王女と騎士団長
第6騎士隊長スコット=フィ=ランズは薄暗い寝室に入ってすぐ、なにかが空を切る音を聞いた。直後、手の甲に走る激痛。瞬時に、折れた、と直感した。
敵の姿を確認できない。即座に身を翻して廊下へ飛び出すが、右太ももに激痛が走った。こちらは折れていなかったがスコットが転げるのに十分な衝撃だった。
「何者!!」
転げた場所から両腕の力だけで壁の背後に隠れる。室内には襲撃者がいる。
(襲撃者——ここは4階だぞ?)
集合住宅の4階。同居人はおらずスコットのひとり暮らし。
そこそこ広い家ではあったが玄関ドアが開かれればさすがにわかるはずだ。となると窓から侵入したという可能性だが——壁はつるりとした石壁であり、登ってきたとでもいうのか?
(それにここには金目のものはない。いや、大体「貴族街」でこのような襲撃は聞いたことがない!)
王都の中でも第2居住区、第1居住区を抜けた先に貴族街はある。
高い壁を越えることは難しく、検問だってもっとも厳しい。
スコットの頭の中に「なぜ自分が?」「どうやってここに?」「なにを投げた?」様々な疑問が浮かび上がる。
「……『騎士』が、聞いて呆れる」
声がした。
その声にどきりとする——まさかなにかを言ってくるとは思わなかった。
いや。
この声は大人のものではない——?
「お前は何者だ……私が誰か知っているのか」
「騎士なんだろう?」
「騎士を攻撃するということの意味がわかっているのか」
「どうなるんだ? 騎士が束にかかってきたところで、おれを倒すことなんてできないぜ」
「……ずいぶんと自信家ではないか。その自信はどこからくる?」
スコットは視線をさまよわせる。隣室に、緊急事態を騎士団に知らせる魔導具があったはずだ——。
「自信……そうだな。こうして攻撃を加えても、おれに反撃してくるどころか逃げ回っている時点で、恐るるに足らずと思うが?」
「ほう。先ほどのは攻撃だったのか? 痛くもかゆくもなかったぞ」
そろりそろりと足を引きずりながら移動するスコット。
「ああ、致命傷にならないよう手加減はしたからな。——隣の部屋になにかあるのか?」
「!?」
壁に隠れたまま移動していたはずだ。それを言い当てられてスコットは息を呑む。
「仲間を呼ぶのか? 呼んだらいい。どのみち、おれはもう行く」
「なにっ!?」
その瞬間、スコットは痛みをこらえて寝室へと引き返す。
部屋をのぞきこむ——そこには窓枠の上に立った、姿があった。
月が照らしてなお光を吸ったような黒の外套。
その顔はしかし銀色——太陽神のお面をかぶっていた。
「待て、お前の目的は——」
スコットが言う前に、その少年は外へとひらり飛び下りた。
足を引きずってスコットが窓にたどり着いたときには、眼下には何者の姿もなかった。
部屋に残されていたのは、石ころが2つだけだった。
朝日が王城を照らす。
堅牢さと美しさの両方を兼ね備えた白の石材をふんだんに利用した巨大建築物は、朝には黄金色に染まり、日中は白く輝き、夕には茜色に燃える。
その最奥にある一室へと向かい、足早に進む姿があった。
ローレンス騎士団長である。
「これはこれは騎士団長……このような朝からどうされましたか」
年配の侍従長が一室の前で騎士団長を出迎える。彼の背後には金の装飾もきらびやかな扉がある。扉の向こうにいる人物を守るような立ち位置だった。
「国王陛下にお目通り願いたい」
「お約束はなかったと思いますが?」
「火急の用である」
「……申し訳ありませんが、お引き取り願えますかな」
「火急の用である」
「左様ですか。お引き取り願います」
「侍従長。私がここまで言っているのだ」
「はい、承りました。騎士団長のように『火急の用』だと言う人間がほんとうに多くて困ります。国王陛下は多忙な御方。こうして食事をできる時間は心を休める貴重な時間なのです」
言い終わらないうちに扉の向こうから若い女のはしゃぐような声が複数上がった。
「国王陛下が心を休めている」のだろう。
