急行の荷馬車
トリーランドの商人ギルドを出たヒカルは急ぎ足でニーノを探した。
商人ギルドから得た情報は2つ。
1つは、右大臣の失脚とその原因がゼペッタという伯爵による告発であること。
1つは、守旧派の牙城だった皇城会議に新興派の貴族も参加するようになったこと。
「ね、ねえ、ヒカルっ! ちょっと、急ぎすぎ!」
この2つの情報を聞いただけでは、ラヴィアとポーラも「よくわからない」というのが正直なところだった。
「なにをそんなに急いでるの!?」
「——予想以上に事態の展開が早い」
「早い?」
「おそらく皇帝の暗殺を——いや、暗殺未遂を狙ったヤツは、新興派貴族だ」
「ど、どうしてそんなことが……」
「説明は後でするから。今はニーノを——いた」
ニーノは恰幅のいい商人となにやら商談しているところだった。ふたりとも笑顔なので、顔見知りなのか、あるいはいい取引ができたのかのどちらかだろう。
「ニーノ!」
「ん? ああ、ヒカルさんかい。どうしたんだ、トリーランドの観光でもしててくれって言ったのに」
「おいおいニーノさんよ、こんな田舎に見るところもねえだろうて」
「確かに」
あっはっはっは、と商人ふたりで笑っているが、ヒカルはニーノの腕をつかんだ。
「それどころじゃないんだ。皇都に戻りたい」
「え、ええ?」
「コウナツの仕入れは終わったのか」
「あ、う、うん。ちょうどこちらさんとその話が終わったところだよ」
恰幅のいい商人はニカッと笑って見せる。
「ウチのコウナツはいいぞお。ぴっかぴかだ。今日帰るなら、早速積むかい?」
「あ、え、えーっと」
「積んで」
「ちょっとヒカルさん!? 今出たら、山のそばで夜になっちゃうよ! それじゃあ山賊に襲ってくれと言ってるようなもんじゃないか!」
「山賊は大丈夫だから、すぐに積んで。すぐに出発しよう」
「ちょ、ちょちょっと〜〜」
ヒカルは強引に押し通し、その日のうちにトリーランドを急ぎ出発することとなった。
* *
その室内は荒れに荒れていた。家具が倒れ、額縁は曲がり、カーテンは葡萄酒のシミがついて、酒瓶や皿が転がっていた。
そのどれもが高級品だったが、部屋の主はそんなことをものともせずに酒瓶を蹴っ飛ばすとテーブルに当てて割った。
「畜生が! あの守銭奴どもめ……絶対に許さんぞ!!」
右大臣は荒れ狂っていた。それは、彼が一夜にして失脚したからに他ならない。
「ま、まぁまぁ、抑えてくだされ、右大臣閣下」
「左様。我らがすぐに閣下を元の地位にお戻ししますゆえ」
彼の取り巻きである貴族たちが集まり、右大臣の機嫌を直そうとしている。
「しかし宰相閣下も器の小さい方ですな。右大臣閣下ほどの男ぶりとあれば女性のほうが放っておかないというのに」
「そうそう」
右大臣が失脚するきっかけとなった、ロン辺境伯夫人との不貞は、いわば上流社会においては公然の秘密のようなものだった。知らぬは辺境伯本人だけ——というような状態だ。
これを表に出せば右大臣も、辺境伯夫人も立場が悪くなるのは当然なのだが、皇城内で右大臣に強く言える貴族などいるはずもなかった。彼は良くも悪くも守旧派の重鎮であり、皇国を支えるひとつの柱であったからだ。
「なぜ今になってゼペッタ伯は——おっと、あんな小物を伯爵扱いするのも苛立たしい。ゼペッタは告発などしたのでしょうな」
「やはり皇帝陛下の暗殺未遂と関係があるのでしょうな」
「然り。だが、証拠がなければなにもできぬ……」
バリン、と音が鳴った。右大臣が落ちている皿を踏みつけたのだ。
「……証拠がなければ作ってやればよい」
「と、おっしゃいますと——ヒッ!?」
振り向き、にらみつけられた貴族のひとりは情けない声を上げた。しかしそれも仕方ないというものだろう。右大臣の目にはおどろおどろしいまでの恨みの念が込められてあったからだ。
「目には目をだ。これほどの恥辱を味わわさせられたのだ。万倍にして返してやらねば気が済まん!」
右大臣が、吠えた。
