夜の夢の街
「おお、結構明るいなー」
外に出ると日はとっぷりと暮れていたが、通りは十分に明るかった。魔導ランプがなく街灯は篝火程度で、それすらも間隔が相当開いているのだが、外を歩く人たちは提灯を下げて歩いているしロウソクよりもずっと光量があった。
『これな、光蔓っていうヤツを燃やしてんのよ。あっちにはないんだよな?』
言葉はわからないがなんとなく言っていることはわかる。提灯の中を見てみるとミミズ程度の植物が煌々と光を放っていた。直視すると目がチカチカしたほどだ。
夜にまでやっている店はないが、家々の窓に雨戸は降りておらず、薄めのカーテン越しに家庭の明かりが表に漏れていた。
1万人というサイズの街――それは巨大な運命共同体だ。隠しごとをしない、疑われるようなことをしない、そういったことが文化として定着しているのだろう。家の鍵もかけていないようだ。
『お、見えてきたぜ』
「あそこの店はなんだ?」
『あれが目的地。いちばんデカイ飲み屋「ザギン」だよ』
「『ザギン』、って今言ったか? あれがそうなのか」
言葉は理解できなかったがなんとなくジンとヒカルの会話は成立していた。
「……ていうか絶対『ザギン』って名前も『銀座』から来てるんだよなあ……」
ヒカルのぼやきを理解できる人はせいぜいセリカくらいだろうが、彼女はもちろんここにはいない。
人通りがぐっと減っているし、馬車の類がまったく通らなくなっているので表にまでテーブルが出ており酒を飲む客がいた。
店は盛況のようで100メートルは離れているのにかなり騒がしい。
『よーす、やってるかー』
ジンが入っていくとわあっと人々から歓声が上がるが、
『おい、あれ――』
『ウソだろ。こんな店に来んのかよ』
『仮面かぶってる』
ヒカルたちが後に続いていくとその歓声は静まっていく。
『そんじゃそこの予約席に座ろうや」
ほぼ満席ではあったがフロアのど真ん中のテーブルがぽっかりと開いていた。
『ん、どうした?』
「あー、いや……」
「座りづらいわ」
「すごく注目されてます」
視線が突き刺さる。しかも静まり返っているのだ。
「おれたちとしては外でもいいんだが?」
ヒカルがくいくいと親指で外のテラス席を指したが、ジンは小さく笑って、
『すでにお前たちはこんだけ注目されてんだからさー、気にするなよ。今日、テラス席に行っても明日はどうする? 明後日は? こういうのは最初にどーんと飛び込んじゃうのが大事なんじゃねーか』
「なんか長々話してもらってるとこ悪いけど、まったく理解できないんだ。外に行くぞ。いいな?」
『おいおいおい! 俺のスピーチまったく通じてねーな!? 中でいいって! な、みんな、いっしょに飲めるよな!?』
必死でジンが言うと近くの席で飲んでいた者は『お、おう』とか『ちょっと席移るか』とかまったくノリが悪く逆効果だった。
『おい! なんだなんだこのしょっぺえ空気は! 葬式でもやってんのか!』
とそこへ奥から大声が聞こえた。
店の奥は厨房になっていてカウンター越しによく見えた。広々とした厨房には5人ほどのコックがいたがみんなこちらを興味深そうに見ていた。
その声の主だけはずかずかと歩いてくる。
「うわ、デカイな」
と思わず口走ってしまうほどに大きい。身長2メートルは優に超えているだろう。髪は縮れて背後になでつけられており、鼻の上に真横に傷跡があった。
袖から出ている両腕は毛むくじゃらであり、ヒカルは「クマ」を連想した。
(あ、「パスタマジック」の店長)
とポーンドを思い出してしまうくらいに雰囲気が似ている。懐かしさすら感じた。
『おい、ジン……こりゃなんの騒ぎだ』
『ああー、その、なんていうか、異文化交流というか。あ、店長! こっちの彼だよ、今日の獲物を仕留めてきたのは』
『あーん?』
クマ店長はヒカルをぎろりと見ると、
『おめぇ……あっちの大陸のヤツじゃねえか。おめぇが今日の獲物を仕留めただとぉ……?』
ずずいと上半身を折ってヒカルの顔に近づく。上背があるのでそんな動作だけでもすぐ目の前に哺乳類最強的凶悪ヅラが迫ってくる。
『やるじゃあねぇかよ!』
ニカッ、と笑った。
凶悪ヅラが笑っても凶悪なままではある。
『スピットディアーの新メニューを出したかったとこなんだ! がっはっはっは! どんな凶悪なヤローが大陸を渡ってきたのかと思ったらこーんなちみっこいヤツだとはなあ!』
「なんだなんだ……」
腰に手を当て呵々大笑しているクマ店長を見上げて、ヒカルが怪訝な顔をしていると、その肩をばちーんと叩かれた。骨がみしみし鳴った。