ちら、と侍従長も扉に視線をくれたが、それだけだった。いつものことらしい。
「頼む。ほんのすこしでいい。会わせてくれ」
「……騎士団長。いくら武に優れ、最強戦力の騎士団を束ねるあなた様とて、無礼は許されませんぞ」
「この国の危機なのだ」
「ええ、陛下のお心が乱れることもこの国の危機でございますな」
ホホッ、と気色悪い声で笑われ、騎士団長の眉間に皺が寄る。
「では、ここで待たせてもらおう」
「迷惑です」
侍従長が視線を投げると、国王の身辺を守護する兵隊3名が動こうとした。
彼らは騎士団とは無関係だ。軍隊ともまた違う「国王の私兵」のようなものである。
現在、王国には様々な武力があり、指揮系統はかなり複雑になっている。
一応「騎士団」はその中枢にいる。騎士団の下部組織に正規軍があるという体だ。正規軍は軍務卿が仕切っているが騎士団の人数が500人強であるのに対し、正規軍は10,000を数える。「国王の私兵」はさらにまた別組織であった。
「たかだか雑兵3人で私を動かせると思うか」
騎士団長が顔を向けると、3人の兵士はびくりとした。国王の身辺が危険になることなど「あり得ないこと」なので、彼らはろくな訓練を受けていないのである。
見た目や家柄で選ばれただけの兵士だ。
「騎士団長……これ以上の無礼、陛下に申し上げることになりますぞ」
「危険があると言っているのだ!」
騎士団長の声が響くとさすがの侍従長も身体を震わせ、顔色を失った。
しんとした静寂が下りる——。
「朝から騒がしいわ」
廊下を向こうから歩いてきたのは年にして10代半ばといった少女だった。
ゆるく天然パーマのかかったオレンジ色の髪を背中に流している。
紫水晶のような深い紫色の目は、高貴な輝きをたたえていた。
「ご機嫌麗しく存じます、クジャストリア王女」
即座に騎士団長は片膝をついて臣下の礼を取った。
3名の兵士も同様で、侍従長は文官としての礼——両手を重ねて胸の前に掲げる礼を取った。
クジャストリアは国王の第2子でありこの国の王女であることは間違いない。フルネームはクジャストリア=ギィ=ポーンソニア。空色のドレスを着ており、最近の暑い日々を考えると涼しげに見える。流行であるレースのひだを取り入れたデザインで、足下のヒール——髪と同じオレンジ色のヒールもよく映えている。
「楽にせよ。——それでなんの騒ぎ?」
「騎士団長が、いたずらに『この国の危機』と煽りたて、陛下への目通りを願うのです」
泣きつくように侍従長が言う。クジャストリアは騎士団長へまなざしを向けた。騎士団長は片膝をついたままだった。
「ローレンス。今の話はほんとう?」
「はっ」
「ならばわたくしが話を聞きましょう。侍従長、この場はわたくしが預かります」
「……かしこまりました」
不満たらたらという顔ではあったが侍従長とて王女に逆らうことはできない。
王女は騎士団長を連れてその場を離れていく。
「ローレンスらしくもない。お父様が国政に関与するのは『朝10時から昼2時まで』と決まっているでしょう」
「しかし、火急の用でしたので」
「侍従長にことの軽重を判断できるわけがありません」
「……まことに」
ローレンスは、前を歩く、自分のみぞおちくらいまでしか背のない少女の聡明さに舌を巻くばかりだった。
そう、国王は1日に4時間しか執務をしない。
他の時間は女遊びにふけっている。
こんな状態で戦争を言い出すのだから——いや、こんな状態だからこそ言い出したのかもしれないが、ともかく国王に進言するにはその4時間を狙うしかないのだ。
もちろん、国王の「お遊び」につきあえるような人間ならばそんな苦労は要らない。
事実、侍従長を筆頭に、国王が重用している人材は「執務の4時間」に顔を出さないことが多い。
「それで、火急の用とは?」
王女は近くにあった小部屋に入り、カギをかける。
王女には側近がいない。わざと連れていないのだ。彼女には兄がいる。王太子であり正真正銘の次期国王である兄が。