それは負け犬の遠吠えではなく、貴族同士の宣戦布告を意味する号砲だった。
* *
トリーランドを出た馬車は一路、皇都を目指していた。
どうしてこんなことになったのかと首をひねっているニーノだったが、
「早く戻って、『満腹亭』の主人にコウナツを届けるんだろ」
という言葉と、
「ランクS冒険者のルナムートが街道沿いの山賊を退治したという情報を手に入れた」
という言葉によって最後は納得してくれた。ルナムートが実際にうまいこと山賊に化けた兵士たちを引き渡せたかどうかは謎だが、討伐済みであることは事実なので問題ないだろう。
「それで、ヒカル。事情を話してくれるんでしょう?」
ろくすっぽトリーランドを見て回ることもできなかったラヴィアが、恨めしそうに聞いてくる。
「もちろん。とりあえず早急に皇都に戻る必要があると僕は思っている。これから、大きな動きがあるかもしれない」
「大きな動き……」
「貴族たちの衝突だよ」
「!」
ヒカルは、貴族同士の暗闘など勝手にやれというスタンスではあるのだが、今回のバトルはカグライの暗殺未遂に始まっている。だから、皇城内だけのものでは済まないだろうという予感があった。
貴族のせいで一般市民まで消耗するのならばそれはいただけないし、そうなるとわかっていて止めなかったら、自分の寝覚めが悪くなることもわかりきっていた。
だから、できる範囲でなんとかしようと思ったのだ。
「まずルナムートに遭遇したことは話したよね? それで彼女は、皇帝が暗殺されかけたと言った」
ヒカルたちは荷馬車の横を歩いている。荷台にはコウナツが山と積んであるので乗る場所がないのだ。
爽やかな柑橘類の香りが漂っている。
「あれは、『暗殺未遂』を狙ったものなんだ」
「……どういう意味?」
「なぜなら皇帝を狙った暗殺者なんてのはあの寝室にはいなかったから」
「…………」
ラヴィアはポーラと視線を交わし、首をかしげた。
「いいかい。僕の『魔力探知』に引っかからないような『隠密』能力の持ち主はこの大陸に存在しない。これは賭けてもいい。僕はあの部屋でカグライに会ったとき、当然『魔力探知』を走らせたけれど、あの部屋には誰もいなかったし、魔術的な仕掛けはなかった」
「うん、それで?」
「あの後、カグライはすぐに寝たのだと思う。かなり遅い時間だったし。その後、彼を見たのは——彼が血を流しているところだった。となると真っ先に疑われるのが僕らだ」
「だからルナムートさんが追ってきた」
「そう。他の誰かが接触する隙がないのなら、カグライが襲撃されるまで、彼は誰とも会っていなかったことになる。僕らが去ったときの部屋のままなんだ。——そしてそれこそが、暗殺者がいない証明になる」
ラヴィアが目を瞬かせた。まだ、ピンとこないらしい。
「つまり、考えられる可能性は2つしかない。1つはカグライ本人による自殺未遂」
「え!? 自殺!?」
大きな声と物騒なワードに驚いて、ニーノがこちらを振り向いた。
あわててラヴィアが、下手くそな作り笑いでとりつくろう。
「……ラヴィア、声が大きい。一応、この国の機密に関わる話をしているんだから」
「ご、ごめんなさい。でもあんまりびっくりして」
「そうですよ、ヒカル様。もったいぶらないで先を教えてくださいっ! 犯人が最後の最後までわからない推理小説を読まされているような気持ちです!」
ポーラにも責められ「ごめんごめん」とヒカルは謝った。
実のところ、この世界にも推理小説は存在する。だが魔法があるこの世界では密室トリックなどのトリックが主体となる本格推理はあまり意味がなくて、「誰が」殺したのかという犯人当てが主流だ。主流、と言うほどの数もないのだが。
「カグライに、自殺する動機がないのでこれはナシということになる。死ぬ前に僕らに会っておこうなんて思われるような仲でもないしな」
「それじゃあ、もう1つの可能性?」
「そう」
ヒカルはうなずいた。
「もう1つの可能性は——」





