皇帝の暗殺
その日の夜、食事は別室だったがその後にカグライに私室へと呼ばれた。そこは以前ヒカルが忍び込んだ部屋と同じだった。
「よく来たの」
魔導ランプに照らされたカグライは少々お疲れの様子だった。
ヒカルには想像することしかできないが、彼の双肩には数百万という皇国民の生活がかかっており、そのために日夜働いているのだ。その苦労はどれほどだろうか。
代わりに贅沢ができるとしても、代わりに名声が得られるのだとしても——引き替えに差し出さなければいけないものはあまりにも大きい。
(やっぱり僕は冒険者でいいや)
と思うヒカルである。
「——飲むかや?」
「いや、結構」
カグライは高価そうな酒瓶を差し出したけれど丁重に断った。彼もさほど飲みたいわけではなさそうで、結局はお茶となった。
お茶を淹れ終えた侍女が部屋を出て行くと、おもむろに皇帝は口を開いた。
「シルバーフェイス、もう一度頼みたい。我が里に来ぬか」
「それは断ったはずだ」
「なぜである? 我がマンノームの里になどなかなか行けぬものぞ。さらには希少な本も多くある」
ぴくりとラヴィアが動いたが、それだけだった。実のところ彼女は先ほどヒカルから、「本に釣られないでね」と言われている。
「簡単なことだよ。おれたちは面倒ごとが嫌いなんだ。こうしてここまで足を運んだのだって面倒ごとに巻き込まれないことが大前提だ」
「我が里に面倒ごとは……まあ、ないとは言えぬが」
あるのかよ、と思わず言いたくなるヒカルである。
「……変化の少ない里での。そなたのような人間が来ることでなにか変化があるのではないかと思ったのである」
カグライの視線は、なにかヒカルを探るようなものに変わっていた。
「買いかぶりすぎだ」
「そうかや? 彗星のように現れ、ポーンソニアとアインビストの戦争に介入し、ビオス宗主国の内乱の立役者でもあり、さらには新大陸との交流を可能にした。そなたのことを知る者は少ないが、もし吟遊詩人の耳にでも入れば彼らは喜んでそなたを『英雄』として歌うであろう」
「止めてくれよ……」
「なぜそうまでして表舞台に出ることを嫌がる?『面倒ごと』を避けるためか?」
「わかってるなら、聞かないでくれ」
「ふうむ……冒険者は名声を好むものであるが」
ぴくり、とヒカルの「直感」が反応した。
「おれが、いつ冒険者だと言った?」
これはカマかけだ。ヒカルは自分の素性についてはバレるようなことはしてこなかったし、手がかりになるようなものも残してこなかった。
実際にカグライから「褒美」としてもらった白金貨については足がつかないように、盗賊ギルドを通じて換金している。カグライはシルバーフェイスの正体を知りたそうだったからなおさらだ。
「……以前、そなたが余とともにヴィレオセアンに向かったとき、冒険者ギルドで常にない通信が行われた」
「!!」
ハッ、とする。
あのときヒカルは、「城門に銀の仮面が掲出されている」という情報で「カグライからの呼び出しだな」と気がついてここまでやってきた。
ラヴィアとポーラはポーンドに置いてきたままだった。
カグライは翌日にはヴィレオセアンに向かうという急なスケジュールだったので、ヒカルはそれに付き合うことにしたが、なんとかしてラヴィアとポーラにもこのことを知らせる必要があった。
そのための手段が、魔道具「リンガの羽根ペン」による通信だ。
冒険者ギルド間ではこの魔道具によって情報ネットワークが結ばれており、クインブランド首都ギルドからポーンドのギルドまでラヴィアにメッセージを届けたのだ——「冒険者ヒカル」として。
(参ったな、そこを見られるとは……)
カグライとしては、シルバーフェイスには仲間がいて、その仲間に何らかの方法で連絡をするだろうと踏んでいたのだろう。その連絡手段から仲間が判明すれば、帰納的にシルバーフェイスの正体にたどりつく、と。
「怒ったか?」
そう聞いてくるカグライは、叱られるのを恐れた子どものようでもあったのでヒカルはおかしくなって噴き出した。
「いや、怒りはしないさ。感心したんだよ。国っていうのはすごいな」
ひとりの人間が考えるようなことも、国という組織になれば簡単にその裏をかいてくる。
当然だろう。彼らは組織で、各分野のスペシャリストがそこにいるのだから。
「シルバーフェイス、安心するがよい。冒険者ギルドが定期通信以外の通信を送ったことは判明しておるが、その内容、送り先までは判明しておらぬ。ギルドは独立自尊の存在であるからの。国が命令してその通信内容を公開させることもできぬ」
「いいのか、そんなことまで言って。『通信内容までわかっているぞ』とはったりを利かせれば、おれを揺さぶることもできただろう」
「そなたとは良好な関係を築いておきたい」
「…………」
わざわざ見せる必要のない交渉札をカグライは見せた。「良好な関係」を欲しているのは本心——なのだろうか?
「……わかった。それで? アンタはおれになにをさせたいんだ?」
「ない」
「ない?」
「皇国を楽しんでくれればよい。皇都の国立図書館にも行くがよい。あそこはよいぞ、広くて、蔵書数も大陸一である」
大陸一、という言葉にラヴィアが瞳を輝かせる。
(……ほんとに「良好な関係」を築ければいいと思ってるのか?)
為政者というものは表と裏を使い分ける。
そのうちなにか要求してくるかもしれないが、そのときはそのときだろう。
(いや、僕がちょっと疑り深くなっているだけなのかな)
ヒカルは内心で苦笑した。
皇帝の寝室は静まり返っていた。
仮面の来客は1時間ほどで帰り、日付が変わるほどの深夜ともなれば皇帝がひとりで眠っているだけとなる。
無論、廊下には護衛の近衛兵が2名体制で夜通し警備に当たっているのだが、彼らも交代の時間になると、
「お疲れ様。どうだ?」
「異常なし。例の仮面のお客も帰っていった」
「そうか。陛下のご様子は?」
「だいぶご機嫌がよろしかった。最近は貴族同士の対立で神経を磨り減らしていらっしゃったようだから……」
「そうだな。せめてお眠りの間くらいは、心が安まっておられるといいんだが——」
そんな雑談をしていたときだった。
リーン……リーン……。
廊下に置かれてあったサイドテーブルには、釣瓶のような形で鈴がぶら下がっていた。
その鈴が、か細く、小さな音で鳴った。
「!!」
「!?」
ちょうど交代の時間でもあったため、4人の近衛兵がぎょっとした顔でそちらを向いた。その鈴は、魔道具だ。対となるベルを揺らすと鈴が鳴る。
かつてヒカルがこちらの世界に来てすぐ、死の直前にモルグスタット伯爵が鳴らしたものと原理は同じだ。
もちろん、ベルを鳴らしたのは彼らの主人である皇帝。
4人は弾かれたようにカグライの寝室のドアを開けた。
「陛下!!」
彼らがそこで見たのは——広いベッドの上で、首から大量の血を流している皇帝カグライと、その横。枕に深々と突き刺さったダガーだった。





