襲撃、その後
王女クジャストリアの一人称ですが、ご指摘いただきまして、確かに「妾」はいろんな小説で目にすることもあるのですがあまりよい表現ではないので、「わたくし」に変更したいと思います。
ひらがなで「わらわ」も考えましたが、それだと子ども的な意味合いが強くなってしまいますので。
難しいですね。
ローランド——。
そう呼ばれ、びくりとしてヒカルは思わず足を止めかけた。
だが——なんとか動揺を隠し通した。
魔導ランプを持った警備兵たちが走り回る。
ヒカルは足早に、しかし特に身を隠すこともせず、通り過ぎていく。この程度で見破られないことは何度も確認済みだ。
(なぜ王女がローランドを知っている? ローランドの記憶には王女のことなんてないが……)
ヒカルからしても王女は「初対面」という認識だった。ソウルボードで名前を見ても顔が思い浮かぶこともなかった。
(わからない。でも、考えるだけ無意味だ。どうせもう会うこともない)
目的は達した。
これでイーストが死罪になることもないはずだ。正確には、なるかもしれないが、それでなったとしたらヒカルとしてもお手上げだ。牢獄から脱出する手助けはできるだろうが、どうもイーストはきまじめな性格のようだ。本人が脱獄を望むとも思わない。
(ま、王都滞在はぼちぼち切り上げだな)
* *
翌日の昼、王女はひとりの調査官を執務室に呼び出していた。ラヴィア逃走の調査を行っていたあの調査官である。
調査官は目に見えるほどにやつれていた。もともと知性を感じさせるやせ気味な表情が、今やげっそりしている。
「……どうしたのですか、その顔は」
「い、いえ、なんでもありません」
同室していた上位執務官がクジャストリアに言う。
「昨日は陛下の御前にて直接報告をしたと聞いております。その大役を果たしたと思えば次は姫様からのお呼び出し。これは神経が参るというものでしょう」
「むう……疲れているところ、申し訳ありませんね」
「そ、そんな!」
王女に謝られて逆に恐縮する調査官。
「して、昨日したという報告をもう一度わたくしにしてくれませんか?」
「はい」
気を取り直して調査官が報告をする。
その内容は当然、騎士団長ローレンスから聞いたものとさほど変わりない。
「調査官、報告を聞いた陛下はなんと仰せでしたか?」
「……『使えぬ男』とおっしゃいました」
苦しそうに調査官は答えた。
心の中で王女は彼に同情する。この短時間で持ち帰った情報量としてはそこそこよい成果だと思う。しかし国王が求めていたのは伯爵令嬢の行方に関する手がかりだ。その点についてはさっぱりという結果。
(……お父様はそれほどまでに伯爵令嬢を手に入れたかった……なぜでしょうか?)
ここまで露骨に動けば、単なる伯爵殺害事件ではなく、伯爵令嬢になんらかの秘密があるだろうことはクジャストリアにも想像できる。
(おそらくは戦争に関すること。……ですが、わたくしがこれ以上探るものでもないでしょう)
勘ぐりが過ぎて「余計なことをするな」と思われてもうまくない。
「調査官に聞きたいことがありますが」
「はい。なんでございましょう?」
「確か、ポーンドにはザラシャ子爵の忘れ形見がいたと思います。彼とは会いませんでしたか?」
「ザラシャ子爵……?」
調査官は考えるようにする——その横で、上位執務官が目を光らせた。クジャストリア王女が、これまで誰の話にも上がらなかった名前を口にしたのだ。もちろん上位執務官は、ザラシャ子爵がモルグスタット伯爵によって破滅させられたことは知っている。その後のことまではマークしていなかったが。
「申し訳ありません。そのような御方とは面識がありません」
「そうですか……わかりました。手間を取らせましたね。下がってください」
「はい」
調査官が下がると、上位執務官が興味深そうにたずねてくる。
「姫様、姫様はそのザラシャ子爵の忘れ形見とやらが気になるのですか?」
「ええ、少々……。それはそうと今日の御前会議はどうでしたか?」
御前会議は国王が執務に当たる朝10時に開始される会議だ。
国王と直接話せ、しかも要職に当たる人物がそこそこ参加するために、真面目な官吏や将軍はここに案件を持ってくる。
「荒れましたよ」
そうでしょうね、と王女は思った。
今日の議題は——騎士団長の敗北。それに決まっている。
「なにがあったのです?」
「話せば、ザラシャ子爵のことを聞かせてくださいますか?」
「ええ、わたくしにわかることでしたら」
「約束ですよ?」
上位執務官はそれなりに野心のある男だ。貴族に関する情報ならなんでも仕入れたいらしい。
彼はなにから話そうかな、と一瞬考えたようだ。
国王と第一王子も参加するためにクジャストリアは参加を控えていた会議だ。今日ほど参加したいと思ったことはない。
なにせローレンスが重傷を負わされたのだ。騎士団の施設内で。どんな反応をみんなするのだろう?
