暗殺犯の調査
朝から皇城内は大騒ぎだった。皇国の頂点にして深い敬意を集める皇帝が暗殺されかけたのだ——皇帝カグライは即座に施された回復魔法によって一命を取り留めていた。しかしながら血を流しすぎたこと、それに刃に塗られた毒のせいで昏睡状態となっている。
皇国を動かす最上位の組織である「皇城会議」は、主催である皇帝不在のままサカキミヤ宰相によって開催された。
「——以上が、現場の状況となっている」
朝から駈けつけてきた大臣たちは、青ざめた顔で宰相の説明を聞いていた。数名欠席があるのは、職務のために皇都を離れている者たちだが、彼らの元にも急使が飛んでいる。
「ぐぐぐぐぬぬぬぬ……皇国の至宝たる皇帝陛下のお命を狙うなど……!! 許せん!!」
内政を所管する右大臣はコワモテの大男だった。子どもの顔ほどもある握りこぶしを振り上げてテーブルに叩きつけると、分厚い天板のテーブルがドシンと揺れる。
宰相の右側に座るのが右大臣ならば、左側にいるのは左大臣だ。
左大臣は別名「軍務卿」であり、皇国軍の頂点にいる。だがその物々しい肩書きとは裏腹に、左大臣はひょろりとしたもやしのような男だった。
「ま、まあまあ、抑えてください。今の我らにできるのは陛下の快癒を祈ることでしょう……」
「バカな! そのような弱腰でなんとする! それでも軍務卿か!」
「待て。荒れるなという左大臣の指摘は正しい」
宰相がいなすように言うと、右大臣はぐぬぬと引き下がり、左大臣はほっとしたように胸に手を当てた。
視線を巡らすと、参加者のほとんどが怒りに顔を赤くしている。
ここにいるメンバーはいわゆる「守旧派」であり建国の当時から皇国に仕えている貴族が多い。宰相を始め、全員がヒト種族なのだが、マンノームに仕えることに対してなんの違和感も持っていなかった。
その会議室へ近衛兵団長が現れた。ちょんとはねたカイゼルひげの、初老の男だ。
「宰相閣下、大臣の皆様、詳しい調べが行われましたので報告に参りました」
「うむ。続けてくれ」
「はっ」
近衛兵団長はお付きの近衛兵に凶器となったダガーを持ってこさせた。ダガー、とは言いつつも刃渡りが30センチほどある凶悪なものだ。血に濡れて赤黒い刀身を晒している。
室内がざわついた。
「これが凶器となった武器です。犯人は皇帝陛下の寝室に侵入し、陛下の首元にこれを刺そうとしたようです。ですがその一撃はなんらかの理由で失敗し——おそらくは陛下が暗殺に気づいてかわされたのではないかと推測しますが、その後、陛下はベルを鳴らし、近衛兵が寝室に踏み込んだために犯人は逃亡したと思われます」
それを聞いた大臣たちは、「なんという卑劣な」だの「犯人を取り逃がしたのか」だの口々に言う。
宰相はひとり、近衛兵へと近寄り、手渡された手袋越しにダガーをつかみあげた。
「……む。これは、前方にだいぶ重心が寄っているようだな」
「はっ。珍しい型のダガーだと言えます。特別な理由でこのようになっているのではなく、単に刀身が長いために、柄よりも前方が重くなっているだけかもしれません。現在はこの手の型を扱っている鍛冶屋を調査に当たらせています」
「ふむ……」
宰相がダガーを返し、考え込んでいると、
「近衛兵団長、言っていることが少々おかしくはないかね!」
右大臣が吠えるように言った。
「……と、おっしゃいますと?」
「陛下がベルを鳴らし、廊下にいた近衛兵が踏み込んだのだろう! であれば室内に暗殺者がいたはずではないか!」
「はい、常識的に考えるとそのとおりです。ですが、陛下以外には誰もいなかったというのが近衛兵たちの証言です」
「窓から逃げたのか」
「いえ、窓のカギは掛かっていたということです」
「では見間違いや見落としではないのか!?」
「それもなさそうだと考えております。これが1名や2名ならば、暗い室内で見間違いもありましょう。しかし犯行が行われた時刻はちょうど、見張りの交代時間でした。4名の近衛兵が室内に踏み込んだのです。まさか4名で見落とすこともありますまい」