彼の周囲には次世代の甘い蜜をすすろうとした貴族が群がっている。そんな魑魅魍魎は兄の歓心を買おうとしてささやくのだ——「クジャストリア王女が王位を狙うかもしれませんぞ?」と。
余計な疑いをかけられたくないクジャストリアは側近を持たないことにした。側近がおらずとも、執務はできる。実際、国王が仕事をしないせいで滞っている細かい国政実務をクジャストリアがこなしていた。
この王女が次期王であれと思う人間は多い。女王が国を支配していた歴史も過去にはあるのだ。しかしそんな考えこそ、クジャストリアの命を危うくするものであることは自明だった。
「ご配慮、感謝いたします」
自室に行かず、近くの小部屋に入ったことは王女の配慮だ。
まず「火急の用」と言っているので「早く用件を聞くべき」と判断したこと。それと、王女の部屋は兄の監視が働いているので、兄に聞かせると余計なことになりかねない、と判断したのだ。
「昨晩、第6騎士隊長が襲撃されました——」
ローレンスは事実のみを適確に伝えていく。イーストを襲った犯人と同一であろうことも。
「なるほど、理解しました。だけど理解できないこともあります。——その程度が『火急の用』なの? 今の話を聞くに、襲われたのはともに第6騎士隊。第6騎士隊が過去の任務でなんらかの失態を犯し、逆恨みされたということでは?」
「これだけでしたら、おっしゃるとおりであったかと思います」
「これだけ? まだなにかがあるというの?」
「第6騎士隊長が襲撃されたあと、第2騎士隊長、第11騎士隊長も同様に襲撃されました。この2名は王城外郭にある騎士隊宿舎で休憩中でした。つまり王城のすぐ外まで賊に侵入されている、ということです」
沈黙が降り立った。
さすがのクジャストリアも考える時間が必要そうだった。
昨晩、調査官とともにスコット襲撃の報を聞いた騎士団長は、まず「第6騎士隊がなにかをやらかしたか」という思いを持った。クジャストリアと同じである。
最初に盗賊がイーストを襲った——のではなく、「盗賊のしわざ」に見せかけて、実は騎士の反応を探るための行動だったのでは?
問題なく襲えることがわかり、次は第6騎士隊長をターゲットとした。
しかし、である。
調査官とその内容を検討している最中に第二報が入ったのだ。さらに隊長格が2名、襲われたと。
「……騎士隊は今、どうしている?」
「厳戒態勢を敷いております。2人以下では行動しないようにと通達しました。幸い……と言うべきかはわかりませぬが、襲われているのは騎士隊だけですから、我らが警戒していれば問題ないでしょう」
「王城内に飛び火する可能性は?」
「そこです、問題は。私の考えでは……おそらく『ない』なのですが、確実ではありません。まずはご報告しなければと思いました」
「ローレンスの考えを述べなさい」
「はっ。しかし、考えられることは限られております。まず賊の目的がわかりません。表面上は『騎士団に恨みがある』と見えますが、やり口は『自分の力試しをしている』ようにも感じられるのです。相手の命を取りませんので」
「騎士団長よ、お前にも心当たりが?」
「ご冗談を」
「この目が戯れに見えますか」
「……心当たりは、あります」
騎士団長がその巨躯を、居心地悪そうに縮めているのを見て王女はちらりと微笑む。
この騎士団長も、若かりしころは自分の腕がどの程度なのかを知るために強者という強者に挑んでいた過去があるのだ。
「わたくしも話を聞いていて、『腕試し』の線が濃いように感じました。でなければこの国いちばんの武力を襲う理由がありません。騎士団に恨みがあるにしてはおおざっぱに過ぎる……」
「おおざっぱにして、繊細ですな」
「そうですね。きっちり逃げおおせているのですから『繊細』でもあります。——なるほど、『腕試し』。この仮説が正しいかどうかは次の襲撃で証明されるでしょう」
「やはり……そう思われますか」
クジャストリアの考えが自分の考えと同じであったことに騎士団長は気づく。
「次の襲撃ターゲットはお前でしょうね、騎士団長。……いえ、剣聖ローレンス」
次回「『隠密』vs騎士団長」