実はクジャストリアは、兵士たちには見つからないようひとりで王城に戻った。王女ともなれば抜け道をいくつも知っているし、他者からの視線を誤魔化す外套も羽織っていたからだ。
「それで、御前会議ですが、まず騎士団長がケガを負ってしばらく動けない、という報告からでした」
「まあ、騎士団長が?」
白々しく驚いてみせる。上位執務官はクジャストリアがまさかその現場にいたとはつゆほどにも思わない。
「なんと賊が侵入したようです。それを騎士団長がなんとかひとりで押さえたのだとか。騎士団所有の訓練場は破壊され、かなりの激戦でありました」
「……それで? 賊はどうなりました?」
「貴族街に潜んでいます。すぐに門を固めたのでそこを抜けたことはまずありません。今はその犯人探しで貴族街はざわついていることでしょうね」
違う、とクジャストリアは思った。あの少年——ローランド、と思わず呼びかけてしまった少年は、もう貴族街にはいないだろう。
あれほどたやすく王城のそばまで、騎士団宿舎まで、忍び込んだのだ。2日連続だ。それがのんびりと貴族街に留まっているわけはない。
彼のことを考えると胸がざわつく。
何者なのか。どうして自分を助けたのか。ローレンスは自分が潜んでいることすら気づかなかったというのに。
今思えば彼がローランドであるはずがない。顔立ちも、髪の色も、眼の色も違う。
ローランドは——自分のことなんて知らないだろうけれど。
「幸い騎士団長の負傷は回復魔法ですぐに治ったそうです。予定通り国王は騎士団長を前線へ送ると結論しました」
「えっ」
「どうしました?」
「……騎士団長は戦えるのですか?」
「ええ。回復魔法ですぐにふさがる程度の傷だったようですよ。もちろん、あの騎士団長に手傷を負わせたということすら驚きですがね」
傷は確かに、大きくはなかった。たった一太刀浴びただけなのだから。
しかしあの出血量だ。回復魔法では失った血を回復することができない。
(ローレンス……周囲の動揺を抑えるために過小報告したのですね)
もう治った、と強弁すれば、周囲は安心する。騎士団長ひとりが無理をして前線に行けばいいだけの話になる。
「ただ、賊がまだ貴族街に潜んでいる以上、数日は厳戒態勢が続くでしょう。くれぐれもクジャストリア様も王城からお出になりませんよう」
「わかっています。御前会議の話はそれだけですか? 荒れた、と言うには穏やかなようにも聞こえますが」
「荒れたのはそこからですよ。誰が放った刺客なのか、貴族たちが言い合いを始めましてね。やれ××伯爵は某国と付き合いがある、だの、やれ○○男爵は騎士団幹部に息子を入れ込みたい、だの、やれ私は国王陛下に絶対の忠誠を持っている、だの」
「…………」
なんという浅ましい場だろう。
他人を蹴落とし、国王に媚びを売る。
クジャストリアはめまいがする思いだった。これではあの少年を発見することは不可能だと思われた。
最初クジャストリアは、単なる「腕試し」という線で考えていた。だが彼の振る舞いを見るとちょっと違う気がしていた。
腕試しならば自分を——誰ともわからないはずの娘を助けたりしない。名前を売りたいのならまず名乗るだろう。金が目当てなら自分が身につけていた宝飾品を奪ったはずだ。
目的が、よくわからない。
「それより姫様、そろそろザラシャ子爵について教えてください」
「わたくしが知っていることは少しですよ?」
いずれあの少年とまた会えるのだろうか?