『よーし! 今日はスピットディアーを大盤振る舞いしてやろう。円貨3枚は取るってぇ料理だが今日は1枚で1皿出してやる!』
すると――、
『マジかよ!? 1枚で1皿とか破格もいいとこじゃん!』
『1枚なら酒1杯だけだもんな。皿は2枚からだ』
『店長、こっちに10皿!』
あちこちから歓声が上がり、陶器の器がぶつかり合い一気飲みが始まっている。
「いや……なんなの? 肩痛いんだけど」
「か、回復します!」
とポーラが回復魔法を始めたものだから初めて見る魔法に大騒ぎする客たち。クマ店長も興味深そうにそれを見ていたかと思うと、
『そんならこっちも面白い技術を見せてやらねぇとなあ! 待ってろ!』
と言ってのしのし奥へと向かう。入れ替わりにホットパンツを履いたウェイトレスらしき女性がやってきて、料理の皿をヒカルたちのテーブルに置いていく。
『あれ? まだ頼んでないよ、ウィーザちゃん』
『いーのいーの。ああなったら店長止まらないもん。アンタたちから料金なんて取れるわけないって』
ウィーザと呼ばれたウェイトレスはヒカルを見た。ホットパンツから伸びる両足はむっちりとしていて胸のインパクトも非常に大きい。瞳は眠そうながらも唇は蠱惑的に笑う。
銀の前髪は眉のあたりでぱっつんと切られており、光沢のある長髪は後ろに流れていた。
『その仮面の向こうにどんなお顔があるのか、おねーさん気になるなぁ〜?』
「?」
ヒカルがなにを言われているのかわからないでいると、ラヴィアがスッと前へ出た。
「危険。この女は敵ね」
「え、そうなの? ていうかラヴィア、今の言葉わかったの?」
「わからないけどわかった」
謎掛けみたいなことを言っている。
『ふふふ。ちゃーんとパートナーもいるんだ? おねーさんはそれでもいいけどねぇ〜』
そんなことを言いながらひらひらと手を振ってウィーザは去っていく。その腰がふりふりと揺れるのを横目で追ってしまう客の多いこと。
ホットパンツはこの店の制服なのか、給仕している女性はみんなそうだった。男は胸の開いたワイシャツに腰には前掛けである。前掛けの刺繍には漢字で「寿司」と書いてあったのでヒカルはめちゃくちゃ脱力した。
『待たせたなぁ!』
クマ店長の胴間声が響くと、客たちからまた歓声が上がった。
彼が肩に担いでいたのはスピットディアーである。細身の鹿ながらも後ろ足には十分な肉がついている。毛皮はなめらかで美しいが信じられないほど足が速いのでなかなか仕留められず出回らないようだ。ヒカルの「隠密」の敵ではないが。
それを、天井の梁にロープを通してぶら下げたのである。
「いやいや……まさかと思うけどここで解体ショー?」
まさかのまさかである。ヒカルの手のひらほどしかない刃渡りのナイフですすすとさばいていくのは確かに職人芸であり、そのショーを見ながら客も喜んでいるが、
「グロいよな?」
「結構重い……」
「村では動物をつぶしてましたから、私は平気ですね」
ヒカルやポーラは大丈夫だったが、ラヴィアはスピットディアーの内臓が出てきたところでギブアップし、そちらに背を向けて座った。
『見たかシルバー……シルバーフェイスだっけ? シルバーフェイス!』
クマ店長が声を上げたがヒカルはすでにジンとともに食事を楽しんでいた。ぬううとうなりながら両手を赤く血に染めた店長がやってきて、ラヴィアが小さく叫び声を上げた。
なんだかんだ言いながら、いや、割とむりくり環境に溶け込んでしまった。
(ジンが持ってきたこの硬貨は「円貨」と言うんだな。むしろこの1枚しか通貨がなく、この枚数で決まると……。大きい買い物はできないみたいだしな)
ある意味、小さいサイクルでの自給自足だから、物々交換であったり家や土地は国が与えるという社会主義的な側面があった。
通貨は、日常生活でのみ使われるのだろう。
(当面はこれだけあれば問題なさそうだな)
ジンがくれた硬貨は200枚ほどあり、食事が1皿2枚からということを思えば数日は余裕で暮らせる――だがヒカルは知らない。ジンが持ってきたのは「とりあえず手付」の報酬であり、実際のヒカルの報酬はこの10倍以上になるということを。
周囲の酒が進むにつれてコウも大胆になってテーブルにのってばくばく料理を食べていたがほとんど気づかれなかったようだ。
『え? なにこの子。めっちゃカワイイ!』
ウィーザだけが目ざとくコウを見つけ頭をなでていた。臭い、とコウがその後でひっそりと歯茎を見せていた。一応ウィーザの名誉のために言っておくと、彼女が臭いのではなく店全体が臭かったらしい。
週末のほうが忙しいってどういうことだよぉ!(パァン)(机をたたく音)





