待ちの恋人もきっと喜びますよ」
「ひ、ヒカルは恋人とかっ、そ、そういうのでは——」
「では、こちらへどうぞ」
「ああああっ」
なんだか騒がしいな、というか声がまる聞こえなんだが——と思いながらヒカルは待っていた。
フォレスザードでも指折りの洋装店。
試着室の扉が開かれると店員が出てきて、それから、
「あ、あぅ……」
顔を真っ赤にしたラヴィアが現れた。
「————」
ヒカルは思わず言葉を失った。
10日前に仕立てを依頼した洋服。10日、というのはヒカルとしてはかなり待ったほうではあったが、仕立てとなれば一月二月待つのは当たり前のこの世界。特急料金をだいぶ積み上げて仕立ててもらった。
布に選んだのはオビアスシルクという素材で、モンスター素材を利用した上等な「絹」と言えばいいだろうか。
染めたときの発色が美しく、また汚れがつきにくいために「一流の女性冒険者が好んで着る」という評判を聞いて即選んだ。
そのオビアスシルクをふんだんに使用したワンピースが、今回仕立ててもらったものだ。
ラヴィアの瞳の色と同じ、神秘をたたえる湖のようなブルー。そこにベージュや青系統の糸で刺繍がなされている。
見事な青だった。
帽子を取った彼女の髪は、よく見るとまだらな銀色だ。亜麻色に染色していたのを無理に戻したのでわずかに色が残ってしまっている。時間が経てば元の色になじむだろう。
髪の長さも短く切っていたから、相当短い。女の子らしさが出てくる長さになるのも、これまた時間が解決してくれるだろう。
襟元には、フォレスティア連合国で流行っているという柄——規則性のないチェック柄——のスカーフが巻かれていた。縁にボンボンをいくつもぶら下げるのも今の流行らしい。
正直に言うと、
(めっちゃ可愛い……)
ヒカルは見とれていた。
初めて会ったときには現実味を感じないような美少女だと思った。それは、彼女の瞳に生気があまり感じられなかったこと、それにずっと引きこもっていたために肌が真っ白だったことにもよる。
だけれど今は、外を出歩くことも増えて、肌は健康的な色になっていた。
髪の短さもあいまって「美しい」から、ずっと親しみやすい「可愛い」になっていた。
「ど、どう……ですか?」
なぜか丁寧語になるラヴィアと、
「あ、あ、えっと……あの、大変可愛らしいと思います」
なぜか丁寧語になるヒカルだった。
輝かんばかりの笑顔のラヴィアとともに店を出た。
ポーンドの防具職人ドドロノが作った外套も届いた。
隠蔽竜の革を使ったという外套は、薄茶色で驚異的な軽さだった。包みに入っていたので冒険者ギルドの受付嬢は「綿でも頼んだんですか?」と聞いてきたほどだ。
もう、フォレスザードでやるべきことは済んだ。
ヒカルはラヴィアとともにスカラーザードへ向かう馬車を借り上げた。お金はあるので、他の乗客がいない、いわゆる「貸し切り」である。
「〜♪」
上等な内装、上等なクッション。
それがなくともラヴィアはこのところずっと上機嫌だった。
4人で座れる席があるのに、ヒカルの隣に座っている。
(帽子も、男装もしなくていいんだもんな。だから上機嫌なのか? 自由だもんなあ)
服があまりに上等なので目立つというのもあったけれど、彼女のその容姿だけでも十分目立っていた。
フォレスザードを歩くととにかく注目を浴びるし、男からも声をかけられた。横にヒカルがいるにもかかわらず。
いい加減断るのも面倒になったヒカルは「集団遮断」で切り抜けた。
(スカラーザードでどうするかも考えないとな……)
国立学術研究院に入学すれば、ふたりで分かれて行動することも増えるだろう。ヒカルは「隠密」に関することを学ぶつもりだし、その間、ラヴィアを付き合わせることは考えていない。彼女は彼女の好きなものを学んだらいいと思っている。
(ま……そのとき考えようかな)
馬車は、北へと向かう——。
フォレスザードから馬車で2日の距離に、スカラーザードはある。
山の裾野に広がった街だ。いちばん高いところに国立学術研究院がある。
これから夏が本格化しようとしているのに日陰に入ると肌寒いくらいだった。ヒカルは、一度行ったことのある北海道を思い出した。気候的によく似ている。湿気がなくて涼しいところとか、街の外はだだっ広い草原が広がっているところとか。
首都フォレスザードとポーンソニアの首都ギィ=ポーンソニアを比べると、圧倒的にギィ=ポーンソニアのほうが規模が大きい。
だが衛星都市スカラーザードは、衛星都市ポーンドと比べるとずっと大きな街だった。