そんなことを頭の隅で思いながらクジャストリアはローランドのことを話した。子爵家取りつぶしのあと、地方に送られる予定となっていること。モルグスタット伯爵殺害時に、おそらく同じポーンドの街にいたこと。
それだけだった。上位執務官はたいした情報ではないと考え、失望したようだった。
「では仕事を再開しましょう」
そうしてふたりは書類の山を片づけ始めた。
* *
騎士団専用治療院の一室で、ローレンスは渋い顔をしていた。
ベッドからは下りてイスで腕組みしている。顔色は悪い。血が足りないせいか唇が荒れてところどころ切れていた。
「……団長」
ローレンスの向かいには3人の騎士隊長、そしてイーストを含む8人の騎士がいた。
ヒカルに骨を折られた面々ではあるが、彼らは全員回復魔法によってすでに治癒済みだった。
「私も負けた。賊の特性は、我々と相性が悪すぎる」
「し、しかしあのような攻撃は褒められたものではありません。こんなことで団長のお名前に傷がつくと思うと——」
「バカ者!!」
声に、全員がびくりとなる。
「負けは負けである。戦場で不意打ちを受けたとて、それを非難しているうちに殺されるぞ」
「はい……」
うなだれる騎士隊長たち。それほどまでに、彼らにとって騎士団長の「負け」宣言がこたえているのだ。
むしろローレンスのほうが気持ちは前向きだった。血を失いすぎて回復魔法使いも、医者も、「危篤」とまで判断したのだが、一晩寝れば起き上がって行動できるまでになっていた。腹が減って腹が減って、10人前の飯をたいらげたりもした。身体が血液を作っているのだ。
いや、身体が「生きよう」としているのだ。
あの少年に負けたままでは死んでも死にきれない、と。
そう言えば昨晩の訓練場には王女がいたはずだが、クジャストリアからは特に連絡がない。黙っておけ、ということだろう。
「我々は反省せねばならない。あの賊——いや、もはや賊とは言えまい。あの男は我々の認識をかいくぐる術に長けている。我々に必要なのはあの男を発見するための対策。それと……誰かわかるか? 他にもうひとつ必要なことがある」
すっ、と手を挙げたのはイーストだ。
「重武装を常日頃から使えるようにすることではありませんか?」
「うむ。ほぼ正解だ。板金鎧を即座に着込めるような形状にする改良、あるいは、手元で展開できる折りたたみ式の盾などの開発。あの男は姿を隠すこと——隠密に特化しているせいか、攻撃が軽い」
なるほど……と騎士隊長たちもうなずく。
「『常在戦場』という言葉を、あの男は私に思い出させてくれた」
立ち上がったローレンスは、わずかにふらつく。
手を貸そうとする騎士隊長を押しとどめる。
「私もまだまだ、修練が足りぬということよ。あの男と戦って負けた者は、あの脅威を他の者に報せるべき使命を負っている。——イーストよ」
「はっ」
「賊に負けた、その一事で、私はお前に死罪を申しつけるつもりであった。この浅慮を許せ」
「もったいないお言葉です」
歯を食いしばったイーストの声は震えていた。彼の両目から熱い涙がこぼれた。それは、負けた悔しさかもしれない。死を免れた安堵かもしれない。憧れの騎士団長を倒した人間がいることへの嫉妬かもしれない。その——すべてかもしれない。
ローレンスは、イーストの涙を見て、小さくうなずいた。
「みなも聞け。あの男が我らに再会したとき、あの男にきっと後悔させてやる。それほどまでに我らは成長せねばならん」
