間話:動乱の立役者
およそ1月ほど前の夜、執務室でいつものようにマルケドとゾフィーラが密談していたときだった。
「国防の予算が総額で減っているのはおかしくない? あなたの進めた『各部最適化プロジェクト』が成功しているのはわかるんだけど、かといって予算を減らす必要はないでしょ。今はポーンソニアが危ないんだから」
「予算ね……増やしたかったのだけど、人がいないのよ……」
「どういうこと?」
「フォレスティア連合国は幸せな時代が長すぎたってこと。みんな、ポーンソニアとクインブランドの小競り合いを他人事だと思ってる。だから、兵士の募集をかけても人が集まらない」
「人員不足で予算未達ということ?」
「国防予算の51%が人件費と糧食費だからね。予算をつけても消化すべき人員が足りない」
「自由応募から一時的な徴兵制に変えるべきかしら……どう思う?」
「——最後の手段にしておきたいけど、検討は進めるべきね」
「わかったわ。検討部会を発足させて。会長は余が、執行役でゾフィーラ、あなたがやって」
「はいはい。また仕事が増えた、喜ばしい限りね」
「そう言わないで。いくらでも補佐役を増やしてもいい——」
「お前がゾフィーラ=ヴァン=ホーテンスか?」
「——って言ってるじゃない……え?」
マルケドとゾフィーラは声の聞こえてきた方向へ、顔を向ける。
立っていたのは、フード付きの黒の外套を纏い、太陽神のお面をかぶった少年——おそらく少年だった。
「どこから入り込んだ!?」
弾かれたようにゾフィーラが立ち上がり、マルケドをかばうように立つ。
この部屋に入るにあたって武器を持つことはできない。ゆえにゾフィーラは丸腰だ。だが、身体を張ってでも、この、スピリットエルフの国王を守らねばならない。
「——ああ、大声は上げるなよ。ここに入り込んだ以上、誰かが駈けつける前に2人とも殺すくらい余裕でできるんだからな」
ゾフィーラが兵士を呼ぼうとしたのを先回りして、少年が言った。彼は外套の中から腕を出した。そこには短刀が握られていた。
「な、なにが目的だ……」
ゾフィーラは死を覚悟した。ここまで入り込まれている以上、少なくない人間が死んでいてもおかしくない。
最優先は国王を逃がすことだ。彼女とともに作り上げてきた連合国の未来。2人とも死んでしまえば、そのすべてが無駄になる。
「質問する前に、こっちの質問には答えないんだな」
わずかにうんざりしたようにお面の少年は言うと、ゾフィーラを押しのけてマルケドが前に出る。
「ここは余の執務室だ。勝手は許さん。答えよ——誰の手の者か。ルダンシャか。それとも……ポーンソニアか」
ゾフィーラは驚いた。この少年が暗殺者で、ルダンシャから来たというのなら納得できる。ルダンシャはフォレスティアを構成する7つの小国のうちのひとつ。マルケドの出身であるキリハルとは犬猿の仲だ。
だが、ポーンソニアとは。
しかも少年は「ポーンソニア」という言葉に反応した。ひょっとしたら図星かもしれない。
「……あのな、おれは人から頼まれただけだ。ゾフィーラ=ヴァン=ホーテンスに伝言を」
「伝言? 余の執務室に忍び込んでおいて伝言とは笑えるな。ゾフィーラに話があるのなら正式に通知すればよい」
「はあ……アンタ、バカじゃないのか?」
「なっ」
真正面から「バカ」などという言葉をぶつけられることなど早々ない——ゾフィーラは別として——マルケドはサッと顔を紅潮させる。
「余を愚弄するか!」
「だからデカイ声出すなって言ってる。あのなあ、ここ、国王の執務室なんだろ? それなのに天井裏にはのぞき穴があって、会話をしっかり記録されてたぞ」
「……は?」
「天井裏の護衛ってわけじゃないんだろうな。見たところ、戦闘の素人っぽかったし。気絶させてあるからちゃんと回収しておけ」
ゾフィーラとマルケドは天井を見上げる。
そこに何者かが潜んでいる? そんなこと気づかなかった。
いや——アグレイアがいたら気づいたはずだ。しかし彼女はガフラスティについている。この5年は会っていない。
日常的に天井裏に侵入できるということは、内部犯であることは間違いない。
ゾフィーラは背筋が冷たくなる。重要な会話は扉越しに聞かれる可能性もあるので小声で話していたが、どこまで聞かれていたか——。
「で、正式に通知だっけ? そこの多忙な大臣様は他国からやってきた年端もいかない男に会ってくれるのか? 会えたところで監視も盗聴もされているような場所なら話すのはごめんだ」
「…………」
少年の言っていることが事実なのかは天井裏に行かねば判断できない。事実だった場合、こちらとしてはぐうの音も出ない。
「で、本題だけど」
2人の動揺を無視して少年は上等なハンカチをテーブルに投げた。
「ガフラスティ=ヌィ=バルブスから伝言だ。『望んでいた品物は得た。現王朝にも暁の日が訪れる』」