人口で4万人程度いるらしい。
学術都市の価値だけではなかった。北方のキリハルやルダンシャといった、連合国を構成する小国に抜ける交易の要衝でもあるのだ。
ちなみにフォレスザードは連合国でも南端にある。これは、連合国の北側は山岳地帯や針葉樹林帯が広がっていて、肥沃かつ人の住みやすい場所は南側にしかなかったせいである。
「次の者——」
馬車がスカラーザードに到着すると、街に入るにあたって警備兵がギルドカードをチェックしていた。
ヒカルが見せると、小さくうなずいて、犯罪履歴をチェックする例の「石板」に触れるよう言われた。もちろん問題はなかった。
一方でラヴィアがギルドカードを——ランクGのギルドカードをドヤ顔で見せつけると、彼女は素通りだった。
「えっ? ……ああ、僕はポーンソニアのギルドカードだからか」
自国の冒険者のチェックは割と緩いようだ。
「うふふ。わたし、自分のギルドカードで街に入ったのよ」
そんなことすらラヴィアはうれしいようだった。
それもそうだろう。フォレスザードまではヒカルの「集団遮断」で手っ取り早く移動していた。
冒険者ギルドでカードを発行したのはつい数日前なのだ。
「行こうか」
「はいっ」
ふたり、学術都市スカラーザードへ足を踏み入れる——。
街の中心、というより、「核」である国立学術研究院——通称「学院」と言うらしい——は、街の北端に位置している。
これは元々スカラーザードという街があり、その後に学院を設立したからだ。
なので、地理的な「中心」にあるのはスカラーザードの役所であり、冒険者ギルドや商人ギルドといった公的機関だった。
その周囲に飲食店や商店・工房がぐるりと囲んでおり、さらに外側に住宅地という構成だ。
北と南の門のそばに生鮮食品の市場があって、運搬業者としては街の中まで行かずに仕事が終えられるのが好評のようだ。
「この国って、貴族がいないんだよな」
「そうみたいね。とても珍しいわ」
「やっぱりそうなの?」
「ええ。ポーンソニアやクインブランド、他の国々にも貴族はいるもの。フォレスティアの場合、7つの小国は独自の文化を持っていたし、他の国のモノマネみたいでイヤだったのかもね。100年ほど前に連合国を成立させたときに『貴族』は作らないと、『建国憲章』にも明記したみたい」
「独自の文化ねえ」
「むしろ『氏族』とか『一家』とか、そういったまとまりがあると、本で読んだことがある」
「ふーん」
それは「貴族」となにが違うのかという気がしないでもない。
そして案の定、と言うべきか、それぞれ小国内では「氏族」やら「一家」やらが幅を利かせているのだとか。
(女王陛下や筆頭大臣殿も苦労するわけだ)
ほんの少しだけヒカルは同情した。
「あっ、あれかしら。学院って——」
公的機関である建築物には必ず尖塔があるのがスカラーザードの特長だった。
屋根には臙脂色の瓦らしきものが鱗のようにくっついている。
壁面は石で構成し、石と石の間を白色の漆喰で埋めている。
暗い茶色の木材——ウォールナットやローズウッドのような——で、柱を構成しているのも大きな特徴だった。
学院は水を張った濠が巡らせてあり、東西南北、南東の5箇所に橋が架けられてあった。
警備はさほど厳重ではなかったが、外壁もあり、籠城戦くらいならできそうな構成である。
敷地内にたっぷりと木々が植えられてあるので外からは公園のようにも見えるのだが。
ここでもギルドカードを身分証として提示し、来訪の目的を聞かれ、さらにヒカルは石板にまたタッチさせられた。
橋を渡って出入りする人種はまちまちだった。女王と同じスピリットエルフもいれば、毛むくじゃらの大男もいる。年齢もバラバラだが、老人はいない。
そして——年齢の低い者、ヒカルと同じか、20歳あたりまでの者はみな同じジャケットを着ていた。
年少者用の「制服」なんだとか。
紺色のジャケットで、胸元に学院を象徴するペンをくわえた獅子の刺繍がされてある。
「……このワンピースには合わなそう……」
ラヴィアがしょんぼりした顔で言うので、ヒカルは思わず笑ってしまった。
「なんで笑うのっ」
「ごめんごめん……ワンピースを気に入ってくれてうれしくてさ。そしたら新しい服をまた仕立てよう。しばらくこの街にいるつもりだし」
「ほんと?」
目を輝かせて聞いてくる。
こんな顔をされたら何着だって買ってやりたくなる。
「もちろんだよ」
次回から学園編です。ごめんなさい、どうしてもやりたかった……!