「それでは犯人はどこに行ったのだ!」
しん、と静まり返る室内。
近衛兵団長は難しい顔で、こう言った。
「……近衛兵4人がいても、姿をくらますことができる……隠密の達人、という線を考えております。その人物は、昨晩、陛下の元を秘密裏に『客人』として訪れていたようです」
「なんだと!? 宰相閣下、あなたはそのことをご存じか!?」
問われ、宰相はうなずかざるを得なかった。
「陛下が直接目に掛ける、それほどの隠密の達人ならば……我が兵団の強者が4人いても、姿をくらますことができるかもしれません」
近衛兵団長は厳しい視線を宰相に向けつつ続ける。
「その達人は、『白銀の貌』と呼ばれているそうです」
大荒れに荒れた会議を切り上げた宰相は、急ぎ足で皇城内の執務室に戻った。
やたらと広いが、所狭しと資料や書状が積まれているこの部屋には紙のニオイが充満していた。秘書たちが宰相の帰りを待っており、彼を応接テーブルへと案内する。
「いかがでしたか、皇城会議は」
「非常によろしくない。これでヤツらは『犯人はシルバーフェイス』だと言って動き出しそうだ。シルバーフェイスの動向はつかめたか?」
「それが、昨晩から足取りが途絶えていまして……」
「くっ。彼の行動も怪しいのでは弁護の余地がないな。まさかほんとうにシルバーフェイスが皇帝陛下を……? いや、彼にはことを起こす理由がない」
「宰相閣下、お客様がお待ちです」
積まれた冊子や書物の山を押しのけて、なんとかセットされている応接テーブルにはひとりの女性がお茶を飲んでいた。その服装は貴族が闊歩する皇城にはふさわしくない平民のそれだった。しかし彼女自身は、自分の格好をまったく気にした様子もなく、泰然自若そのものだった。
「お待たせして申し訳ないルナムート殿」
「——……いえ」
独特の間があってから、客人、ルナムートは答えた。憂いを帯びた瞳は向かいに座る宰相には向けられず、どこを見ているのかよくわからない。
「事情は秘書たちから聞かれましたな?」
こくり、とうなずくルナムート。
「我らはシルバーフェイスを探しています。このようなことをランクSのあなたに頼むのは心苦しいのだが……」
「——……いえ、問題ないです。彼には一度会っていますし……」
「そう言えばシルバーフェイスは冒険者ギルドに顔を出したのだったな」
「——……ですが彼は、皇帝陛下を殺そうとした犯人ではありません」
その、断言にも近い言い方に、宰相はハッとした。
「確証がおありか?」
だけれどルナムートは首を横に振った。
「——……そんな気がするだけです」
「そうか……。しかしルナムート殿の勘は当たるからな。せめて陛下からお話が聞ければ調べも進むのだが……こればかりは祈って待つしかない。ルナムート殿、それではシルバーフェイスの捜索をよろしく頼みます」
こくり、とうなずいてルナムートは立ち上がった。
そして足音ひとつ立てず、まるで初めからそこに誰もいなかったかのように去っていった。
「……宰相閣下、いくらルナムート様がランクSの冒険者だとしても、さすがにシルバーフェイス様を探すのは難しいのでは? あまりに手がかりがなさすぎます」
彼女が立ち去ったのを確認し、秘書が言った。
「それならば騎士や兵士でも同じことよ。誰が探してもシルバーフェイスを探すことは難しいに違いない。ルナムート殿に不可能であれば、この世界の誰にもできないことではないか?」
「確かに」
「問題は、シルバーフェイスではない。犯人が誰かということだ。暗殺者が、一撃で相手を仕留め損ねたまま逃げ出すなんてこと、あるわけないだろう。自分が逃げるよりも相手の絶命確認を第一にするはずだ」
「そう言われるとそうですね……しかし近衛兵が踏み入った際にはもういなかったのでしょう?」
「うむ。そうなると……考えたくはないが」
宰相は足早に自分のデスクへと戻ると誰にも聞こえないようつぶやく。
「……陛下の自作自演という線だ。しかしそれならば目的がわからぬ……」