ゾフィーラとマルケドはハッとして視線を交わす。
伝言の真意は明白だ。彼は、古代ポエルンシニア王朝の系譜か、それに準じるなにかを手に入れたのだ。そしてこれから、現王朝に王家の正統性がないと主張するのだろう。
であれば先ほどマルケドが「ポーンソニア」と口にして少年が反応したのもわかる。彼はガフラスティのところから来たのだ。
「……なぜバルブス卿はいつもの方法で連絡してこない?」
「ああ。時間がない、とか、急ぐ、とか言っていたな。アンタと同じ——青灰色の髪をした女も同じことを心配していた」
アグレイアだ。
この少年はアグレイアを知っている。
「まあ、アンタたちが信じるも信じないも構わない。ただ、おれは頼まれた仕事をこなしただけだ」
「ちょっと待て。最初の質問に答えてもらっていないぞ。どうやってここに入った? 私も、陛下も、誰かが入ってきたことに気づかなかった」
「…………」
仮面の奥で、薄く笑ったような気配があった。
その得体の知れなさに、ゾフィーラはわずかに震えた。
「こんな警備なんてザルだ。——それよりこちらからも1つ聞きたい。伝言の駄賃代わりに答えてくれるか?」
「……なんだ」
この少年は相当の実力者なのだ。今は敵対していないが、連合国などどうでもいい、という感情がにじみ出ている。
信用できない。
だが敵対するのは得策ではない。
彼の言葉が真実なら、いつでも国王を暗殺してやると言っているようなものだからだ。
「『暁の日』とはどういう意味だ」
「……なんだって?」
予想外の質問に、ゾフィーラは思わず聞き返してしまった。
「ポエルンシニア王朝が滅びたことに関する詩にある言葉だとは知っている。だけど『暁の日』という言葉の意味そのものがわからない。そのままの意味で考えれば『暁』とは『夜明け』だが、夜明けに滅びたのなら『の日』という言葉はつけないだろう?」
「それは……そうだが」
じっ、と少年がこちらを見据えてくる。
だがゾフィーラには特に答えがない。この少年もまたガフラスティと同じく古代ポエルンシニア王朝についてそれなりに詳しいのだろうが、なぜそんな「言葉」に興味を示すのかもよくわからない。
「……私はバルブス卿から聞いたことしか知らないが」
「それでいい、話せ」
ゾフィーラは内心で首をかしげる。
ガフラスティに言われてここに来たのなら、ガフラスティから話を聞いていないのだろうか?
「古代ポエルンシニア王朝には今の時代にないほどの超文明があったことは?」
「知っている」
「それら技術を開発した中心人物が——『夜明けの魔術師』と呼ばれる者だった。この人物は謎に包まれているのだが、彼……あるいは彼女を慕う者たちは、彼の命日にあることをやる風習が残っている。命日の夜明けに、自分にとって最も大切なものを祭壇に捧げるとか……」
「ずいぶん細かい情報が残っているんだな」
「その風習をいまだやっている地方があるんだ。私はそれくらいしか知らない」
少年は興味を惹かれたようだった。
「どこだ。その、風習をやってる地域」
言いたくない気持ちがあったが、マルケドが小さくうなずくのでゾフィーラは口にした。
「……スカラーザード。我らが連合国の誇る『国立学術研究院』のある学術都市だ」
「ほう」
案の定、興味津々という声が聞こえた。
が、少年は「んん」と小さく咳払いをすると、
「以上だ。聞きたいことはもうない」
「あっ、お前の名は——」
ゾフィーラは呼びかけようとしたが、彼は執務室のドアを開けるとそのまま外へと出ていった。
あわてて彼を追って外へと出る。
「ゾフィーラ様、どうなさいましたか!?」
その剣幕に驚いたのか警備に立っていた兵士ふたりがすぐに飛んでくる。
ゾフィーラは視線を巡らせる——が、そこにはいつも通りの廊下があるだけだった。
「今、黒い外套を着た少年が通ったろう!」
「……? いえ、見ておりませんが……」
「なんだって——」
呆然とするゾフィーラの横に、マルケドがやってくる。
兵士たちがあわてて敬礼する。
「まるで悪夢でも見ていたような気分だな」
「はい……お身体は無事ですか」
「ああ。魔法をかけられた形跡もない」
マジックアイテムであるブレスレットを確認するマルケド。
彼女は言った。
「いずれにせよ、アグレイアからも正式に情報が来るだろう。今もたらされた情報が真実だとして動けるところは動いておくべきだ。——が」
マルケドは兵士に向かった。
「余の執務室の天井裏にくせ者がいる! すぐさま捕らえよ!!」
天井裏に潜んでいた者——しっかり気絶していた——は捕縛され、その他にも4箇所、同じように監視されている場所があり、ご丁寧にすべての場所で監視者は気絶させられていた。
その後、手の者を潜ませていた軍部の大物が検挙され、連合国内は多少風通しがよくなった。