「はっ!!」
「ゆくぞ、戦場へ」
「はっ!!」
こうして騎士団長ローレンスは、不調の身体を押して、前線へと向かった。
* *
「うー……身体が痛い」
「大丈夫?」
「ひどい筋肉痛だと思えば、まあなんとか」
ヒカルはラヴィアとともに王都を歩いていた。
気をつけないとすぐに迷子になりそうなほどに広い。鍛冶職人は一箇所に集まり、服飾職人もまた一箇所に集まり、あちらこちらに専門店街があるのでそれを基準に歩くしかなかった。
身体が痛いのはローレンスとの一戦のせいだ。「瞬発力」2の全力は、ヒカルの身体では耐えきれないらしい。おそらく「筋力量」や「柔軟性」、「バランス」、「スタミナ」などを上げないとついていけないのだろう。
(その辺はポイント頼みじゃなくて、僕自身が身体を鍛えないとダメかもな)
筋肉ムキムキになる気はないが、鍛えておいて損もない。
ヒカルとしては、この痛みはあったが、自分のできる限界を昨晩試したことは大きな収穫だったと思っている。
死の危険はあったが——それを補ってあまりある経験ができた。
あれが、最高クラスの戦いなのだ。そして自分の「隠密」は彼らにも有効だった。
「はい、おまちどお、冒険者くん。サインはここかな?」
ヒカルは届け物完了のサインをもらうと、ラヴィアとともに冒険者ギルドへと引き上げた。
規定のクエスト数をこなしたので、冒険者ギルドで手続きを済ませる。
「おめでとう。これであなたもランクFね」
先日とは違う受付嬢が祝福してくれる。
【冒険者ギルドカード】
【名】ヒカル
【記録】ポーンソニア王国ポーンド冒険者ギルド
【ランク】F
【職業】---
「職業」欄は空白にしている。「シビリアン」にしておいてあれこれ言われるのも面倒だし、「隠密神」の名前を出すのももってのほかだ。
「ランクFからEに上がるには、素材納品だけでも行けるんだよな?」
「ええ、そうよ。とはいっても、Eになるまでは長いわよ〜。討伐難度の高いモンスターをまとめて倒せるくらいじゃないと、そうそう素材なんて集まらないんだから」
「そうか」
「ふふ、自信ありそうね。珍しい素材を卸すのなら是非わたしのところに来てね」
素材を卸す担当になるとなにかいいことでもあるのだろうか? ボーナスが出るとか?
この受付嬢が無駄口を叩けるほどにギルド内は閑散としている。戦争のために駆り出されているのだろう。
「あー……カードを見てのとおり、ポーンドの冒険者なんだ」
「変えたってなんのデメリットもないんだし、王都を拠点にしたらいいじゃない。近場にモンスターはいないけど、その分『護衛』の依頼はいっぱいあるわよ。Fなら多少は受けられるし、報酬もいいわ。なにより王都ならお金の使い道もたくさん」
「一応、義理があってね」
「そう……残念ね。それにしてもポーンドってなにがいいのかしら? あ、バカにしてるわけじゃないのよ」
「他にも僕のような冒険者が?」
「ん。王都所属のランクB冒険者たちもポーンドに向かったから」
「へえ……」
ランクBと聞いて興味がそそられた。
「ちなみにどんな人なのか、聞いても?」
「ええ。その人たちはなんと依頼達成率100%のパーティーなの。女4人で組んでてね」
受付嬢はパーティー名を教えてくれた。
「東方四星」、と言う。
「……ふうん」
彼女たちが、本来ラヴィアを護送するはずのパーティーだったとは、ヒカルもすぐに気がついた。